年がら年中四六時中、競馬にお休みは基本的にありません。当欄では、1月30日~2月5日に競馬界で過去にあった様々な出来事を簡潔に紹介していきます。
1月30日
【1983年】中京競馬場のレース中に子供がコースへ飛び出して馬と接触
この日の中京2Rのレース中、各馬が4コーナーを回り切った辺りで2番手にいたクリヤーランサーとコースに入った3歳の男児が接触。負傷した男児は約1ヶ月の入院生活の後無事退院したという。事故当時男児は内馬場にある公園で遊んでいたが、高さ1mのフェンスの隙間からどういうわけかダートコースに入ってしまい、頭部が馬の前脚と接触した。子供のコースへの侵入事故は今でもたまに起きますね。
【1993年】岡 潤一郎騎手落馬事故
「ジュンペー」の愛称で親しまれ、1991年のエリザベス女王杯をリンデンリリーで制した岡潤一郎騎手が、この日の京都7Rにて1番人気オギジーニアスに騎乗するも直線入口で馬が故障を発症して落馬。その際岡騎手は後続の馬に頭部を蹴られて重傷を負った。すぐさま競馬場近くの蘇生会病院へと救急搬送されたが、外傷性クモ膜下出血などを発症して意識不明の重体に。その後意識が戻らぬまま2月16日に死去。事故から30年を経た今でも、1978年のテンポイントの事故と同様に冬の淀にオールドファンが思い起こす悲劇である。
1月31日
【1999年】メイセイオペラが地方競馬所属馬として初めてJRAのG1を勝利
混戦模様だった1999年のG1・フェブラリーSを制したのは単勝2番人気で岩手所属のメイセイオペラ。ライバルのアブクマポーロ不在とは言え、中央でただ一つのダートG1(当時)を相棒・菅原勲騎手の手綱で掴んだのは実に感動的であった。地方競馬所属馬がJRAのG1を制したケースは後にも先にもこれが唯一。オーナーの明正商事は中央競馬の馬主登録がなかったため、5枠の貸服(交流服)によるG1制覇となった。府中の晴れ舞台で菅原騎手の青い勝負服が見たかった!?
【2013年】安藤 勝己騎手引退
地方競馬由来のネタをもう一つ。地方競馬から中央競馬に移籍したジョッキーのパイオニア的存在として活躍し、JRAの騎手免許試験においていわゆる「アンカツルール」が規定されるきっかけを作った安藤勝己騎手がこの日をもって騎手免許を返上し、引退。2月3日の京都競馬の最終レース終了後に引退式が行われた。1980年に阪神競馬場で行われた地方競馬騎手招待競走が中央初騎乗(騎乗馬ヤマニンスキー)で、2012年の京阪杯におけるパドトロワが最後の騎乗馬となった。現在は競馬評論家として各媒体で活躍中である。
2月3日
【1992年】ダイヤモンドSで小林稔厩舎所属馬がワンツースリー
降雪により土曜日から月曜日に順延されたG3・ダイヤモンドS。関西馬優勢との下馬評だったこのレースを制したのは7歳(新馬齢表記)のミスターシクレノンだった。2着にはアローガンテ、3着にはロングシンホニーと入り、栗東・小林稔厩舎所属馬のワンツースリーという快挙。いかにもじっくりと大器を育てる小林厩舎のカラーらしい結果であった。同一厩舎所属馬による中央重賞ワンツースリーは1969年の弥生賞(勝ち馬ワイルドモア)の尾形藤吉厩舎以来となる。ちなみにミスターシクレノンはこの数日後に骨折が判明し、種牡馬入りした。
(文:古橋うなぎ)