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秋の中距離王決定戦。中距離のスペシャリストに加え、一流マイラーと一流ステイヤーも参戦し、名勝負を紡ぎ出す。第138回(2008年)、逃げるダイワスカーレットをウオッカがギリギリ差し切った「2cm差のレコード決着」は今でも語り草となっている。また、第140回(2009年)カンパニーはJRA史上初となる8歳馬の平地G1制覇、第144回(2011年)トーセンジョーダンは芝2000mの日本レコード更新など、記録に残る決着も目立つ。ほか、これまで天皇賞の春秋連覇を同年に成し遂げたのは、第98回(1988年)タマモクロス、第120回(1999年)スペシャルウィーク、第122回(2000年)テイエムオペラオー、第136回(2007年)メイショウサムソン、第156回(2017年)キタサンブラックの5頭。第104回(1991年)では、天皇賞春秋連覇を目指したメジロマックイーンが6馬身差の圧勝を演じたかに見えたが、2コーナーで斜行して他馬の進路を妨害していたことが発覚し、18着に降着。1位入線馬の降着はJRAのG1史上初のことだった。
▼1991年はメジロマックイーンが2コーナーで斜行、G1レース初の降着となった
中央競馬八大競走のひとつ。1905年、横浜の日本レースクラブが明治天皇から「菊花御紋付銀製花盛器」を下賜されて創設した「エンペラーズカップ」が前身となる。以後、全国7つの競馬倶楽部で「帝室御賞典」が催されるようになり、皇室から優勝杯が下賜されていた。1937年、7つの競馬倶楽部は日本競馬会に統合。それを機に「帝室御賞典」は春と秋の年2回、東西で開催されることになった。1937年秋の「帝室御賞典」が第1回の天皇賞とみなされ、1938年秋からは5歳(現在の4歳)以上、芝3200mの競走として整備された。1944年秋からは戦争のため中断されたが、戦後の1947年春に「平和賞」の名前で復活。同年秋から現行の「天皇賞」というレース名に改称された。天皇賞の勝利は古馬最高の栄誉であり、一度勝った馬はその名を汚さぬよう、以後の天皇賞への出走権を与えられなかった(1981年以降は過去の優勝馬も出走可能に)。1984年、秋の天皇賞は2000mに短縮。これにより、春の天皇賞は「最強ステイヤー決定戦」、秋の天皇賞は「最強中距離馬決定戦」と、レースの色が明確に分かれることになった。
1986年以降の優勝馬を掲載しています。
優勝馬の馬齢は、2000年以前も現行表記と統一しています。
回数 | 開催日 | 優勝馬 |
---|---|---|
第168回 |
2023年10月29日
東京
芝2000m
|
イクイノックス
美
牡4 C.ルメール
木村哲也
|
第166回 |
2022年10月30日
東京
芝2000m
|
イクイノックス
美
牡3 C.ルメール
木村哲也
|
第164回 |
2021年10月31日
東京
芝2000m
|
エフフォーリア
美
牡3 横山武史
鹿戸雄一
|
第162回 |
2020年11月1日
東京
芝2000m
|
アーモンドアイ
美
牝5 C.ルメール
国枝栄
|
第160回 |
2019年10月27日
東京
芝2000m
|
アーモンドアイ
美
牝4 C.ルメール
国枝栄
|
第158回 |
2018年10月28日
東京
芝2000m
|
レイデオロ
美
牡4 C.ルメール
藤沢和雄
|
第156回 |
2017年10月29日
東京
芝2000m
|
キタサンブラック
栗
牡5 武豊
清水久詞
|
第154回 |
2016年10月30日
東京
芝2000m
|
モーリス
美
牡5 R.ムーア
堀宣行
|
第152回 |
2015年11月1日
東京
芝2000m
|
ラブリーデイ
栗
牡5 浜中俊
池江泰寿
|
第150回 |
2014年11月2日
東京
芝2000m
|
スピルバーグ
美
牡5 北村宏司
藤沢和雄
|
第148回 |
2013年10月27日
東京
芝2000m
|
ジャスタウェイ
栗
牡4 福永祐一
須貝尚介
|
第146回 |
2012年10月28日
東京
芝2000m
|
エイシンフラッシュ
栗
牡5 M.デムーロ
藤原英昭
|
第144回 |
2011年10月30日
東京
芝2000m
|
トーセンジョーダン
栗
牡5 N.ピンナ
池江泰寿
|
第142回 |
2010年10月31日
東京
芝2000m
|
ブエナビスタ
栗
牝4 C.スミヨン
松田博資
|
第140回 |
2009年11月1日
東京
芝2000m
|
カンパニー
栗
牡8 横山典弘
音無秀孝
|
第138回 |
2008年11月2日
東京
芝2000m
|
ウオッカ
栗
牝4 武豊
角居勝彦
|
第136回 |
2007年10月28日
東京
芝2000m
|
メイショウサムソン
栗
牡4 武豊
高橋成忠
|
第134回 |
2006年10月29日
東京
芝2000m
|
ダイワメジャー
美
牡5 安藤勝己
上原博之
|
第132回 |
2005年10月30日
東京
芝2000m
|
ヘヴンリーロマンス
栗
牝5 松永幹夫
山本正司
|
第130回 |
2004年10月31日
東京
芝2000m
|
ゼンノロブロイ
美
牡4 O.ペリエ
藤沢和雄
|
第128回 |
2003年11月2日
東京
芝2000m
|
シンボリクリスエス
美
牡4 O.ペリエ
藤沢和雄
|
第126回 |
2002年10月27日
中山
芝2000m
|
シンボリクリスエス
美
牡3 岡部幸雄
藤沢和雄
|
第124回 |
