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日本の競馬史のなかでも屈指の長い歴史と伝統を誇る、権威ある一戦。年に春と秋の2回開催され、2000mで行われる中距離王決定戦の秋に対し、3200mを舞台に争われる春は最強ステイヤー決定戦として認識されている。歴代優勝馬はいずれ劣らぬ名馬ばかりで、このレースを勝ってその年の年度代表馬に輝いた馬は数知れない。グレード制導入後だけを見ても、前年の三冠馬として臨んで鮮やかに勝利を収めた第91回(1985年)のシンボリルドルフ、第133回(2006年)のディープインパクト、このレースの連覇を含め7つのG1タイトルを獲得した第121~123回(2000~2001年)のテイエムオペラオー、第153・155回(2016~2017年)のキタサンブラックをはじめ、メジロマックイーン、ビワハヤヒデ、マヤノトップガン、メイショウサムソン、ゴールドシップなど、G1を複数回制した実績を持つ強豪の名前がズラリと並ぶ。ただし、かつては人気の実力馬が勝つ堅いレースとして有名だったものの、長距離レースを敬遠する世界的な風潮によってもたらされた近年のレベル低下は否めず、第129回(2004年)のイングランディーレは10番人気、第131回(2005年)のスズカマンボは13番人気、第139回(2009年)のマイネルキッツは12番人気、第145回(2012年)のビートブラックは14番人気といった具合に2桁人気の伏兵が番狂わせを演じ、大荒れになる年も増えつつある。
▼2015年のゴールドシップは3度目の挑戦でついに天皇賞の盾を獲得した。
中央競馬旧八大競走のひとつ。1905年、横浜の日本レースクラブが明治天皇から「菊花御紋付銀製花盛器」を下賜されて創設した「エンペラーズカップ」が前身となる。以後、全国7つの競馬倶楽部で「帝室御賞典」が催されるようになり、皇室から優勝杯が下賜されていた。1937年、7つの競馬倶楽部は日本競馬会に統合。それを機に「帝室御賞典」は春と秋の年2回、東西で開催されることになった。1937年秋の「帝室御賞典」が第1回の天皇賞とみなされ、1938年秋からは5歳(現在の4歳)以上、芝3200mの競走として整備された。1944年秋からは戦争のため中断されたが、戦後の1947年春に「平和賞」の名称で復活。同年秋から現行の「天皇賞」というレース名に改称された。現在、春は京都開催で定着しているが、第2~12回(1938~1943年)は阪神で行われていた。天皇賞の勝利は古馬最高の栄誉であり、一度勝った馬はその名を汚さぬよう、以後の天皇賞への出走権を与えられなかった(1981年以降は過去の優勝馬も出走可能に)。1984年、秋の天皇賞は2000mに短縮。これにより、春の天皇賞は「最強ステイヤー決定戦」、秋の天皇賞は「最強中距離馬決定戦」、とレースの色が明確に分かれることになった。また、2008年からメルボルンカップ(オーストラリア)の前年優勝馬を招待する制度が導入され、同時に天皇賞(春)の優勝馬にも同年のメルボルンカップへの優先出走権が与えられるようになった。
1986年以降の優勝馬を掲載しています。
優勝馬の馬齢は、2000年以前も現行表記と統一しています。
回数 | 開催日 | 優勝馬 |
---|---|---|
第169回 |
2024年4月28日
京都
芝3200m
|
テーオーロイヤル
栗
牡6 菱田裕二
岡田稲男
|
第167回 |
2023年4月30日
京都
芝3200m
|
ジャスティンパレス
栗
牡4 C.ルメール
杉山晴紀
|
第165回 |
2022年5月1日
阪神
芝3200m
|
タイトルホルダー
美
牡4 横山和生
栗田徹
|
第163回 |
2021年5月2日
阪神
芝3200m
|
ワールドプレミア
栗
