グリーンセンスセラさんの競馬日記

再掲載 🏇「18億円馬券」を換金せず棒に振った伝説のギャンブラーとは?

 公開

734

「18億円馬券」を換金せず棒に振った伝説のギャンブラーとは?━Gigazine 2019年09月07日 23時00分 https://gigazine.net/news/20190907-horse-racing-cracked/

2001年11月6日、香港の競馬場で3レース連続で1~3着の馬が全て的中し、1億1800万香港ドル(当時のレートで約18億3000万円)の払戻額がついた当たり馬券が発生しました。しかし、馬券の持ち主が名乗り出なかったため、賞金は慈善団体に寄付されることになります。「自分がその時のギャンブラーだ」と名乗るビル・ベンター氏への取材を行った経済紙Bloombergが、競馬の予想で巨万の富を築いたギャンブラーの素顔に迫りました。

The Gambler Who Cracked the Horse-Racing Code - Bloomberg
https://www.bloomberg.com/news/features/2018-05-03/the-gambler-who-cracked-the-horse-racing-code

1980年、ラスベガスにあるマクドナルドで、ピッツバーグ州の田舎町からやってきた若者が深夜勤のアルバイトをしていました。この若者こそ、後に競馬の予想プログラムを開発して10億ドル(約1070億円)を稼ぐことになるビル・ベンター氏です。

確率論を応用してギャンブルを攻略した数学者エドワード・ソープの著書「ディーラーをやっつけろ! 」に触発されたベンター氏は、マクドナルドで働いて稼いだ軍資金を手にカジノに通い詰め、すぐに連勝を重ねるようになりました。

ラスベガスのカジノに通っていた時代のベンター氏。

📷画像⇒https://i.gzn.jp/img/2019/09/07/horse-racing-cracked/800x-1_m.jpg

ベンター氏がカジノで勝ち続けることができたのは、カジノで人気のトランプゲーム「ブラックジャック」で、場に出たカードを記憶して有利な状況を見抜く「カウンティング」という手法を身に付けていたからです。

しかし、カウンティングは単にカードを記憶するだけでなく、膨大な計算を頭の中だけでこなす必要があるため、学生時代に数学が大得意だったベンター氏でも独力でカウンティングをするのは不可能でした。そんなベンター氏の助けになったのが、無二の親友のアラン・ウッズ氏です。

もともとオーストラリアの保険会社で、ビジネスの不確実性について分析するアクチュアリーとして働きつつ妻子を養っていたウッズ氏ですが、30代半ばで「自分には家庭人は無理だ」と家を飛び出し、さすらいのギャンブラーとして世界中を旅していました。その後ラスベガスにたどり着いたウッズ氏は、グループでカウンティングを仕掛ける「カードカウントチーム」を結成。ベンター氏に先駆けて、ラスベガスのカジノで派手に活躍していました。

ウッズ氏のチームに仲間入りしたベンター氏はすぐに頭角を現し、程なくして年に800万ドル(当時のレートで約18億円)を稼ぐようになります。しかし、あまりにも荒稼ぎしすぎてしまったベンター氏とウッズ氏は、ラスベガス中のカジノで出入り禁止となってしまいました。

ベンター氏とウッズ氏のコンビが次なる標的に定めたのが、当時イギリス領だった香港の競馬です。競馬に関する本を読みあさり、従業員を雇ってレース記録を膨大なデータベースにまとめたベンター氏とウッズ氏は、情報科学者ジョン・ラリー・ケリー・ジュニアの理論を元に、9カ月かけて競馬の予想ソフトを作り上げます。

その後、満を持して香港に向かったベンター氏らですが、最初のシーズンのレースで惨敗を喫する結果に。軍資金の大半を失った2人は、1カ月後に香港で落ち合う約束をして、手分けして資金を集め直すことにしました。しかし、ラスベガスに舞い戻ったベンター氏は資金集めに失敗してしまいます。一方、韓国の賭場を荒らして大量の資金をかき集めてきたウッズ氏は、自らの資金の方が多いことを理由に、新しい予想ソフトで勝てた際には、分け前の90%を渡すよう要求しました。

