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クラシック三冠の幕開けを飾る一戦。「最も速い馬が勝つレース」と言われ、スピードとスタミナを兼備した3歳のトップホースたちが中山芝2000mを舞台に覇を競う。グレード制導入以前は、第33回(1973年)のハイセイコー、第35回(1975年)のカブラヤオー、第36回(1976年)のトウショウボーイなど、ファンの多い個性派たちが栄冠を獲得するケースが多く見られた。グレード制導入後は、競走体系の整備が進んだことでよりスピード色の強いレースとなり、第55回(1995年)のジェニュイン、第64回(2004年)のダイワメジャー、第73回(2013年)のロゴタイプなど、のちに古馬マイルG1を制する馬たちが勝ち馬欄に名を連ねている。また、セントライト、シンザン、ミスターシービー、シンボリルドルフ、ナリタブライアン、ディープインパクト、オルフェーヴル、コントレイルの8頭が、皐月賞を制したのちに二冠目の東京優駿(日本ダービー)、三冠目の菊花賞とタイトル獲得を重ねて三冠馬となった。ほか、第75回(2015年)はドゥラメンテが直線入口で大斜行するも、異次元の末脚を繰り出して圧勝。その衝撃的なパフォーマンスは伝説として語り継がれている。
▼2015年のドゥラメンテは最後の直線で大斜行も末脚を披露し圧勝した。
イギリスのクラシックレース「2000ギニー」に範をとり、本競走の前身となる「横浜農林省賞典四歳呼馬」が1939年に創設。当初の舞台は横浜競馬場(旧根岸競馬場)の芝1850mだった。その後、東京、中山への移設や施行距離、競走名の変更を重ね、1949年から競走名を現行の「皐月賞」に改称。翌1950年に距離が芝1950mから芝2000mに変更され、現在に至っている。ほかに東京優駿(日本ダービー)と菊花賞で構成されるクラシック三冠レースの一冠目に位置付けられており、2歳の早い時期から実績を積み上げてきたスピードタイプの馬を主軸に、毎年死闘が繰り広げられている。前述のとおり、本競走での勝利を手始めに三冠馬となったのは史上8頭。近年の生産界では“クラシックディスタンス”と呼ばれる2400m(≒12f)よりも2000m前後の実績が重視される風潮が世界的に強まっており、このレースを制した馬の種牡馬価値は年々高まっている。
1986年以降の優勝馬を掲載しています。
優勝馬の馬齢は、2000年以前も現行表記と統一しています。
回数 | 開催日 | 優勝馬 |
---|---|---|
第84回 |
2024年4月14日
中山
芝2000m
|
ジャスティンミラノ
栗
牡3 戸崎圭太
友道康夫
|
第83回 |
2023年4月16日
中山
芝2000m
|
ソールオリエンス
美
牡3 横山武史
手塚貴久
|
第82回 |
2022年4月17日
中山
芝2000m
|
ジオグリフ
美
牡3 福永祐一
木村哲也
|
第81回 |
2021年4月18日
中山
芝2000m
|
エフフォーリア
美
牡3 横山武史
鹿戸雄一
|
第80回 |
2020年4月19日
中山
芝2000m
|
コントレイル
栗
牡3 福永祐一
矢作芳人
|
第79回 |
2019年4月14日
中山
芝2000m
|
サートゥルナーリア
栗
牡3 C.ルメール
角居勝彦
|
第78回 |
2018年4月15日
中山
芝2000m
|
エポカドーロ
栗
牡3 戸崎圭太
藤原英昭
|
第77回 |
2017年4月16日
中山
芝2000m
|
アルアイン
栗
牡3 松山弘平
池江泰寿
|
第76回 |
2016年4月17日
中山
芝2000m
|
ディーマジェスティ
美
牡3 蛯名正義
二ノ宮敬
|
第75回 |
2015年4月19日
中山
芝2000m
|
ドゥラメンテ
美
牡3 M.デムーロ
堀宣行
|
第74回 |
2014年4月20日
中山
芝2000m
|
イスラボニータ
美
牡3 蛯名正義
栗田博憲
|
第73回 |
2013年4月14日
中山
芝2000m
|
ロゴタイプ
美
牡3 M.デムーロ
田中剛
|
第72回 |
2012年4月15日
中山
芝2000m
|
ゴールドシップ
栗
牡3 内田博幸
須貝尚介
|
第71回 |
2011年4月24日
東京
芝2000m
|
オルフェーヴル
栗
牡3 池添謙一
池江泰寿
|
第70回 |
2010年4月18日
中山
芝2000m
|
ヴィクトワールピサ
栗
牡3 岩田康誠
角居勝彦
|
第69回 |
2009年4月19日
中山
芝2000m
|
アンライバルド
栗
牡3 岩田康誠
友道康夫
|
第68回 |
2008年4月20日
中山
芝2000m
|
キャプテントゥーレ
栗
牡3 川田将雅
森秀行
|
第67回 |
2007年4月15日
中山
芝2000m
|
ヴィクトリー
栗
牡3 田中勝春
音無秀孝
|
第66回 |
2006年4月16日
中山
芝2000m
|
メイショウサムソン
栗
牡3 石橋守
瀬戸口勉
|
第65回 |
2005年4月17日
中山
芝2000m
|
ディープインパクト
栗
牡3 武豊
池江泰郎
|
第64回 |
2004年4月18日
中山
芝2000m
|
