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週末に行われる中央重賞の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、競馬の長い歴史の狭間できらめいた馬を紹介する「中央重賞懐古的回顧」。第63回は2003年の弥生賞(現行の名称は弥生賞ディープインパクト記念)優勝馬エイシンチャンプを取り上げる。
この度の福永祐一騎手の引退に際して、まず思い出した馬が「シンチャン」ことエイシンチャンプである。彼と2000年生まれの同期・同厩であるネオユニヴァースの2騎については、福永騎手自身今でも感慨深い思いを抱いていることだろう。
この連載におけるリンドタイヨーの記事(昨年12月12日付)では触れそびれてしまったが、2002年の朝日杯FSを福永騎手の手綱で制した際のエイシンチャンプはキャリア9戦目であり、グレード制施行以降では最多。それこそ1979年の覇者リンドタイヨー以来の記録ということになる。1分33秒5という、グラスワンダーが樹立したスーパーレコードをコンマ1秒更新する価値ある勝利。しかしながら文字通りの「2歳チャンプ」であるエイシンチャンプに対するマスコミの評価は芳しくなかった。
もちろん、キャリア9戦目の勝利なのだからその後の上がり目がどうかと疑問視されたのは当然だったが、それ以上に筆者のようなにわか血統派が気にしたのは血統面だった。父親のミシエロは種牡馬としてマル外のエイシンルバーンがオープン特別勝ちの成績を残していたが、本邦での産駒の活躍はほぼそれだけ。コンキスタドールシエロ系というのもミスタープロスペクター系の傍流に当たり、日本では馴染みが薄かった。それにミスプロ系自体が当時の日本競馬では夜明け前だった面もある。母の父マニラも現役時ダンシングブレーヴを降した北米芝の英雄だが、種牡馬入り後はトルコへの輸出が最大のトピックだった。
2003年春時点の福永騎手が、瀬戸口勉厩舎所属のエイシンチャンプとネオユニヴァースの選択に迫られたことは有名だ。結局福永騎手は前者を選び(オーナーサイドとの関係性を重視して判断したと言われる)、その春高笑いしたのは後者と後釜のミルコ・デムーロ騎手だった。ネオユニヴァースがきさらぎ賞を勝った時点では、浅はかな筆者は「チョウカイリョウガとかアグネスプラネットの下だから…」と依然軽視していたのだが、厩舎関係者は恐らくネオユニヴァースの持つ世代屈指の素質を解していたはず。だからこそ、この二択は福永騎手にとって苦渋の決断だったのだと言えるだろう。
やがてエイシンチャンプは春の中山競馬場にて直線抜け出しから粘り込みを図り、2着スズノマーチをハナ差抑えて凱歌を上げた。これで通算10戦4勝。しかし悲しいかな、その舞台は皐月賞ではなく、前哨戦であるG2・弥生賞であった。続く本番・皐月賞の舞台で、かつての愛馬ネオユニヴァースに跨ったデムーロ騎手がサクラプレジデントとの激しい叩き合いを制した後に、2着馬鞍上の田中勝春騎手のドタマをポカリとやった様子を、4馬身ほど後ろの3番手から眺めた福永騎手は何を思っただろうか。
エイシンチャンプ当人は以後低迷し、大井移籍後の2006年に当地の重賞・大井記念を制するまで勝ち星に見放されることになるのだが、福永騎手が牡馬クラシックを初制覇するまでにはなお時間を要した。逃した魚は大きすぎたのだ。
エイシンチャンプ
牡 鹿毛 2000年生
父ミシエロ 母エイシンミシガン 母父Manila
競走成績:中央34戦4勝 地方7戦1勝
主な勝ち鞍:朝日杯FS 弥生賞
(文:古橋うなぎ)
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