週末に行われる中央重賞の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、競馬の長い歴史の狭間できらめいた馬を紹介する「中央重賞懐古的回顧」。第60回は1987年の阪急杯優勝馬セントシーザーを取り上げる。
「この馬には特別の思い入れがあります。自分の馬で初めて東上した思い出の馬なんです」
いずれもG1馬であるダンスインザダークやハーツクライ、そして念願の日本ダービーを制したワンアンドオンリーを育てた名伯楽・橋口弘次郎調教師は、その調教師キャリアの初期の活躍馬であるセントシーザーについて後にこう語っている。セントシーザーは1980年代の短距離戦線における西の名脇役として存在感を示した馬だ。
ダービーで4度の2着に泣き、ワンアンドオンリーによりとうとう笑った橋口師だが、セントシーザーもまた2着の多い馬であった。その回数、通算8勝に対して13回。血筋でいうと1歳下のフレッシュボイスとは同父系・同牝系にあたるのだが、決め手は雲泥の差があった。この2頭が激突した1987年の安田記念。本質的に千四ベストのセントシーザーには府中千六はややタフすぎるきらいがあり、内目を立ち回って8着が精一杯。そしてその約7馬身前には遠い親戚のフレッシュボイスがいた。千四の芝G1がないことはセントシーザーにとって不幸だったし、「シーザー」という馬名由来の(?)のジリ脚ぶりであった。
橋口師にとって関東のG1初挑戦だった安田記念を経て、セントシーザーは中2週でG3・阪急杯へとコマを進めた。同じく安田記念(5着)からの参戦であり、西下して自信を持って臨んだダイナアクトレスという強敵がそこにはいた。ハンデはセントシーザーの57キロに対してダイナアクトレスは牝馬の56キロ。1つ年下の社台の令嬢は手ごわいが、阪神の平坦(当時)千四ならば負けられない。男一匹、実に12度目の重賞挑戦である。
意外なことにハナを切ったのは岩元市三騎手がテン乗りのダイナアクトレス。岩元騎手は同馬主・同枠のダイナルックを前に置いて競馬を進める算段だったようなのだが、そのダイナルックが思うように行けずに自分自身がハナを奪う形になってしまった。後の名牝もほぼ一本被りの人気で目標にされると脆いもので、緩みないペースに4角過ぎで早々と脱落。この流れが自分から動くと甘いが末堅実なセントシーザーに向いた。冷静沈着な西のトップジョッキー・河内洋騎手が操る彼は、暮れに大仕事を成し遂げるハシケンエルドを直線半ばで交わし、キレ味自慢のマヤノジョウオの追撃をクビ差凌いだ。
この阪急杯での勝利を皮切りに、5歳馬セントシーザーは充実期に突入する。同年秋にはマイルCSでニッポーテイオーの2着に食い込み、続くCBC賞では同厩のサンキンハヤテなどを退けて2つ目の重賞タイトルを手にしたのであった。1989年より新冠・太平洋ナショナルスタッドにて種牡馬入り。直仔からクリスタルC勝ちのセントミサイルを出したほか、揃ってホッカイドウ競馬きっての快速として鳴らしたアザワク&ソロユニット姉妹の母母父としても名を残している。ちなみにこの姉妹の祖母コスモグローリは橋口師の管理馬。師が愛したセントシーザーの血は令和の世も健在であり、物語はこれからも続いていく。
セントシーザー
牡 鹿毛 1982年生
父モバリッズ 母ワイエスパンジー 母父ロードリージ
競走成績:中央37戦8勝
主な勝ち鞍:阪急杯 CBC賞
(文:古橋うなぎ)