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週末に行われる中央重賞の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、競馬の長い歴史の狭間できらめいた馬を紹介する「中央重賞懐古的回顧」。第26回は2000年のMBS賞スワンS優勝馬ダイタクヤマトを取り上げる。
6歳を迎えた2000年の、16頭立て16番人気のスプリンターズSにおける勝利があまりにも衝撃的であったが故に、「超晩成の一発屋」といった文脈で語られがちなダイタクヤマトだが、2歳時に初勝利をタイレコードで飾っているなど実は早くから素質の片鱗を見せていた。また、3歳春にクリスタルCを感冒で取り消した際には、当時の競馬文化を映す鏡と呼ぶべき存在であった『馬なり1ハロン劇場』にチョイ役で登場している。ただしこの“出演”は父ダイタクヘリオスのバーターも同然だし、毛色のスクリーントーンが栗毛に間違われていたぐらい当時の知名度は低かったのだが。
ともかく、思わぬ形で一足飛びにG1馬の仲間入りを果たしたダイタクヤマト。アグネスワールドやブラックホーク、キングヘイローなどを向こうに回してのG1勝ちだから価値があった。しかしながら、この時点での彼に対する世間の評価は決して高くなかった。それを端的に示したのが次走スワンSでの単勝人気であろう。自身を含めてG1馬が7頭名を連ねたとは言え、重賞未勝利のチェックメイトよりも下の8番人気とはナメられたものだ。しかも複勝の売上のシェアは単勝のそれよりもさらに低く、いかにその実力が疑問視されていたかが分かる。
上位人気に目をやれば、単勝1番人気は笠松所属のレジェンドハンターであった。デイリー杯を完勝するも紆余曲折あって中央クラシックを断念したこの3歳馬は、ここまで底を見せていない。加えて地方馬であることや血統面も相まって当時アイドル的な人気があったことも事実だ。その人気ぶりは朝日杯にて同馬を降したエイシンプレストンを凌いでおり、再度の中央挑戦に捲土重来を期待する声は少なくなかった。
テンに速いテネシーガールとレジェンドハンターがまず先行してペースは緩まなかった。一方、江田照男騎手を背に好発を決めたダイタクヤマトは道中3番手。「すんなり行けるのなら」と差の無い2番手だった前走に近い展開を想定していた江田騎手だが、思いがけず好位で構えた。59キロの斤量を考えると早めに動く必要があったが、千四への距離延長が同騎手を慎重にさせたのだ。ところが前の2頭が4角過ぎで早々脱落。番手からそのまま繰り上がってダイタクヤマトが直線先頭に立ち、シンボリインディの追撃を結局封じた。
このスワンSでの勝利はダイタクヤマトに関する固定観念を2つ覆した。まずスプリンターズSでの大金星はフロックでは無かったということ、そして気分に任せて行くだけでは無く好位差しができる馬であったということだ。先述のように若い頃から才気を示した馬ではあったものの、この年齢にして彼は階段をさらに上った。テスコボーイの影響が強い馬は歳を重ねるに連れて体がしっかりすると聞くが、競走寿命の短い当時の日本競馬の常識では考えられないような特異な成長曲線を描きつつ、江田騎手の手腕によりレースぶりも醸成させた「G1ウイナー・ダイタクヤマト」がここに完成した。
ダイタクヤマト
牡 黒鹿毛 1994年生
父ダイタクヘリオス 母ダイタクブレインズ 母父テスコボーイ
競走成績:中央39戦10勝 海外1戦0勝
主な勝ち鞍:スプリンターズS スワンS 阪急杯
(文・古橋うなぎ)
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