週末に行われる中央重賞の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、競馬の長い歴史の狭間できらめいた馬を紹介する「中央重賞懐古的回顧」。第11回は2001年の新潟記念優勝馬サンプレイスを取り上げる。
スポーツ選手にしてもアーティストにしても技術者にしても、ある分野のパイオニアが第一人者として後々まで輝き続けることは難しい。もちろん、パイオニアは先行者利益に与れるというメリットがあるのだが、そもそも先駆者となった人物が最も才能に満ち溢れているかというとそうとは限らないし、むしろその通りであることの方が少ないはず。後追いの人間の工作や追い落としに敗れ去るケースも中にはあろう。“コロンブスの卵”を生み出した功績はあるにせよ、トップランナーであり続けるためには弛まぬ努力が必要になる。
第10回の主人公プライムステージの名がサンデーサイレンス史の種牡馬時代の章の冒頭に刻まれているとしたら、その近親に当たるサンプレイスは後の黄金配合「サンデーサイレンス×トニービン牝馬」の節の最初の1ページであり、言うなれば彼はこの分野のパイオニアである(厳密に言うと、この配合で最初にデビューしたのは同い年のトロバトーレという馬であるが)。原稿を書いている8月22日現在の話題に例えると、サンプレイスは甲子園の東北勢における三沢高校の太田幸司のようなものだ。存在するだけで価値がある。
東北勢における太田幸司の存在と趣の違う点があるとすれば、サンプレイスがデビューした翌年に同配合のアドマイヤベガがダービーを制して早々と天下を獲ってしまったことか。1つ年少の後輩がすぐさま白河の関を越えて日本一に輝いたのだから、これではパイオニアの顔が立たない。アドマイヤベガやその全弟アドマイヤボス、あるいはノースフライトの愛息ミスキャストといった面々が大舞台にて躍動する中、先駆者であるが故障がちなサンプレイスは雌伏の時を過ごし、次第に世間から忘れ去られていった。
改修工事を終え、新装開店と相成った新潟競馬場。2001年の新潟記念にサンプレイスは名を連ねていた。同年春の戦列復帰以降準オープンクラスで戦績を重ねて、前走サマーSをトップハンデで完勝した彼は、2年4ヶ月ぶりの重賞の舞台で堂々1番人気の支持を受けた。レースぶりは危なげなく、ワンターンの新潟外回りコースにて好位の内でバッチリ折り合うと、直線半ばで外へと持ち出して、この配合らしくのびのび走って突き抜けた。パイオニア復活!という血統面から見たトピック以上に、その当時の世間ではいわゆる「98世代」の生き残りが重賞を勝ったことが話題を呼んだ。
秋への期待が高まった矢先、週明けに屈腱炎が判明したサンプレイスはあえなく引退に追い込まれてしまう。その後幸運にも血筋を繋げる機会を授かった彼は、2005年6月に死亡するまでの4シーズンで合計40頭余りの産駒を遺した。代表産駒リメインオブザサンは重賞にコマを進めており、同馬の出走時には在りし日のサンプレイスの姿が思い起こされ、その度に死を惜しまれた。なお、SS×TB配合からは2001年生まれのハーツクライが登場し、現在では同馬が分野の第一人者として血を広げていることは皆さんご存知の通りである。
サンプレイス
牡 黒鹿毛 1995年生
父サンデーサイレンス 母サンシャインステラ 母父トニービン
競走成績:中央15戦5勝
主な勝ち鞍:新潟記念
(文・古橋うなぎ)