牡5 福永祐一
友道康夫
|
第161回 |
2020年5月3日
京都
芝3200m
|
フィエールマン
美
牡5 C.ルメール
手塚貴久
|
第159回 |
2019年4月28日
京都
芝3200m
|
フィエールマン
美
牡4 C.ルメール
手塚貴久
|
第157回 |
2018年4月29日
京都
芝3200m
|
レインボーライン
栗
牡5 岩田康誠
浅見秀一
|
第155回 |
2017年4月30日
京都
芝3200m
|
キタサンブラック
栗
牡5 武豊
清水久詞
|
第153回 |
2016年5月1日
京都
芝3200m
|
キタサンブラック
栗
牡4 武豊
清水久詞
|
第151回 |
2015年5月3日
京都
芝3200m
|
ゴールドシップ
栗
牡6 横山典弘
須貝尚介
|
第149回 |
2014年5月4日
京都
芝3200m
|
フェノーメノ
美
牡5 蛯名正義
戸田博文
|
第147回 |
2013年4月28日
京都
芝3200m
|
フェノーメノ
美
牡4 蛯名正義
戸田博文
|
第145回 |
2012年4月29日
京都
芝3200m
|
ビートブラック
栗
牡5 石橋脩
中村均
|
第143回 |
2011年5月1日
京都
芝3200m
|
ヒルノダムール
栗
牡4 藤田伸二
昆貢
|
第141回 |
2010年5月2日
京都
芝3200m
|
ジャガーメイル
美
牡6 C.ウィリアムズ
堀宣行
|
第139回 |
2009年5月3日
京都
芝3200m
|
マイネルキッツ
美
牡6 松岡正海
国枝栄
|
第137回 |
2008年5月4日
京都
芝3200m
|
アドマイヤジュピタ
栗
牡5 岩田康誠
友道康夫
|
第135回 |
2007年4月29日
京都
芝3200m
|
メイショウサムソン
栗
牡4 石橋守
高橋成忠
|
第133回 |
2006年4月30日
京都
芝3200m
|
ディープインパクト
栗
牡4 武豊
池江泰郎
|
第131回 |
2005年5月1日
京都
芝3200m
|
スズカマンボ
栗
牡4 安藤勝己
橋田満
|
第129回 |
2004年5月2日
京都
芝3200m
|
イングランディーレ
美
牡5 横山典弘
清水美波
|
第127回 |
2003年5月4日
京都
芝3200m
|
ヒシミラクル
栗
牡4 角田晃一
佐山優
|
第125回 |
2002年4月28日
京都
芝3200m
|
マンハッタンカフェ
美
牡4 蛯名正義
小島太
|
第123回 |
2001年4月29日
京都
芝3200m
|
テイエムオペラオー
栗
牡5 和田竜二
岩元市三
|
第121回 |
2000年4月30日
京都
芝3200m
|
テイエムオペラオー
栗
牡4 和田竜二
岩元市三
|
第119回 |
1999年5月2日
京都
芝3200m
|
スペシャルウィーク
栗
牡4 武豊
白井寿昭
|
第117回 |
1998年5月3日
京都
芝3200m
|
メジロブライト
栗
牡4 河内洋
浅見秀一
|
第115回 |
1997年4月27日
京都
芝3200m
|
マヤノトップガン
栗
牡5 田原成貴
坂口正大
|
第113回 |
1996年4月21日
京都
芝3200m
|
サクラローレル
美
牡5 横山典弘
境勝太郎
|
第111回 |
1995年4月23日
京都
芝3200m
|
ライスシャワー
美
牡6 的場均
飯塚好次
|
第109回 |
1994年4月24日
阪神
芝3200m
|
ビワハヤヒデ
栗
牡4 岡部幸雄
浜田光正
|
第107回 |
1993年4月25日
京都
芝3200m
|
ライスシャワー
美
牡4 的場均
飯塚好次
|
第105回 |
1992年4月26日
京都
芝3200m
|
メジロマックイーン
栗
牡5 武豊
池江泰郎
|
第103回 |
