グリーンセンスセラさんの競馬日記

トーホウジャッカルが引退

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トーホウジャッカルが引退。「3.11」に生まれた2014年菊花賞馬の数奇な競走生活
文=ギャンブルジャーナル編集部━ Gambling Journal ギャンブルジャーナル/2017年01月12日 21時00分00秒http://biz-journal.jp/gj/2017/01/post_2287.html

 2014年の菊花賞を制したトーホウジャッカルが、1月13日(金)付けで競走馬登録を抹消されたことが分かった。今後はアロースタッドで種牡馬入りするとのこと。JRA通算成績13戦3勝である。

 11年3月11日、この世に生を受けたトーホウジャッカル。彼がG1の栄光を手にするまでの過酷な道のりは、震災の日に生まれた運命を表しているかのようだ。

 北海道・繁殖牝馬が20頭程度の小規模牧場・竹島牧場で生まれたトーホウジャッカル。鮮やかな栗毛に金色のたてがみという「尾花栗毛」の美しい同馬は、悲惨すぎる映像を見つめる牧場の関係者にとって、希望の象徴のように映ったのではなかろうか。

 その後同馬は順調に育ち、栗東の谷潔厩舎に所属が決まる。そう、ここまでは順調だった。

 しかし、育成牧場で鍛えられ、デビューも近くなった2歳時にトーホウジャッカルは重度の腸炎を患い、一時は生死の境をさまようことになる。唐突に訪れた「危機」――。関係者の尽力でなんとか一命はとりとめたものの、同馬の馬体重は50キロも減少していた。もはや競馬で勝つ負ける以前に、競走馬としてレースに出走できるのかも怪しい状況だったのだ。

 回復したのは翌年、3歳を迎えた3月。2歳の夏場から新馬戦が始まっていることを考えれば、相当な出遅れといえよう。結局、競走馬としてデビューしたのも5月31日の京都未勝利戦。ちょうど同世代のチャンピオンが決まる日本ダービーの前日だった。

 酒井学騎手が鞍上で迎えたデビュー戦は10着、幸英明騎手騎乗で臨んだ2戦目は9着と、とてもではないが期待を持てるような結果ではなかったのだが......。

 酒井騎手は、同馬のレースセンスを感じたのか、谷厩舎にもう一度乗りたいと直訴。その後中京の未勝利戦を勝ち上がると、続く500万下と連勝。さらに、小倉の玄海特別で歴戦の古馬相手に堂々2着となり、同馬のポテンシャルが徐々に解放されつつあった。

 そして、運命の3歳・秋。G1菊花賞のトライアルである、神戸新聞杯に抽選を突破して出走。同レースには同年のダービー馬ワンアンドオンリーや、有力馬であるサウンズオブアースも出走していたが、この2頭に前を塞がれる不利がありながらもタイム差なしの3着に好走。菊花賞への優先出走権を獲得した。


 迎えた本番、菊花賞。内枠を引いた同馬は、5番手のインコースという絶好の位置で脚を溜めることに成功。最後の直線をスムーズに抜け出すと、ワンアンドオンリーやトゥザワールドなど人気馬を置き去りにし、サウンズオブアースの追撃も振り切って見事G1制覇を達成。谷潔調教師は開業20年で初のG1制覇、デビュー149日での菊花賞制覇は史上最短、タイムは従来のレコードを1秒7も更新するなど、記録ずくめの勝利となった。淀に現れた金色のニューヒーロー誕生に、観衆は酔いしれた......。

"あの日"に生まれ、生死の境をさまよい、奇跡のような復活を遂げて世代の頂点へ......。なんとも出来過ぎたストーリーではあるが、日本中を絶望させた出来事とリンクさせ、競馬のロマンを強く感じた人も多かったのではないだろうか。

 続く15年、トーホウジャッカルはケガの影響もあってか思うような活躍ができずに終わった。16年には天皇賞・春で5着に入りステイヤーとしての素質を見せるも、勝利は得られず、今年になって引退が決まった。

 逆境を越え、ひたむきに生きて栄光をつかんだトーホウジャッカルの姿は、苦境にあっても笑顔を絶やさぬよう生きる被災地の人々の姿と重なる。負の状況を越え、プラスに変えることこそが"強さ"なのだと教えてくれた。そういう意味では、紛れもない名馬だったと言えるのではないか。
(文=ギャンブルジャーナル編集部)

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