週末に行われる中央重賞の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、競馬の長い歴史の狭間できらめいた馬を紹介する「中央重賞懐古的回顧」。第10回は1994年の札幌3歳S(旧馬齢表記・2001年以降の札幌2歳Sに当たる)優勝馬プライムステージを取り上げる。
(当記事における馬齢表記は旧馬齢表記に統一)
3歳時に札幌3歳S、フェアリーSとG3を連勝し、以後勝ち星を挙げられずに終わったプライムステージは、その戦績を単独のものとして見れば1年に1頭現れる程度の“天才少女”であろう。しかし日本競馬の歴史の中で彼女の存在は記念碑としての価値があるし、決して無視できない。あの偉大なる“SS”こと、大種牡馬サンデーサイレンスの産駒におけるJRA重賞初勝利を飾ったのが彼女なのだから。
多大な期待を込められて社台ファームにより輸入されたサンデーサイレンスだが、1994年夏の産駒デビュー時の評判は「賛」の意見に占められていたわけでは必ずしも無かった。「否」に相当する意見の一例として、筆者が文章家として私淑している血統通の競馬評論家が下した「ダート千八向きの種牡馬ではないか」という評価が挙げられよう。同氏の評価は本邦で実績の乏しかったヘイローの直仔で母方が貧弱という血統背景が根拠とされているのだろうが、サンデーサイレンスの一個体としての競走能力に対してまだ半信半疑だったことの裏返しとも言えるか。
ところが、キタサンサイレンスを皮切りにいざ産駒がデビューすると、その圧倒的な成績によって3歳戦線は瞬く間にSS一色に塗り替えられていく。母に名牝ダイナアクトレスを持つプライムステージは、結果として大攻勢の尖兵の役割を担った。新馬戦でヤマニンアリーナとの良血対決を制してレコード勝ちを収めると、管理する伊藤雄二調教師はその1時間後に同じくレコード勝ちを飾ったエイブルカグラとともに「去年のメローフルーツ(札幌3歳S勝ち)と比較してひとランク違う」とプライムステージを評した。この時点で、SS産駒初勝利一番乗りのキタサンサイレンスとは期待感が段違いだったのだ。
1994年当時は札幌と函館の開催順が現在と逆であり、札幌3歳S(札幌2歳S)は今の函館2歳Sのポジションで施行されていた。同父のキタサンサイレンスの他に、新馬戦と平場オープンを連勝したマキシムシャレードや、岡田繁幸氏が英ダービーに登録したことで話題を呼んだマイネルエナジーといった馬たちが立ちはだかったが、プライムステージのキレ味はそれらとは一枚も二枚も違った。キタサンサイレンスが直線インを突き、その外をマキシムシャレードが進出。しかし岡部幸雄騎手に導かれたプライムステージはこともなげに2頭を一刀両断し、産駒のワンツーという形でSSに初重賞を献上した。
BCジュヴェナイルフィリーズへの挑戦が噂されたほどプライムステージの当時の評判は高かったが、伊藤師の判断により遠征プランは立ち消えとなり、次第に深刻な気性難が表面化していくことになる。札幌3歳S終了時の期待は所詮うたかたの夢だったのかも知れないが、サンデーサイレンスを語る上でプライムステージの存在は今もって重要であり、その扱いが変わることは無いであろう。
プライムステージ
牝 黒鹿毛 1992年生
父サンデーサイレンス 母ダイナアクトレス 母父ノーザンテースト
競走成績:中央12戦3勝
主な勝ち鞍:札幌3歳S フェアリーS
(文・古橋うなぎ)