ホリスキー(競走馬)

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抹消  黒鹿毛 1979年4月13日生
調教師本郷重彦(美浦)
馬主堀川 三之助
生産者なべかけ牧場
生産地栃木県
戦績 0戦[0-0-0-0]
総賞金18,347万円
収得賞金3,550万円
英字表記Horisky
血統 マルゼンスキー
血統 ][ 産駒 ]
Nijinsky
シル
オキノバンダ
血統 ][ 産駒 ]
オンリーフオアライフ
メジロビーナス
兄弟 オキノヒスイホリネイティブ
市場価格
前走
次走予定

ホリスキーの競走成績

[ 競走データ ] [ 繁殖データ ]
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成績 条件別 競馬場別 距離別 重量別 騎手別 タイム別
開催日

R 競走名 コース









指数

負担
重量
(kg)
騎手調教師



馬体重
(kg)




(秒)

3F
通過順 1(2)着馬
履歴はありません。

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週末に行われる中央重賞の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、競馬の長い歴史の狭間できらめいた馬を紹介する「中央重賞懐古的回顧」。第29回は1983年のアルゼンチン共和国杯優勝馬ミナガワマンナを取り上げる。


「また菅原だ、また菅原」の杉本節により完成をみた菅原泰夫騎手の菊花賞連覇。先達を担った1981年の菊花賞ミナガワマンナは、シンザン産駒初のクラシックホースにしてグレード制以前の古き良き時代を彩った1頭であった。彼は4歳時からアルゼンチン共和国杯を2連覇しているが、2連覇目は前時代の日本競馬の魅力を凝縮した一戦として名高い。

1981年に、それまでの5月の東京開催から春天前の中山開催に施行時期が移動したアルゼンチン共和国杯。早い話が、現行の日経賞とほぼ同じ役割を担ったというわけだ。そして1983年も天皇賞の前哨戦として長丁場に大望を抱く強豪が集った。

単枠指定を受けて本命視されたのは、悲願の天皇賞制覇を春に懸ける6歳馬アンバーシャダイ。この2年前のグランプリホースは賞金別定戦故に60キロを背負ったが、前走AJCCからの連勝が期待された。そのAJCCでクビ差屈したミナガワマンナが2番人気。鞍上は馴染みの菅原騎手ではなく、AJCCがテン乗りの郷原洋行騎手。前年ミナガワマンナは王者アンバーシャダイを食ったが、その際2頭は3キロの斤量差があった。今度は58キロなので2キロ差…果たして。

スタミナが自慢で3番人気のホリスキーは冒頭で述べた「また菅原」の文句で知られる1982年の菊花賞馬。今回の上位人気3頭が轡を並べた1月のAJCC以降、菅原騎手はミナガワマンナではなくこの馬を選び続けた。以下、前年秋の天皇賞をレコード勝ちしたメジロティターン、金杯勝ち馬ヨロズハピネス、2年前の覇者ウエスタンジェットと続いた。

紅一点のスイートレスターがすんなりハナ。ミナガワマンナは中団に構え、アンバーシャダイがそれを後方からマークした。ホリスキーはさらに後ろ。向正面まで実に平穏に流れたが、逃げを打った増沢末夫騎手が道中かなり息を入れたことでマクリを得意とするミナガワマンナにとって願ってもない展開となる。

3角手前でミナガワマンナが動いて先頭に並びかけると、呼応するかのようにアンバーシャダイも追撃開始。ホリスキーも後方から大マクリを図る。4角過ぎで逃げ馬が力尽きて直線は3頭の世界に。「ミナガワマンナ頑張った!アンバーが来る!ホリスキーが3番手。ティターンは届かない」と実況の盛山毅アナもヒートアップ。郷原騎手の気迫に応えてミナガワマンナが最内で踏ん張り、外のホリスキーが間のアンバーシャダイを差して2番手に上がったかと思われた刹那、劣勢のアンバーシャダイがグイッと伸びる…1着から3着までハナ差ハナ差の激戦を制したのはミナガワマンナだった。

