2022年の
日本ダービーは、まれに見るハイレベルの一戦だった。それは出走した18頭の戦績をたどれば一目瞭然だ。
18着
ピースオブエイト 22年
毎日杯(GⅢ)1着
17着
マテンロウオリオン 22年
シンザン記念(GⅢ)1着
16着ジャスティンロック 21年
京都2歳S(GⅢ)1着
15着デシエルト 24年
中日新聞杯(GⅢ)1着
14着ロードレゼル 22年
青葉賞(GⅡ)2着
13着
マテンロウレオ 22年
きさらぎ賞(GⅢ)1着
12着
アスクワイルドモア 22年
京都新聞杯(GⅡ)1着
11着
セイウンハーデス 23年
七夕賞(GⅢ)1着
10着
ビーアストニッシド 22年
スプリングS(GⅡ)1着
9着
ジャスティンパレス 22年
神戸新聞杯(GⅡ)1着、23年
阪神大賞典(GⅡ)1着、同
天皇賞・春(GⅠ)1着
8着
オニャンコポン 22年
京成杯(GⅢ)1着
7着
ジオグリフ 21年
札幌2歳S(GⅢ)1着、22年
皐月賞(GⅠ)1着
6着
キラーアビリティ 21年
ホープフルS(GⅠ)1着、22年
中日新聞杯(GⅢ)1着
5着
プラダリア 22年
青葉賞(GⅡ)1着、23年
京都大賞典(GⅡ)1着、24年
京都記念(GⅡ)1着
4着
ダノンベルーガ 22年
共同通信杯(GⅢ)1着
3着
アスクビクターモア 22年
弥生賞ディープインパクト記念(GⅡ)1着、22年
菊花賞(GⅠ)1着
2着
イクイノックス 21年
東スポ杯2歳S(GⅡ)1着、22年
天皇賞・秋(GⅠ)1着、同有馬記念(GⅠ)1着、23年
ドバイシーマクラシック(GⅠ)1着、同
宝塚記念(GⅠ)1着、同
天皇賞・秋(GⅠ)1着、同
ジャパンC(GⅠ)1着
デシエルトが今月7日の
中日新聞杯を勝ったことで、この年の
日本ダービーに出走した中で重賞勝ちがないのは、ダービー以降出走歴のないロードレゼルただ一頭となった。2着馬は昨年のワールド・ベスト・レースホース・ランキングで世界一に輝いた
イクイノックス。その類まれなハイレベルの
日本ダービーを制したのがドウデュースだ。
重賞勝ちは21年朝日杯フューチュリティS(GⅠ)、22年
日本ダービー(GⅠ)、23年
京都記念(GⅡ)、同有馬記念(GⅠ)、24年
天皇賞・秋(GⅠ)、
ジャパンC(GⅠ)。2歳時から毎年積み上げてきたGⅠ勝利は5つ。ラストランとなる今年の有馬記念で6つ目のGⅠタイトル獲得を目指している。
ドウデュースが北海道安平町のノーザンファームで誕生したのは2019年5月7日。その数年前だったと記憶している。7月に苫小牧市のノーザンホースパークで開かれる、国内最大の競走馬競り市、セレクトセールでノーザンファームの吉田勝己代表がこう話していた。
「みんなはディープインパクト(の産駒)ばかりを競り合っているけど、
ハーツクライも素晴らしい産駒が多い。ディープの半分くらいの値段で同じように活躍できるんだから、私ならハーツを勧めるね」
その言葉が正しかったことを産駒たちが実証した。17年に
シュヴァルグランが
ジャパンCを制すると、セレクトセールで外国人馬主が競り落としたヨシダが18年に米GⅠを2勝。同年の
エリザベス女王杯を制した
リスグラシューは翌19年の
宝塚記念、オーストラリアの
コックスプレート、有馬記念でGⅠ3連勝を果たし、同年の
ジャパンCではスワーヴリチャートが優勝した。
こうした偉大な先輩たちに続く形で生まれたのがドウデュースだった。朝日杯フューチュリティSには、武豊の手綱で初陣を勝利で飾った若駒が3頭いた。
アルナシーム、
ドーブネ、ドウデュース。千葉サラブレッドセール(2歳)で、藤田晋オーナーに4億7010万円(消費税抜き)で落札された弟・
武幸四郎厩舎の
ドーブネとドウデュースのどちらを選ぶか悩むのではないかと勝手に想像していたが、主戦騎手に迷いはなかった。ドウデュースを所有するキーファーズの代表を務める松島正昭オーナーと親しかったこともあるだろうが、2戦で高い将来性を感じ取っていたようだ。
