週末に行われる中央重賞の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、競馬の長い歴史の狭間できらめいた馬を紹介する「中央重賞懐古的回顧」。第40回は1979年の朝日杯3歳S(旧馬齢表記・現在の朝日杯フューチュリティステークスに当たる)優勝馬リンドタイヨーを取り上げる。
(当記事における馬齢表記は旧馬齢表記に統一)
期待馬ほどレースの数を使わなくなった昨今、路線の本命と目される馬が大目標のG1へ向けてレース間隔を2ヶ月以上空けて挑むなんてことはざらにある。2014年に阪神へと舞台を移した朝日杯FSも近年はデビュー3戦目や4戦目で勝った馬が大半だ。朝日杯を勝つために出走回数をセーブして臨む、ということは翌春のクラシックを獲るためにも必要なのだろうし、外厩全盛の今現在では理に適っているのだろう。
今から43年前の、1979年の朝日杯3歳Sを制したリンドタイヨーは同競走でデビュー9戦目であった。これは1970年代当時にしても異例のキャリアであり、リンドタイヨー以前に9戦目を超えるキャリアで朝日杯を勝った馬を探すと1953年のタカオーまで遡る必要がある。そのタカオーは5歳夏に中央競馬を去るまで46戦(!)を経験した一流馬では稀有な存在。しかしタカオーが勝った朝日杯は中山芝1100mで行われていたのだから、そもそも時代が違いすぎるというものだ。リンドタイヨーのキャリアの異様さが1970年代では突出していることは間違いない。
そのリンドタイヨーはオペックホースやモンテプリンス、アンバーシャダイなどと同期に当たる1977年生まれ。1979年6月にデビューしたが当初は出負けしがち且つジリ脚で勝ち味に遅く、2着や3着が多かった。朝日杯までに8戦を使われたが、勝ち星は3戦目の未勝利戦1つだけ。なおかつ北海道3歳S(現在の札幌2歳S)、函館3歳S、京成杯3歳Sと、出走可能な3歳重賞に皆勤するという過酷なローテーションを使われていた。
上述の通り、12月にはデビュー9戦目にして大一番の朝日杯3歳Sを制したものの、これは鞍上の横山富雄騎手がコーナーでインを突いたことで生まれたアドバンテージによってサーペンプリンスの強襲をクビ差だけ抑えたという内容であり、リンドタイヨー自身に対する評価はそう高いものではなかった。同年の優駿賞最優秀3歳牡馬に選ばれたことにしても、当時の西の3歳王者決定戦・阪神3歳Sを勝ったラフオンテースが牝馬だったことが大きかった。
ところが、4歳シーズンの2戦目・東京4歳S(現在の共同通信杯)を4馬身差圧勝したことで周囲の彼への評価は一変する。4角ではほぼドンジリから一気の脚を使ってトウショウゴッド以下を一蹴するインパクトある競馬。掲示板外にはモンテプリンスやハワイアンイメージもいたが相手にならなかった。この圧勝劇により「ダービー候補」との声も上がったのだが…。
リンドタイヨーの天下は短かった。キャリア11戦のツケが回ってきたのか、皐月賞への調整中に深管骨瘤が出て春を棒に振り、同年秋に復帰したものの輝きが戻ることはなかった。6歳時は平場オープンでも苦戦を続けて、復活を目指していた7歳の夏…1983年7月に白血病のため死亡。競走馬としては非常に珍しい病魔の前に、かつての「幻のダービー馬」は衆寡敵せず敗れ去った。
リンドタイヨー
牡 鹿毛 1977年生
父テスコボーイ 母ガレイ 母父オーロイ
競走成績:中央21戦3勝
主な勝ち鞍:朝日杯3歳S 東京4歳S
(文・古橋うなぎ)