日本の伝統音楽、たとえば祭り囃子などは、ほとんどが「黒鍵」を使わずに奏でられる(=ドレミファソラシドだけで奏でられる)ということを皆さんはご存知だろうか? たとえば「月が出た出た……」での炭坑節は「ミソソ~ラドドド、レドラ~ソラ~ドラソララ」だし、ヤクルトスワローズの応援歌として知られる「東京音頭」も「ララシシ~、ララシド~シミミド~シドラ、ドドシ~ドラ~ファラ~ファ~ミ、シ~シ~」だ。いずれも実際最後まで鍵盤をたどれば分かるが黒鍵は一切使わない。 最も興味深いのは「君が代」で、この歌は旋律そのものが黒鍵を使わない単純な作りになっているだけでなく、西洋音楽ならばあり得ない(というよりも完全にルール違反の)コード移行があったり、おしまいも不思議な終わり方だったり、曲としてかなりメチャクチャな作りになっている(笑)。 それなのに、祭り囃子にしても君が代にしても、なぜあんなにも日本人の心に染み入り、心を揺さぶるのだろうか。これは本当に不思議で、昭和歌謡から最近のJ-Popに至るまで、歴史上爆発的に流行った歌の旋律を見てみると、実はその多くが白鍵だけで奏でることができる。 複雑な社会構造を作り、複雑なルールを設け、複雑な計算を必要とする経済の仕組みに囲まれて生きる人間だが、元は森で暮らしたサルの一種。我々人間も裸になれば原始動物と変わりなく、心安らぐのは“シンプル”で“分かりやすいもの”ということなのだろう。 さて、少ない鍵盤、少ないコードで奏でることができるのは日本の伝統音楽だが、“少ない数が好ましい”のは音楽だけではない。競馬の世界にも“数少ない”ことで好成績を収めている馬が存在し、今週日曜京都競馬場のメイン競走、エリザベス女王杯にもそんな馬が出走してくる。今週の金言を紹介するとしよう。 曰く「出走回数少ない馬の勝負レースに注意」。 無事是名馬、という言葉があるが世の中無事な馬ばかりではないし、無事でなくても強い馬もいる。出走回数が少ない馬の出走回数が少ない理由は様々だが、体質であれ怪我であれ、限られた出走回数で成果を出さねばならぬのは競走馬の宿命で、そういう馬がここ一番のレースに臨む時、仕上がり具合が他を圧倒しているケースが少なくなく、当然成果もそれなりに出る。 シンリョクカは10戦2勝。勝利数はわずかだが新馬戦を勝ち、阪神JF(G1)で2着し、その後も大舞台で好走し、ここへきて漸く本格化してきた。いよいよ最強牝馬へ名乗りを上げる時だ。 実家の畑で落花生を収穫したら、今年は土をほじくり返してついばむカラスの被害で、楽しみにしていたオオマサリという種類を殆ど収穫出来なかった。来年の種にする分を除いてわずかに残った手のひら1杯分のオオマサリを塩ゆでにし、この時期、掘りたてでしか味わえない農場グルメを晩酌のあてに頂いた。 いや~……5分で完食したが。少ないだけに美味かったこと、美味かったこと(笑)。