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中央競馬の元騎手、元調教師の伊藤雄二さんが17日、老衰のため死去した。85歳だった。調教師として、日本ダービー馬ウイニングチケット、GⅠ2勝の女帝エアグルーヴなど多くのスターホースを手掛け、数々の大レースを制覇。歴代8位となるJRA通算1153勝の名伯楽として、競馬史に輝かしい足跡を残した。
ウイニングチケット、マックスビューティ、エアグルーヴ、ファインモーション…。調教師として数々の名馬でビッグレースを制した名伯楽、伊藤雄二さんが老衰のため亡くなった。
1955年に騎手見習いとなり通算535戦72勝。66年に引退して調教師に転身し、77年の皐月賞(ハードバージ)でGⅠ級レースを初勝利。87年にマックスビューティで桜花賞、オークスの牝馬2冠を制した。
93年の日本ダービーではウイニングチケットに「あれほどの騎手がダービーを勝てずに終わるのは悔しい」と柴田政人騎手を起用し続けてV。自身にとっても念願のダービー制覇だったが「私の感激より、政人にタイトルをプレゼントできたことがうれしい」と、人とのつながりを何よりも大事にする面をみせた。
〝女帝〟エアグルーヴも代表的な管理馬だ。生まれてすぐに北海道の社台ファーム早来(現ノーザンファーム)に見に行った。「ひと目見て鳥肌が立った」と衝撃的な出会いを果たし、その予感通りに96年のオークスを制した。翌97年には天皇賞・秋を牝馬として17年ぶりに勝った。8月の札幌記念から休養を挟み、約2カ月半の間隔をあけてのGⅠ参戦。現在では主流の本番に直行するローテーションも、当時としては画期的だった。
馬の個性や成長を的確に見極めながら、比較的少ない出走回数で育て上げるスタイルで、その後もファインモーション(2002年秋華賞、エリザベス女王杯)やエアメサイア(05年秋華賞)などのGⅠウイナーを送り出した。厩舎は良血馬の宝庫だったが、預けてくれた馬主同士のつながりを大切にして、競馬界では珍しい親睦会を年に数回開くなど、ファミリー的な経営も行っていた。
07年に調教師を引退するまで、歴代8位のJRA通算1153勝、重賞はGⅠ級13勝を含む77勝を挙げた。83、84、87年に年間リーディングに輝き、JRA賞の最多勝利調教師賞を1回、最多賞金獲得調教師賞を3回、最高勝率調教師賞を7回受賞。引退後も評論を行うなど、中央競馬の発展に貢献し、14年にはJRA顕彰者に選出、殿堂入りを果たした。
コロナ禍前の夏の北海道シリーズ開催中は、早朝から函館競馬場の調教スタンドに陣取り、鋭くも優しいまなざしで動きをチェック。後進たちに身ぶり手ぶりを交えてアドバイスを送り、旧知の記者たちとは笑顔で競馬談議に花を咲かせた。
葬儀は19日に親族のみで執り行われた。偉大なホースマンが静かに旅立った。
■札幌記念、最多4勝…くしくも21日に行われる札幌記念は、伊藤雄二元調教師が1997、98年のエアグルーヴ、2001年エアエミネム、04年のファインモーションで4勝したレース。これは伊藤修司元調教師と並ぶ最多勝利記録になる。他にも札幌3歳S(現札幌2歳S)4勝、函館記念を3勝していて、北海道重賞11勝は歴代最多。こよなく北海道を愛した調教師だった。
■伊藤 雄二(いとう・ゆうじ)…1937(昭和12)年1月14日生まれ。大阪府出身。旧姓は木下。59年に騎手デビューし、535戦72勝。66年に調教師に転身。GⅠ級13勝を挙げ、年間最多勝を3回獲得するなど、長年にわたり活躍し、2007年に引退。JRA通算7501戦1153勝(勝利数は歴代8位)。14年にJRAが調教師顕彰者(競馬の殿堂)に選出。伊藤正徳元調教師は義弟、笹田和秀調教師は娘婿。孫の笹田知宏は、兵庫県競馬所属の騎手。
◆コンビを組んでGⅠ6勝を挙げた武豊騎手「大御所なのに気さくな人柄の伊藤雄二先生には、ずっとかわいがってもらいました。なので恩人です。たくさんGⅠを勝たせてもらった中で(1997年の)エアグルーヴの天皇賞・秋は、牝馬による十数年ぶりの勝利が話題として大きく取り上げられたこともあり、当時は先生と一緒に偉業を達成した充実感がありました。恩返しできたとは思っていないし、まだまだ頑張る僕の姿を天国で見守ってもらいたいです」
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