週末に行われる中央重賞の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、競馬の長い歴史の狭間できらめいた馬を紹介する「中央重賞懐古的回顧」。第12回は1995年の京王杯オータムハンデ(現在の京成杯オータムハンデに当たる)優勝馬ドージマムテキを取り上げる。
よしだみほ『馬なり1ハロン劇場』をはじめとして、競馬関連の創作物に決まって年老いた姿で描かれる馬、それがドージマムテキである。彼のパブリックイメージは競走生活晩年の、森秀行調教師が敢行した海外遠征における帯同馬としての様子でほぼ固定されていると言っても良いはず。だからこそ、今回はあえて若き日の彼…戸山為夫厩舎時代から森厩舎時代初期に的を絞って書くことに私は決めた。
母のドージマビクトリーは現役時戸山調教師が管理した馬で、有馬記念出走時のテュデナムキングに師が見惚れたことから2頭を交配したと言われる。ミホノブルボンの興奮冷めやらぬ1993年1月にデビュー。それから2連勝を飾って春二冠に勇躍挑んだが、いずれも大敗。特にダービーは完走馬中シンガリ負けだった。そのダービーの前日に戸山師が死去したため、鶴留明雄厩舎に一時転厩している。
特に若い頃のドージマムテキは折り合いに不安を抱えていたが、マイル以下なら道中貯められれば確実に脚を使えた。彼の秘めたる実力を証明したのが、不良馬場で行われた同年のマイルチャンピオンシップであった。湿った馬場だと不思議と上手く折り合える彼は、好位からよく伸びてシンコウラブリイの3着に健闘。実績面で言えばG1の強力なメンバー中で見劣りしただけに、単勝10番人気での激走は世間に驚きをもって迎えられた。なお、同年秋に彼は鶴留厩舎から森厩舎に移り、森師の方針により主戦の小島貞博騎手は同レース限りでお役御免となってしまった。
G1・3着を勲章にして飛躍が期待された4歳時は惜敗と惨敗を重ね、秋には準オープンに降級したがそれでも勝てなかった。だが、同年11月以降の休養が良い方向に出たようで、5歳の夏から秋にかけて「最高のデキ」と森師が後に回顧するほどの充実期を迎える。蛯名正義騎手を主戦に迎えた彼の成長は目覚ましく、格上挑戦のBSNオープンをレコード勝ち。まさにムテキの勢いで出走したのが、夏の上がり馬ヒシアケボノが4連勝でコマを進め、同年の皐月賞馬ジェニュインが復帰戦に定めたG3・京王杯オータムハンデであった。蛯名騎手が前週に騎乗停止処分を受けたため、鞍上には柴田善臣騎手が据えられた。
ハナを切ったオノデンリンゴが飛ばして展開が流れる中、ハンデ57.5キロを背負ったジェニュインは好位の内に、対して55キロのドージマムテキはその外に付けて、若き皐月賞馬をマークするような位置で競馬を進めた。ところが3角辺りで逃げ馬が故障を発症してズルズル後退。ジェニュインはその煽りを食う形となる。直線では早め先頭から押し切ろうとしたヒシアケボノの内をジェニュインがすくうも交わすのに手間取り、もつれた2頭をドージマムテキが外からまとめて差し切った。
前年の安田記念以来の重賞挑戦で挙げた大金星。亡き戸山師が心酔した血筋を、弟子の森師が見事に花開かせた瞬間であった。
ドージマムテキ
牡 鹿毛 1990年生
父テュデナムキング 母ドージマビクトリー 母父クレバーフェラ
競走成績:中央50戦4勝 地方2戦0勝 海外5戦0勝
主な勝ち鞍:京王杯オータムハンデ
(文・古橋うなぎ)