武豊に初の朝日杯フューチュリティS勝ちをプレゼントしたドウデュースは、翌年の
日本ダービーを制した。道中は後ろから数えて5番手を進み、勝負どころで外へ。そのままスムーズに直線外から鋭い末脚を発揮させると、さらに外から伸びてきた
イクイノックスの追撃を抑えて栄光のゴールに飛び込んだ。2分21秒9のレースレコードで6度目のダービージョッキーとなった
武豊は「格別のうれしさですね。僕自身、ダービーの景色は久しぶり(
キズナで制した13年以来9年ぶり)。やっぱり最高です。これほど幸せな瞬間はないですね」と喜びに浸った。
輝かしい戦績だが、そこからのドウデュースの歩みは決して順風満帆ではなかった。特に海外では不運に見舞われ続けた。3歳で
凱旋門賞制覇を目指して渡仏。前哨戦のニエル賞で4着に敗れると、本番の
凱旋門賞はレース直前の大雨で馬場が悪化した影響もあって19着大敗を喫した。翌年の
ドバイターフは左前肢の違和感により出走取消。捲土重来を狙ったその秋は、
天皇賞・秋当日に
武豊が別の騎乗馬に右膝を蹴られ負傷したため、急遽(きゅうきょ)乗り替わりとなってしまった。
戸崎圭太とのコンビで臨んだ秋の盾と
ジャパンCは7着と4着に終わった。
だが、主戦が戻った途端にドウデュースは輝きを取り戻して有馬記念を制覇。700メートルという信じられないほど長くいい末脚を使っての勝利は、まさに「豊マジック」といえるものだった。
競馬を愛した作家の寺山修司に「影なき馬の影」というエッセーがある。1967年の
天皇賞・秋で寺山は、勝ったカブトシローを2着だと錯覚し、新聞への寄稿記事に「天皇賞はネイチブランナーが制した。しかし、ここではむしろ、名脇役カブトシローの善戦こそ讃(たた)えられるべきだろう」と書いた。その夜、花園町で飲んでいるところにかかってきた新聞記者からの電話で勘違いを伝えられた。寺山はこうつづる。
<「見てらしたんでしょう?」
「見ていた」
「直線半ばで、内ラチ一杯にカブトシローは抜けてたじゃないですか」
(中略)
レースを思い出すと、インコースぎりぎりのカブトシローの前に、なにか一頭の馬が走っていたような気がする。>
<いったい、直線でのカブトシローは何をめがけて、何を追い抜こうとして走ったのだろうか?>
<もしかしたら、カブトシローの目の前には、カブトシローにだけしか見えない幻の先行馬が走っていたのかもしれない。それはコレヒデか、スピードシンボリか、それとも、かつては好勝負を演じた他の馬たちか。>
昨年の有馬記念以降、ドウデュースが勝ったレースを見ると、このエッセーを思い出す。ドウデュースはもしかしたら、ドウデュースにだけしか見えない
イクイノックスを追い抜こうとして走っているのではないかと。
ドウデュースが自身の能力を発揮できずにあえいでた頃、
日本ダービーで2着に負かした
イクイノックスは世界一への道をひた走っていた。追い込みから先行へと脚質を転換し、
ドバイシーマクラシックでは先手を奪って世界の強豪たちをねじ伏せた。
天皇賞・秋と
ジャパンCではどちらも3番手を進み、力の差を見せつけた。秋の盾は1分55秒2という驚異的な日本レコードでの圧勝だった。
ドウデュースが有馬記念を制して復活を遂げたとき、
イクイノックスはターフにいなかった。
ジャパンCを最後に歴代賞金王の称号を引っ提げて現役を引退していた。それだけに、今年の秋に追い込みを必勝パターンとしたドウデュースが勝つたびに、
イクイノックスを追い抜こうとして走っているように思ってしまう。
ドウデュースは昨年の有馬記念と今年の
天皇賞・秋、
ジャパンCで、
ドウデュースにだけしか見えない
イクイノックスを差し切れたのか。ラストランの有馬記念でも、幻の先行馬を差し切る競馬を見せるのだろうか。
有馬記念で連覇を果たせば、
ドウデュースのGⅠタイトル数は
イクイノックスに並ぶ。総獲得賞金は22億7587万5800円となって
イクイノックスを抜き、現賞金王の
ウシュバテソーロも追い越して歴代賞金王に輝く。(鈴木学)