この条件をのめなかったベンター氏はウッズ氏とたもとを分かつことを決意します。その後、ベンター氏はかつてのカードカウントチームを率いてアメリカの東海岸に向かい、アトランティックシティのカジノに出入りしつつ、予想ソフトの開発を続けました。競走馬のパフォーマンスが気象条件に左右されると確信し、イギリスの気象学者を訪ねて大量の手書きのノートを写させてもらった結果、実際にはなんの関係もないことが判明するなど、新しい予想ソフトの開発は困難の連続でした。

2年の歳月をかけて新しい予想ソフトを完成させたベンター氏は、数十万ドルの元手とともに再び香港の競馬場に戻ります。競走馬のパフォーマンスを計算するのに使用するデータを、20種類から120種類に増やすなどの改良を加えた新しい予想ソフトは、高い精度でレース結果を予想することができました。

ベンター氏が、ラスベガスでの経験から気をつけていたのが「勝ちすぎた時には馬券を換金しないこと」でした。あまりにももうけ過ぎてしまって競馬場を出入り禁止になってしまった場合、苦労して作り上げた競馬の予想ソフトが無駄になってしまうためです。

ベンター氏と予想ソフトの開発チームが香港でクリスマスパーティーを開いた際の写真。

📷画像⇒https://i.gzn.jp/img/2019/09/07/horse-racing-cracked/0002_m.jpg

また、競馬では高額な賞金が発生した際にはレース後に盛大なセレモニーが開かれて、衆人環視の中で賞金が授与されることになっていますが、そこにベンター氏が現れれば、「西洋人がギャンブルで香港人の金を巻き上げている」と香港の市民の感情を逆なでしかねません。ベンター氏は、香港が1997年にイギリスから中国政府に返還されてから間もない時期に、悪い意味で注目を集める事態はなんとしても避けたいと考えていました。

そんな中、ベンター氏が迎えたのが2001年11月のレースです。自分の予想ソフトがはじき出した大穴に賭けてみたい魅力にあらがえなかったベンター氏は、40550ドル(約430万円)支払って馬券を購入。レースの結果は予想どおりでしたが、ベンター氏はあらかじめ決めていたとおり、馬券を換金せずに競馬場を後にしました。

レースの後、ベンター氏はレースを取り仕切るジョッキークラブ宛てに「賞金を受け取らない」という内容の手紙を書いて送りました。しかし、クラブ側はその経緯を公表せず、なぜ馬券が払い戻されないのかを明かそうとしなかったため、地元紙の競馬コラムニストが「未払いのままの1億1800万香港ドルが幽霊のようにさまよっている」と書くなど、香港の競馬関係者やギャンブラーたちは大いに不思議がることとなります。

レースから2カ月後に、賞金の払戻期限が過ぎると、賞金は規定どおり香港の慈善団体に寄付されることになりました。これについて取り上げた香港の英字新聞South China Morning Postは「1人の勝者が大損しましたが、寄付を通じてたくさんの恵まれない人々が勝者になりました」と書いています。

その後も競馬で勝ち続け、合計で10億ドル(約1070億円)以上を稼いたベンター氏は、2007年に慈善団体であるベンター財団を設立。香港やアメリカにおけるヘルスケアや文化・芸術の振興に取り組んでいます。また、その傍らで医療情報を取り扱う会社を経営していますが、会社の利益はベンター氏が趣味で楽しんでいる競馬のもうけに比べたら微々たるものだとのこと。

ピッツバーグのオフィスでBloombergの取材を受けるベンター氏。

📷画像⇒https://i.gzn.jp/img/2019/09/07/horse-racing-cracked/0003_m.jpg

ベンター氏はBloombergのインタビューに「ビジネスの世界は競馬の予想よりはるかに難しいですね。どうやら私には競馬しか取り柄がないようです」と語り、伝説的なギャンブラーに似つかわしくない素朴な人柄をのぞかせました。

 ナイス!(7

この日記へのコメント

コメントはありません。

新着競馬日記

人気競馬日記