週末に行われる中央重賞の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、競馬の長い歴史の狭間できらめいた馬を紹介する「中央重賞懐古的回顧」。第15回は1991年のセントライト記念優勝馬ストロングカイザーを取り上げる。
筆者の私はいわゆる“血統派競馬ファン”であるから、競走馬一頭一頭を血統データの集合体として考えがちである。まず父と母、次に競走成績、それに所属厩舎…という順番で頭にインプットしていくわけだが、そうなると混同しがちなのが共にセントライト記念を制覇しているストロングカイザーとラガーチャンピオンなのだ。生年はそれぞれ1988年と1990年であり、世代には2年の開きがあるのだが、「父ホリスキーのセントライト記念勝ち馬」という共通したプロフィールにはよく悩まされる。
2頭の父である菊花賞馬ホリスキーの産駒のイメージと言えば、キレは無いが先行力がある、馬力があって使い減りしない、G2に強いがG1だとからっきしといったところか。そして特徴をもう一つ付け加えるとすれば、主要4場の中でも特に中山に向くという点。ストロングカイザーが制したセントライト記念は、彼の血統的長所を十二分に活かしたレースであった。
1991年のセントライト記念というと、同年10月の馬連の全国発売に伴い単枠指定制度が最後に適用された競走となったことで知られる。制度の対象馬は8枠13番レオダーバン。ダービー2着馬であり、件のホリスキー以来となるマルゼンスキー産駒による菊花賞制覇に臨む強豪であった。このレオダーバンが抜けた人気で、離れた2番人気以下に良血馬アサキチ、前走で初重賞を手にしたツインターボ、豪快な末脚が売りのブリザードと続く。その一方で、大ベテラン増沢末夫騎手が跨るストロングカイザーは駒草賞勝ちの実績がありながらも単勝8番人気にすぎなかった。
想定通りにツインターボがまず飛び出した。前走のラジオたんぱ賞と同様に高速ラップが刻まれたが、対するストロングカイザーの増沢騎手は逃げ馬の粘り腰を前走で目の当たりにしたこともあり、深追いしない程度に好位からプレッシャーをかけた。直線に入ってもツインターボの脚は鈍らなかったが、中山の急坂を上るに連れて2番手のストロングカイザーが差を詰めてくる。中団で運んだレオダーバンも2頭を追いかけたが届かず、ゴール前ではストロングカイザーがツインターボをクビ差だけ交わしていた。
中山の舞台と36秒台の上がり、それにラジオたんぱ賞の教訓を活かした形で、逃げ馬を測ったように差し切った技ありの勝利。翌年鞭を置くことになる増沢騎手が、熟練の手腕によって騎手時代最後の重賞勝利を飾ったのであった。
名手を背にセントライト記念を制覇したストロングカイザー。ところが、父ホリスキーとの菊花賞父子制覇を彼に期待する声は皆無であった。それもそのはず、なんと彼はクラシック登録が無かったのだ。オグリキャップ登場時に物議を醸した追加登録制度が導入されたのは翌1992年のことで、前哨戦の勝ち馬が本番に出走できないという事態は3歳戦線を大いに白けさせた。当のストロングカイザーはその後脚部不安に苛まれて不振に陥り、下って1995年の秋に三条競馬場にてその生涯を終えている。
ストロングカイザー
牡 黒鹿毛 1988年生
父ホリスキー 母ダンフリースシチー 母父アローエクスプレス
競走成績:中央19戦4勝 地方19戦0勝
主な勝ち鞍:セントライト記念
(文・古橋うなぎ)