ミナガワマンナお得意のロングスパートをバッチリ決めた郷原騎手は「自分の競馬をしたのが勝因だね」と語った。2着に負けたアンバーシャダイも勝負根性を発揮し、3着ホリスキー菊花賞馬として地力を示した。古馬の大一番においてミナガワマンナはことごとく足りなかったが、このアルゼンチン共和国杯は前時代的ステイヤーたちの競演として一見の価値があろう。

ミナガワマンナ
牡 鹿毛 1978年生
父シンザン 母ロングマンナ 母父ヴィミー
競走成績:中央25戦7勝
主な勝ち鞍:菊花賞 アルゼンチン共和国杯(2回)

(文・古橋うなぎ)

【中央重賞懐古的回顧】1991年セントライト記念 幻となった「父子の菊」ストロングカイザー 2022年9月12日(月) 15:00


週末に行われる中央重賞の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、競馬の長い歴史の狭間できらめいた馬を紹介する「中央重賞懐古的回顧」。第15回は1991年のセントライト記念優勝馬ストロングカイザーを取り上げる。


筆者の私はいわゆる“血統派競馬ファン”であるから、競走馬一頭一頭を血統データの集合体として考えがちである。まず父と母、次に競走成績、それに所属厩舎…という順番で頭にインプットしていくわけだが、そうなると混同しがちなのが共にセントライト記念を制覇しているストロングカイザーとラガーチャンピオンなのだ。生年はそれぞれ1988年と1990年であり、世代には2年の開きがあるのだが、「父ホリスキーセントライト記念勝ち馬」という共通したプロフィールにはよく悩まされる。

2頭の父である菊花賞ホリスキーの産駒のイメージと言えば、キレは無いが先行力がある、馬力があって使い減りしない、G2に強いがG1だとからっきしといったところか。そして特徴をもう一つ付け加えるとすれば、主要4場の中でも特に中山に向くという点。ストロングカイザーが制したセントライト記念は、彼の血統的長所を十二分に活かしたレースであった。

1991年のセントライト記念というと、同年10月の馬連の全国発売に伴い単枠指定制度が最後に適用された競走となったことで知られる。制度の対象馬は8枠13番レオダーバン。ダービー2着馬であり、件のホリスキー以来となるマルゼンスキー産駒による菊花賞制覇に臨む強豪であった。このレオダーバンが抜けた人気で、離れた2番人気以下に良血馬アサキチ、前走で初重賞を手にしたツインターボ、豪快な末脚が売りのブリザードと続く。その一方で、大ベテラン増沢末夫騎手が跨るストロングカイザーは駒草賞勝ちの実績がありながらも単勝8番人気にすぎなかった。

想定通りにツインターボがまず飛び出した。前走のラジオたんぱ賞と同様に高速ラップが刻まれたが、対するストロングカイザーの増沢騎手は逃げ馬の粘り腰を前走で目の当たりにしたこともあり、深追いしない程度に好位からプレッシャーをかけた。直線に入ってもツインターボの脚は鈍らなかったが、中山の急坂を上るに連れて2番手のストロングカイザーが差を詰めてくる。中団で運んだレオダーバンも2頭を追いかけたが届かず、ゴール前ではストロングカイザーがツインターボをクビ差だけ交わしていた。

中山の舞台と36秒台の上がり、それにラジオたんぱ賞の教訓を活かした形で、逃げ馬を測ったように差し切った技ありの勝利。翌年鞭を置くことになる増沢騎手が、熟練の手腕によって騎手時代最後の重賞勝利を飾ったのであった。

名手を背にセントライト記念を制覇したストロングカイザー。ところが、父ホリスキーとの菊花賞父子制覇を彼に期待する声は皆無であった。それもそのはず、なんと彼はクラシック登録が無かったのだ。オグリキャップ登場時に物議を醸した追加登録制度が導入されたのは翌1992年のことで、前哨戦の勝ち馬が本番に出走できないという事態は3歳戦線を大いに白けさせた。当のストロングカイザーはその後脚部不安に苛まれて不振に陥り、下って1995年の秋に三条競馬場にてその生涯を終えている。

ストロングカイザー
牡 黒鹿毛 1988年生
ホリスキー 母ダンフリースシチー 母父アローエクスプレス
競走成績:中央19戦4勝 地方19戦0勝
主な勝ち鞍:セントライト記念

(文・古橋うなぎ)

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