レース当日の乗り替わり。 これ自体はそう珍しいことではなく、情報をチェックして「そうなのかー」という感想を抱く程度なのだが、これがG1、しかも有力馬に関することとなるとインパクトは大きい。 先日の天皇賞(秋)においてドウデュースに騎乗予定だった武豊騎手の乗り替わりが発表された際、なんとも言えないどよめきが上がっていたのは記憶に新しいところだし、知識がなく、前準備もほとんどできない状態で、自分が感触を確認したことのない生き物に乗るということがいかに難しいかというのは、素人目でもなんとなく分かる。 筆者も、自分が印を打った馬が急遽の乗り替わりになったケースが山ほどあるが、そうなった時にいい思い出になった記憶がほとんどない。恐らくは大半が難しい結果に終わっているのだろう。 だが今回、幾度もG1の壁に跳ね返されてきたナミュールを”8度目の正直”で勝ち切らせたのは、落馬負傷したムーア騎手の代打として急遽ステージに上がることになった藤岡康太騎手。 藤岡騎手には申し訳ない書き方になってしまうが、世界最高レベルの実績を持つ騎手から、国内中堅クラスの騎手への乗り替わりな上、そのタイミングがレース数時間前と、文字通り”急遽”。朝の時点で9倍ほどだった単勝オッズが最終的に倍近い17倍にまで上がっていたのは、様々な面から「これは厳しい……」という悲観的な考えを持つ人が多かったからだろう。 実際のレースでも、ナミュールの存在感は驚くほど薄かった。 跳び上がるようなスタートから好位を確保しようとする意志はまるで感じさせず、大外枠のロスを最小限に留めるべく、ゆっくりと内へ。中盤でやや行きたがる挙動を見せていたものの、ここでも徹底して我慢させ、直線入口では最後方。その姿に、冒頭で述べたような”急遽の乗り替わりで馬とのコンタクトが上手く取れず、流れに乗り損ねた結果”を思い浮かべてしまったのは筆者だけはあるまい。 しかし、この徹底した我慢がナミュールの本来の姿を取り戻させることになった。 狭い所に小柄な身体をねじ込むようにして馬群を割ると、他馬が止まって見えるほどの切れ味を発揮。直線だけで全馬をなで斬り、最後には更に勢いを増すスピード感をもってゴールへと飛び込んでいった。 計時した上がりは33.0で、これは奇しくもナミュールがG1クラスの能力をファンに印象付ける結果となった、2歳時の赤松賞と同じ数字。近走は先行したり差したり追い込んだりと様々な戦法をとっていたが、この極上の切れ味こそがやはり本馬の最大の武器なのだろう。 試行錯誤を重ねた陣営の力と、以前から”騎乗後に馬が変わる”と言われていたモレイラ騎手による前走の勝利。そして、こうした起爆剤を乗り替わりや大外枠といった逆境の中でもしっかり点火してみせたナミュールと藤岡騎手。様々な要素が一気に結実した、本当に見事な勝利だったと思う。 ここ2戦で完全に一皮剥け、自分の形も見出したことで、今後は中距離まで視野を広げた挑戦が始まるだろう。陣営も、本馬と同じく善戦キャラから無敵の女王へとレベルアップを遂げた同クラブの先輩・リスグラシューの成長曲線を意識している様子で、来年以降も目が離せない。 ナミュールの末脚に最後の最後で屈してしまったものの、2着のソウルラッシュも堂々たる競馬。 馬場の内側の状態が悪くなりつつあった中での最内枠で立ち回りが注目されたが、道中で少しずつ馬場の良い部分へ移動し、直線でもそのまま馬場の良いギリギリの所を通って抜け出すというモレイラ騎手の騎乗ぶりはさすがの一言。馬自身も前走からレース間隔が空いてフレッシュな状態で臨めたことで、G1で初めて”らしい”走りができていたように映る。あとは勝ち運だけなのだが、それを掴むだけの成長を見せられるかどうか。こちらも来年以降の走りに注目だ。 3着のジャスティンカフェは道中行きっぷりが良すぎるほどで、鞍上が徹底して前に馬を置いて我慢させていた。直線に入って解き放たれてから一瞬は差し切るだけの脚を見せたが、それが長続きしなかった辺りに上位2頭との地力差を感じる。G2、G3レベルであれば安定して上位争いできるだけの力はあるが、G1における勝ち負けを狙うにはもう一段上のレベルアップが必須となる。 4連勝で臨んでいた3歳馬エルトンバローズは4着。1800mだったここ2戦からマイルへの転戦、しかもそれがG1ということで、道中も勝負所もやや忙しそうな挙動を見せていた。 適性が非常に分かりにくい血統構成で、どの舞台がベストなのかという点は現状不明だが、今回の走りからは2000m近辺までは大きくパフォーマンスを落とすことなく走れそうな印象がある。 まだ3歳ということで成長の余地は多く、更に奥があるようならば楽しみは大きい。 一方で、上位人気を争ったシュネルマイスターとセリフォスは苦戦を強いられた。 シュネルマイスターは懸念されていたゲートの悪さがここでも顔を出す形。ゲート全体が揺れるような勢いで豪快に立ち上がっていたし、出たら出たで隣枠のソーヴァリアントがヨレてきて挟まれて……と序盤のリズムが極めて悪かった。 また、504kgという馬体重は余裕を持たせた作りに映った2月の中山記念と同じ。今回と同舞台のマイラーズカップで差し切り勝ちを演じた時は490kgまで絞り込んでいたので、仕上がりの面でもひと息と言える状態だったか。 セリフォスも追い切りの時計自体は夏負けの影響を感じさせないものだったが、レースでは気負いが目立つ形に。結果的に急仕上げが裏目に出る格好になってしまったかもしれない。 両馬とも難しさを秘めた馬ではあるが、今回のレースぶりは絶好調時に比べると明らかに見劣っていただけに、能力以外の部分で走れなかったと見るのが妥当だろう。ベストの状態で走れた時のパフォーマンスレベルは依然として路線上位なので、今後巻き返しがあっても何ら驚けない。