2001年10月28日
東京
芝2000m
|
アグネスデジタル
栗
牡4 四位洋文
白井寿昭
|
第122回 |
2000年10月29日
東京
芝2000m
|
テイエムオペラオー
栗
牡4 和田竜二
岩元市三
|
第120回 |
1999年10月31日
東京
芝2000m
|
スペシャルウィーク
栗
牡4 武豊
白井寿昭
|
第118回 |
1998年11月1日
東京
芝2000m
|
オフサイドトラップ
美
牡7 柴田善臣
加藤修甫
|
第116回 |
1997年10月26日
東京
芝2000m
|
エアグルーヴ
栗
牝4 武豊
伊藤雄二
|
第114回 |
1996年10月27日
東京
芝2000m
|
バブルガムフェロー
美
牡3 蛯名正義
藤沢和雄
|
第112回 |
1995年10月29日
東京
芝2000m
|
サクラチトセオー
美
牡5 小島太
境勝太郎
|
第110回 |
1994年10月30日
東京
芝2000m
|
ネーハイシーザー
栗
牡4 塩村克己
布施正
|
第108回 |
1993年10月31日
東京
芝2000m
|
ヤマニンゼファー
美
牡5 柴田善臣
栗田博憲
|
第106回 |
1992年11月1日
東京
芝2000m
|
レッツゴーターキン
栗
牡5 大崎昭一
橋口弘次
|
第104回 |
1991年10月27日
東京
芝2000m
|
プレクラスニー
美
牡4 江田照男
矢野照正
|
第102回 |
1990年10月28日
東京
芝2000m
|
ヤエノムテキ
栗
牡5 岡部幸雄
荻野光男
|
第100回 |
1989年10月29日
東京
芝2000m
|
スーパークリーク
栗
牡4 武豊
伊藤修司
|
第98回 |
1988年10月30日
東京
芝2000m
|
タマモクロス
栗
牡4 南井克巳
小原伊佐
|
第96回 |
1987年11月1日
東京
芝2000m
|
ニッポーテイオー
美
牡4 郷原洋行
久保田金
|
第94回 |
1986年10月26日
東京
芝2000m
|
サクラユタカオー
美
牡4 小島太
境勝太郎
|
第1回(1937年)は12月3日。第3~13回(1938~1943年)は11月上旬~中旬。第16回(1947年)は10月17日。第18回(1948年)は11月23日。第20~28回(1949~1953年)は11月上旬~中旬。第30~52回(1954~1965年)は11月下旬。第54回(1966年)は11月3日。第56~82回(1967~1980年)は11月下旬。第84回(1981年)以降は10月下旬~11月上旬に開催されている。
施行場所:東京芝2000m(左回り) 出走資格:3歳以上 1着賞金:2億2000万円 負担重量:定量
1937年 | 東京芝2600m、4歳(現在の3歳)以上、「帝室御賞典」を春(阪神競馬場)と秋(東京競馬場)の年2回開催に再編 |
1938年 | 施行距離を芝3200m、出走資格を5歳(現在の4歳)以上に変更 |
1944年 | 第二次世界大戦にともない開催中止(~1946年) |
1947年 | 競走名を「天皇賞」に改称 |
1950年 | 2位入線のエゾテツザンは失格 |
1963年 | リユウフオーレルが東京芝3200mのコースレコードを更新 |
1964年 | ヤマトキヨウダイが東京芝3200mのコースレコードを更新 |
1967年 | 中山芝3200m(外→内)で施行 |
1968年 | ニツトエイトが東京芝3200mのコースレコードを更新 |
1971年 | 出走資格を内国産馬(持込馬を除く)に限定 |
1981年 | 勝ち抜き制の廃止ホウヨウボーイが東京芝3200mのコースレコードを更新 |
1982年 | メジロテイターンが芝3200mの日本レコードを更新 |
1984年 | 施行距離を芝2000mに変更、持込馬に出走権を開放グレード制導入にともないG1(国内独自)に格付けミスターシービーが東京芝2000mのコースレコードを更新 |
1985年 | ギャロップダイナが芝2000mの日本レコードを更新 |
1986年 | サクラユタカオーが芝2000mの日本レコードを更新 |
1987年 | 出走資格を4歳(現在の3歳)以上牡馬・牝馬に変更「天皇賞施行50周年記念」の副題を付して実施 |
1991年 | 1位入線のメジロマックイーンは18着に降着 |
1995年 | 指定交流競走に指定 |
1999年 | スペシャルウィークが東京芝2000mのコースレコードを更新 |
2000年 | 外国産馬に出走権を開放(出走制限あり) |
2002年 | 中山芝2000mで施行 |
2003年 | シンボリクリスエスが東京芝2000mのコースレコードを更新レース史上初の2連覇を達成 |
2004年 | 「日本中央競馬会創立50周年記念」の副題を付して実施 |
2005年 | 国際競走に指定(外国産馬の出走制限を撤廃)「エンペラーズカップ100周年記念」の副題を付して実施 |
2006年 | 「悠仁親王殿下御誕生慶祝」の副題を付して実施 |
2007年 | 国際G1に格付け |
2008年 | 出走資格を3歳以上に変更ウオッカが東京芝2000mのコースレコードを更新 |
2011年 | トーセンジョーダンが芝2000mの日本レコードを更新 |
2012年 | 「近代競馬150周年記念」の副題を付して実施 |
2014年 | 「JRA60周年記念」の副題を付して実施 |
2019年 | 「天皇陛下御即位慶祝」の副題を付して実施 |
2020年 | アーモンドアイがレース史上2頭目の2連覇を達成 |