週末に行われる中央重賞の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、競馬の長い歴史の狭間できらめいた馬を紹介する「中央重賞懐古的回顧」。第39回は1992年の阪神3歳牝馬S(旧馬齢表記・現在の阪神ジュベナイルフィリーズに当たる)優勝馬スエヒロジョウオーを取り上げる。
(当記事における馬齢表記は旧馬齢表記に統一)
昔と比較して競走馬の馬格が良くなったと言われる昨今。こと中央競馬において馬体重が400キロを切る馬が勝つシーンは、メロディーレーンという例はあるにせよ見かける機会が少なくなった。だが世の中には驚くような例外があるもので、1着2着が400キロ未満の馬同士で決まったG1競走が今から30年前に存在する。スエヒロジョウオーとマイネピクシーで決着した1992年の阪神3歳牝馬Sがそれである。
「天馬」トウショウボーイの甥に当たるトウショウペガサスを父に持つスエヒロジョウオーは1992年6月にデビュー。新馬戦での馬体重が394キロという小さな牝馬だったが、2戦目にして勝ち上がった。続く函館3歳Sでは14頭立て14番人気ながらマザートウショウの5着に健闘。しかし当初の評価は決して高くなかった。
ところが、デビュー5戦目となる東京・きんせんか賞における走りは出色であった。12頭立ての最低人気に過ぎなかった彼女が、後に大活躍するワコーチカコ以下をシンガリ一気の競馬で撫で斬りにしてみせたのだ。この勝利により、うら若き乙女の最大目標たる阪神3歳牝馬Sへの道がパッと開けた。
12月のG1・阪神3歳牝馬S。中心視されたマルカアイリスは小倉3歳Sを含む4戦3勝。粗削りだがスケールの大きさが魅力的であった。対抗馬マザートウショウはスティールハート産駒らしく速力に溢れていたがマイルの距離に不安を残す。完成度の高い馬と将来性の見込める馬が入り混じるメンツの中で、田面木博公騎手が跨るスエヒロジョウオーは単勝9番人気。390キロの小さな馬だけに、前年暮れの新装開店以降やたらと時計の掛かる阪神の芝が不安視された。
スタート良く飛び出したのはマザートウショウだったが、外からプランタンバンブーが主張してハナ。人気のマルカアイリスは好位外目。芝のマイル戦ながらも3ハロン目に13秒台のラップを挟む緩い流れ。しかし道中引っ掛かり気味の馬ばかりで皆末が溜まらない。そんな難儀な展開を制したのが後方待機のスエヒロジョウオーであった。直線でマルカアイリスが左右にフラフラしながら沈んでいく一方で、馬群を割って内から顔を出した12番人気のマイネピクシー、そして大外からぶっ飛んできた田面木騎手とスエヒロジョウオー!ゴール前の勝負は外のスエヒロジョウオーに軍配が上がった。
2着マイネピクシーの馬体重は398キロ。メンバー16頭中最も軽い馬と2番目に軽い馬で決まる珍しい結果となり、小兵同士の組み合わせにより馬連の配当は中央G1史上最高(当時)の120740円を記録した。スエヒロジョウオーはその後不振に終わったが、産駒スエヒロコマンダーが重賞を制し、孫世代から朝日杯FSの2着馬を2頭出している。その内の1頭アルマワイオリは朝日杯が阪神競馬場に舞台を移した2014年に14番人気で2着に突っ込み、同じく暮れの仁川で激走した祖母の存在をオールドファンに思い起こさせた。
スエヒロジョウオー
牝 鹿毛 1990年生
父トウショウペガサス 母イセスズカ 母父マルゼンスキー
競走成績:中央11戦3勝
主な勝ち鞍:阪神3歳牝馬S
(文・古橋うなぎ)