●“イナリワンが必ず勝つ!!” 記者冥利に尽きた平成元年の天皇賞
数あるJRAの競馬場の中で、私が一番好きなのは京都競馬場である。
中庭が池になっていて、いつも黒鳥などの水鳥が浮いている。
向こう正面には淀川の土手が隣接し、池越しのこの眺望は、
しばし都会の喧騒を忘れさせてくれる。
コースは3~4コーナーから直線に出てくるところがとくにいい。
他場のような金属物とか、プラスチックのような柵ではなく、
こんもりとした木だけの緑の生垣で、
草原からサラブレッドが走りでてくるかのようだ。
最近は白いプラスチックのようなものでこの生垣を覆うように、
保護するようにしてしまったため、昔の雰囲気はいささか薄れてしまったが、
それでもいくらか面影は残っている。
池の手前に設置されているターフビジョンが大きすぎないのもいい。
向こう正面がブラインドにならないからである。
京都競馬場の春競馬といえば、何をおいても天皇賞だろう。
思い出は語りきれないほどあるが、なかでもイナリワンが勝った平成元年である。
この年、多くの支持を得ていたのは、
直前の阪神大賞典は失格(2着入線)ながら、
その前のステイヤーズS、ダイヤモンドSを連勝していた岡部スルーオダイナと、
AJC杯と日経賞を連勝して絶好調を誇った菅原泰ランニングフリー。
この2頭が人気を二分していた。
しかし、日刊ゲンダイの本誌、つまり、私、鈴木和幸はこのどちらにも本命は打たなかった。
ずばり、イナリワンに自信の◎。
公営から鳴り物入りで中央入りしてきたこの馬、
初戦のすばるS、2戦めの阪神大賞典で4、5着にズッコケてしまい、
いたく評価を落としていた。
そのイナリワンに自信の◎を打った理由、根拠をこんなふうに記憶している。
『前2戦の負けはまったく気にしなくていい。
だってそうだろう、すばるSは落鉄の影響で最終追い切りをビシッとできなかったし、
おまけにレースでは初めて経験する道悪も影響したのだろう、道中掛かり通しだったのだから。
阪神大賞典にしても、肝心の直線でスルーオダイナ(失格)に前をカットされる致命的な不利を受けているではないか。
いわば、この2戦は負けるべくして負けたのだ。
実力を出し切ってもいないレースの結果なんか、気にしてはいられない。
これほど敗因がはっきりしている前2回の敗走で人気が落ちるなら、
それこそもっけの幸いである。
もう一度思い出そう、あの柔らかい、しなやかなフットワークからして、
断じてダート馬ではないことがわかる。
それなのにデビューから8連勝し、
公営のその年のチャンピオンホースを決める東京大賞典を勝っている、
それほど非凡な潜在能力の持ち主であるということを。
そして、目を見張るばかりの今回の追い切り、
GOサインがでると、重心を沈めて、驚くなかれラスト1Fは11秒2をたたきだしたではないか。
中央入りして初めて見るイナリワンの勇姿である。
満足のできるデキになったばかりか、いや、なったからこそ、
天才・武豊に騎乗を依頼したのに違いない。
あの歴史的名馬ミルリーフ(英ダービー、キング・ジョージ6世&クイーン・エリザベスS、凱旋門賞など14戦12勝)を父に持つ、
このミルジョージ産駒イナリワンは、450キロあるかないかの大きくはない体、
柔軟なフットワークを見るまでもなく、ダートより芝の方が断然いい。
ずばり、ダート3000メートルの東京大賞典ではなく、
芝3200メートルの天皇賞向きである。
第99回天皇賞は◎イナリワンが勝つ』
大いなる喜びは、
断言したとおりにイナリワンが勝ってくれたことはもちろんだが、
それだけにとどまらない。
それ以上の喜びがあった。
それは、この“◎イナリワンが必ず勝つ”との私の記事に、
かの有名な五木寛之大先生が目を留めてくださったこと。
そして、イナリワンからの馬券を買われたたそうな。
みごとイナリワンが勝つと、その翌日の月曜日から、
コラム「流され行く日々」の中で、“天皇賞は日刊ゲンダイでV”とのタイトルのもと、
お褒め言葉を3日間も書きつづってくださったのである。
いわく、
『私も物を書いてメシを食っているのでわかるが、
記者の記事の行間からはイナリワンが絶対勝つとの自信がほとばしっていた。
イナリワンを買わずにはいられなかった』
そして、最後に、
『どうせならもっとたくさん買っておけばよかった』
と締めくくってくださったのだ。
天下の大先生にこんなにもお褒めいただいたのだ。
心底、「この商売をやってきてよかった」と泣けたし、
記者冥利に尽きるとはまさにこのこと。
忘れようにも忘れられないイナリワンの天皇賞となった。
その晩、友人が設けてくれた祝い酒の席、
「やったな。すごい天皇賞になったじゃないか」
の言葉は春の天皇賞がくるたびに思い出される。
登録済みの方はこちらからログイン