週末に行われる中央重賞の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、競馬の長い歴史の狭間できらめいた馬を紹介する「中央重賞懐古的回顧」。第5回は1988年の小倉記念優勝馬プレジデントシチーを取り上げる。
1983年生まれのプレジデントシチーは、引退から丸30年を経た今となっては「1991年の秋天におけるメジロマックイーンの斜行の被害対象馬」としてのみ記憶されている存在かも知れない。彼の一口馬主や関係者など近しかった人間以外にとってはまずそうだろう。だが、その共通認識に則って彼の成績を振り返らないのは損していると私は言いたい。中でも、息詰まる熱戦を制した1988年の小倉記念には昭和の日本競馬の魅力が溢れている。
「筑豊の炭鉱王」上田清次郎が開設した上田牧場の生産馬であるコスモドリーム、そして小倉ではおなじみの「マルシゲ」を冠したマルシゲアトラスと、九州に縁ある1988年のオークス1・2着馬が揃って参戦した同年8月の小倉記念。この勢いある3歳牝馬2騎をトップハンデ58キロで迎え撃ったのは、前年の2着馬にして古馬G3では常に上位を争う実力を誇る5歳牡馬プレジデントシチーだった。
スタートから馬群の後方を進んだ3歳の2頭。対して岩元市三騎手が駆るプレジデントシチーは中団外目に位置取った。レースは淡々と流れたが、3角で大外を周ってコスモドリームが進出。それに合わせるかのようにプレジデントシチーが仕掛けて、直線入口では2頭がほぼ併走状態に。ジリっぽい上に1頭抜け出すとソラを使うプレジデントシチーは、ゴールを前にしてコスモドリームと馬体を併せながら外へと圧し出す!勝負根性に定評あるこの5歳馬はハナ差だけ抜かせずにゴールイン。オークス馬とトップハンデに屈することなく、古馬として意地を見せつけたのであった。
プレジデントシチーは前述した上田清次郎の「ダービーは金では買えぬ」エピソードで知られるダイコーターの産駒であり、同馬はコスモドリームの父の父でもある。加えて現役最後の重賞勝利を飾った岩元騎手は鹿児島県出身…と、この小倉記念には様々な“符丁”が隠されており、白熱ぶりも相まって趣深い名勝負と呼べる。もし昔の競馬の映像をご覧いただく機会があったら、1991年の秋天を観る前に是非ともこの小倉記念を観て欲しいところだ。
夏の小倉にてオークス馬を完封したプレジデントシチーも一線級相手だと力が及ばず、その後は第二次競馬ブーム期の脇役として位置づけられた。7歳時には地方交流重賞のブリーダーズゴールドCを制覇したが、これは相手関係と脚抜きの良い馬場に恵まれた印象がある。あの秋天の出走表に名を連ねたのは8歳時のこと。すでにピークを過ぎてからの参戦であったが故に、不利を被った立場にもかかわらず「メジロマックイーンの勝利を邪魔した存在」としてヘイトを買ってしまったのは不運であった。
天皇賞以降2走したプレジデントシチーは9歳の夏に引退した。その去り際には友駿ホースクラブの会員たちの計らいにより札幌競馬場で引退式が行われたという。長年の労をねぎらわれるかのように種牡馬入りした彼は数頭の産駒を残したが、活躍馬は出なかった。
プレジデントシチー
牡 栗毛 1983年生
父ダイコーター 母ニシノアイゲツ 母父マタドア
競走成績:中央41戦6勝 地方3戦1勝
主な勝ち鞍:朝日チャレンジC 小倉記念 ブリーダーズゴールドC
(文・古橋うなぎ)