「名は体を表す」という言の葉あれば「名前負け」という言の葉あり申す。某(それがし)の名意は仏語にて「強き剣(つるぎ)」。幸いにして某の場合、名は体を表し申した。此度(こたび)は某の話、語り申し上げる。 デビューは2001年12月、阪神芝の1200m。圧倒的一番人気に応えて勝ち申し、続く2戦目は取りこぼしたものの、秋までに3連勝。5戦4勝2着1回の道のりは、確かに“名馬街道”であり申した。6戦目、G1マイルCSに挑み申したが10着敗退。陣営は某の実力を「G1級ではない」と判断し、以降OP特別を中心に走り、成績も平凡なものになりつつあり申した。 ここまでならば某、“名前負け”の一頭で終わっていたのであり申すが、運命を変える出会いが4歳秋に訪れ申した。左様、池添謙一氏(うじ)との出会いでござる。 初乗りのセントウルS。レースは1、2番人気の平穏決着であり申したが、謙一氏を背にした某、勝ち負け一切無関係のところでファンの目に焼き付く強烈な末脚を披露。3着に入り申した。 陣営はそれでも某の力を信じておりませんでしたが、「さて次どこに出そうかいな?」という話になった折、謙一氏が陣営に強く進言してくれたのであり申す。 「こやつを、スプリンターズS(G1)に向かわせてくだされ」と…。 俠気(おとこぎ)というものがこの世にあるのならまさにそれを見せられ、この恩を必ず返さねばならぬ…斯様に(かように)思い申した。 謙一氏と駆けた競走は数知れぬものの、ただ一つ思い出深きそれを申せ、と言われればやはり、某覚醒の一戦となったスプリンターズSであり申す。 「発馬なんてものは、ただ出さえすれば良い」 そう宣われ(のたまわれ)ました。短距離戦は皆が良き位置を競い合うて前へ、前へ…行き申す。某は謙一氏を背に言われた通りに“出るだけ”出申した。 氏との初タッグ、セントウルSを勝ったテンシノキセキ嬢が逃げ、これを追う形でショウナンタイム嬢。翌年のスプリンターズSでは某が敗北する、カルストンライトオ殿がこの時は3番手。そして某の矢坪(やつぼ=矢を射る時の的→目標)であり、スプリントG1を連勝中のビリーヴの女御(にょうご≒女王)は4番手。この年の安田記念で3着し、2005年の高松宮記念を勝つことになるアドマイヤマックス殿が某の2頭前におられたが、氏は某を急かすことなく、デンと構えておられた。つまり某、最後方。 謙一氏が腰を上げたのは4角手前。「どれ…行くか、デュランダル」の声に合わせ、某、外、外を通り直線へ。どんなレースでも直線一番外には誰もおらないのであり申す。 残り400m。先頭までは6馬身…。ビリーヴの女御が外目からスーッと上がられるのが見え申した。あっという間に先頭に立たれると、残り200mで力強く抜け出され、差を広げようとなされる。内を見やれば馬場の3分どころを、良い脚でアドマイヤマックス殿。ただ某、恩を返さぬわけには行かないのでござる。そして某の名は「デュランダル」。強き剣の勝ちっぷりは無論「一刀両断」。 ビリーヴの女御は確かに速きお方であられた。然し某、残り50mで矢のように伸びると、氏の御意(ぎょい=命令)のもと、女御を一刀両断に仕留め申した。(斬った!)という確かな感触があり申したが、TVの実況アナウンサーにはその瞬間が見えなかったのでござろうか、 「ビリーヴか、ビリーヴか!ビリーヴか!ビリーヴかぁッ!!?」 女御の御名を四度(たび)、呼び申した。 「大外一気は他力本願。」人はその様に申される様ですが…。某思うに切れるか否かは“剣の切れ次第”。天下無双の斬り捨て御免、デュランダルのお話であり申した。 デュランダル 父:サンデーサイレンス 母:サワヤカプリンセス 母父:ノーザンテースト 鹿毛 1999年生 通算成績:18戦8勝 主な勝ち鞍 スプリンターズS マイルCS(G1) 主な産駒 エリンコート フラガラッハ