週末に行われる中央重賞の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、競馬の長い歴史の狭間できらめいた馬を紹介する「中央重賞懐古的回顧」。第54回は1990年の東京新聞杯優勝馬ホクトヘリオスを取り上げる。
私がホクトヘリオスを知ったきっかけは『ダービースタリオン』である。いわゆる旧PS版ダビスタに彼は種牡馬として登場していたが、種付け料は格安でありながらパラメータが比較的優秀であり、加えてニックスの成り立つ繁殖牝馬が豊富と使い勝手が良かった。それだけに、後に出たダビスタ99で能力値を下方修正されてしまったのは残念であった。
そのダビスタを語る上で欠かせない存在に、「ダビスタ伝道師」こと成沢大輔氏が著した『ダービースタリオン全書』がある。成沢氏はホクトヘリオスに大変愛着を抱いていたようで、辞書並みに分厚い旧PS版の全書の巻頭には氏が執筆した同馬の記事が存在する。1990年代は主にゲームライターとして活躍した成沢氏だが、競馬愛は確かなものがあった。編集長を務めた『ダビスタマガジン』には盛岡競馬場などを巡った記述もあり、電脳世界に留まらず現実の競馬も深く愛した様子が見て取れる。
ダビスタ全書にて成沢氏が「狂い咲き」と称した、ホクトヘリオスが制した1990年の東京新聞杯はどういったものだったのか。当時のホクトヘリオスはすでに6歳。重賞3勝馬も近走は追い込んで届かずを繰り返し、1年5ヶ月もの間勝ち星がない。だがその不器用さ故に成沢氏のような熱烈なファンも当時存在した。人気も実力もある、しかし決め手に欠ける芦毛のロートルを尻目に、単勝1番人気にはマイルで底を見せていない4歳牝馬カッティングエッジが推されていた。
速力に富んだダイワダグラスとアドバンスモアの2頭が後続を引き離して逃げる。一方柴田善臣騎手とホクトヘリオスは通常運転の後方待機。府中の長い直線に入るとまずアドバンスモアが抜け出した。道中好位に控えていたカッティングエッジは稍重馬場が災いしたかいつものキレがない。残り200mほどで態勢が一変してリンドホシが先頭に。カッティングエッジが伸びあぐねて大勢決したかと思われた刹那、大外からホクトヘリオスが一閃。この芦毛の追い込み馬がゴール寸前リンドホシを捉え切った。
「ああ、やっと勝てたよ」とは当時24歳の柴田騎手の弁。ホクトヘリオスは次走中山記念で重賞2連勝とし、これを手土産にして同年秋に種牡馬入りした。「あんなにかわいらしいと思ったヤツは、いまだホクトヘリオスだけである」と成沢氏に愛された彼だったが、種牡馬としては失敗に終わった。ダビスタ99での下方修正も納得である。
テレビゲームを愛し、同様に競馬も愛した成沢氏は2015年に49歳で早世した。そしてダビスタブーム以来の波として、現在競馬界には『ウマ娘』ブームが到来している。元々競馬初心者だったダビスタプレイヤーが競馬ファンの中心と化した昨今。たかがゲームと侮るなかれ。ウマ娘から入った層が競馬ファンの中核を担う時代がきっと来る。だからこそ、ウマ娘で初めて競馬に触れたファンには実際の競馬を深く知って欲しいと私は思うし、多くのダビスタプレイヤーを底なしの競馬沼へと導いた成沢氏の偉大さは語り継がれるべきであろう。
ホクトヘリオス
牡 芦毛 1984年生
父パーソナリティ 母ホクトヒショウ 母父ボールドリック
競走成績:中央34戦6勝
主な勝ち鞍:中山記念 京成杯3歳S 東京新聞杯 京王杯AH 函館3歳S
(文:古橋うなぎ)