1991年4月28日
京都
芝3200m
|
メジロマックイーン
栗
牡4 武豊
池江泰郎
|
第101回 |
1990年4月29日
京都
芝3200m
|
スーパークリーク
栗
牡5 武豊
伊藤修司
|
第99回 |
1989年4月29日
京都
芝3200m
|
イナリワン
美
牡5 武豊
鈴木清
|
第97回 |
1988年4月29日
京都
芝3200m
|
タマモクロス
栗
牡4 南井克巳
小原伊佐
|
第95回 |
1987年4月29日
京都
芝3200m
|
ミホシンザン
美
牡5 柴田政人
田中朋次
|
第93回 |
1986年4月29日
京都
芝3200m
|
クシロキング
美
牡4 岡部幸雄
中野隆良
|
第2~33回(1938~1956年)は4月中旬~6月上旬で転々と開催。第35~101回(1957~1990年)は原則として昭和天皇の誕生日である4月29日(現在の昭和の日)。第103回(1991年)以降は4月下旬~5月上旬に開催されている。
施行場所:京都芝3200m(右・外回り) 出走資格:4歳以上 1着賞金:2億2000万円 負担重量:定量
世界的に3000m以上のG1レースは少なく、天皇賞(春)の3200mはイギリスのゴールドカップ(20f)、フランスのカドラン賞(4000m)、イギリスのグッドウッドカップ(16f)に続き世界で4位タイにランクされる。
1938年 | 阪神芝2700m、4歳(現在の3歳)以上牡馬・牝馬、定量、「帝室御賞典」を春(阪神競馬場)と秋(東京競馬場)の年2回開催に再編 |
1939年 | 施行距離を芝3200m、出走資格を5歳(現在の4歳)以上牡馬・牝馬に変更 |
1944年 | 施行場を京都芝3200m(外)に変更 能力検定競走として施行 |
1945年 | 第二次世界大戦にともない開催中止(~1946年) |
1947年 | 競走名を「平和賞」に改称 |
1948年 | 競走名を「天皇賞(春)」に改称 |
1965年 | 阪神芝3200mで施行 |
1970年 | 阪神芝3200mで施行 |
1972年 | 出走資格を内国産馬(持込馬を除く)限定に変更(~1999年) |
1980年 | 阪神芝3200mで施行 |
1981年 | 勝ち抜き制の廃止 |
1984年 | G1(国内独自)に格付け |
1987年 | 2位入線のニシノライデンは進路妨害により失格 |
1989年 | イナリワンが京都芝3200m(外)のコースレコードを更新 |
1992年 | メジロマックイーンがレース史上初の2連覇を達成 |
1993年 | ライスシャワーが京都芝3200m(外)のコースレコードを更新 |
1994年 | 阪神芝3200mで施行 |
1995年 | 指定交流競走に指定 |
1997年 | マヤノトップガンが芝3200mの日本レコードを更新 |
2001年 | テイエムオペラオーがレース史上2頭目の2連覇を達成 |
2005年 | 国際競走に指定 |
2006年 | ディープインパクトが芝3200mの日本レコードを更新 |
2007年 | 国際G1に格付け |
2008年 | 出走資格を4歳以上に変更 1着馬にメルボルンカップの優先出走権を付与(~現在) |
2012年 | 「近代競馬150周年記念」の副題を付して実施 |
2014年 | フェノーメノがレース史上3頭目の2連覇を達成 |
2017年 | キタサンブラックが芝3200mの日本レコードを更新レース史上4頭目の2連覇を達成 |
2020年 | COVID-19の流行により無観客競馬として開催フィエールマンがレース史上5頭目の2連覇を達成 |
2021年 | 阪神芝3200m(外→内)で施行COVID-19の流行により無観客競馬として開催 |
2022年 | 阪神芝3200m(外→内)で施行 |