ダイワメジャー
美
牡3 M.デムーロ
上原博之
|
第63回 |
2003年4月20日
中山
芝2000m
|
ネオユニヴァース
栗
牡3 M.デムーロ
瀬戸口勉
|
第62回 |
2002年4月14日
中山
芝2000m
|
ノーリーズン
栗
牡3 B.ドイル
池江泰郎
|
第61回 |
2001年4月15日
中山
芝2000m
|
アグネスタキオン
栗
牡3 河内洋
長浜博之
|
第60回 |
2000年4月16日
中山
芝2000m
|
エアシャカール
栗
牡3 武豊
森秀行
|
第59回 |
1999年4月18日
中山
芝2000m
|
テイエムオペラオー
栗
牡3 和田竜二
岩元市三
|
第58回 |
1998年4月19日
中山
芝2000m
|
セイウンスカイ
美
牡3 横山典弘
保田一隆
|
第57回 |
1997年4月13日
中山
芝2000m
|
サニーブライアン
美
牡3 大西直宏
中尾銑治
|
第56回 |
1996年4月14日
中山
芝2000m
|
イシノサンデー
栗
牡3 四位洋文
山内研二
|
第55回 |
1995年4月16日
中山
芝2000m
|
ジェニュイン
美
牡3 岡部幸雄
松山康久
|
第54回 |
1994年4月17日
中山
芝2000m
|
ナリタブライアン
栗
牡3 南井克巳
大久保正
|
第53回 |
1993年4月18日
中山
芝2000m
|
ナリタタイシン
栗
牡3 武豊
大久保正
|
第52回 |
1992年4月19日
中山
芝2000m
|
ミホノブルボン
栗
牡3 小島貞博
戸山為夫
|
第51回 |
1991年4月14日
中山
芝2000m
|
トウカイテイオー
栗
牡3 安田隆行
松元省一
|
第50回 |
1990年4月15日
中山
芝2000m
|
ハクタイセイ
栗
牡3 南井克巳
布施正
|
第49回 |
1989年4月16日
中山
芝2000m
|
ドクタースパート
美
牡3 的場均
柄崎孝
|
第48回 |
1988年4月17日
東京
芝2000m
|
ヤエノムテキ
栗
牡3 西浦勝一
荻野光男
|
第47回 |
1987年4月19日
中山
芝2000m
|
サクラスターオー
美
牡3 東信二
平井雄二
|
第46回 |
1986年4月13日
中山
芝2000m
|
ダイナコスモス
美
牡3 岡部幸雄
沢峰次
|
第1~8回(1939~1948年)は3月下旬~5月下旬で転々と開催。第9~11回(1949~1951年)は5月上旬~中旬。第12~32回(1952~1972年)は原則として4月中旬~5月上旬。第33回(1973年)以降は4月中旬に開催されている。なお、第23回(1963年)は厩務員組合争議の影響にともない5月12日に、第27回(1967年)は厩務員ストの影響にともない4月30日に、第32回(1972年)は馬インフルエンザの流行にともない5月28日に、第34回(1974年)は厩務員ストの影響にともない5月3日に、第36回(1976年)は厩務員ストの影響にともない4月25日に、第71回(2011年)は東日本大震災の影響にともない4月24日に、それぞれ順延して開催された。
施行場所:中山芝2000m(右回り) 出走資格:3歳牡馬・牝馬 1着賞金:2億円 負担重量:馬齢重量
競走名の「皐月」は旧暦の5月を指し、4月開催でほぼ固定される1952年より前は5月に開催されることも多かった。
1939年 | 横浜芝1850m、4歳(現在の3歳)牡馬・牝馬、定量、「横浜農林省賞典四歳呼馬」として創設 |
1943年 | 施行場を東京芝1800mに変更 |
1944年 | 競走名を「農商省賞典四歳」に改称、能力検定競走(馬券発売なし)として施行 |
1945年 | 第二次世界大戦にともない開催中止(~1946年) |
1947年 | 競走名を「農林省賞典」に改称、施行距離を芝2000mに変更 |
1949年 | 競走名を「皐月賞」に改称、施行場を中山芝1950mに変更 |
1950年 | 施行距離を芝2000mに変更 |
1956年 | 東京芝2000mで施行 |
1963年 | 厩務員組合争議の影響にともない5月12日に順延、東京芝2000mで施行 |
1964年 | 東京芝2000mで施行 |
1967年 | 厩務員ストの影響にともない4月30日に順延 |
1972年 | 馬インフルエンザの流行にともない5月28日に順延 |
1974年 | 厩務員ストの影響にともない5月3日に順延、東京芝2000mで施行 |
1976年 | 厩務員ストの影響にともない4月25日に順延、東京芝2000mで施行 |
1984年 | G1(国内独自)に格付け |
1988年 | 東京芝2000mで施行 |
1993年 | 3位入線のガレオンが進路妨害により8着に降着 |
1994年 | ナリタブライアンが中山芝2000mのコースレコードを更新 |
1995年 | 指定交流競走に指定 |
2007年 | 格付け表記をJpn1に変更 |
2010年 | 国際競走に指定、国際G1に格付け |
2011年 | 東日本大震災の影響にともない4月24日に順延、東京芝2000mで施行 |
2013年 | ロゴタイプが中山芝2000mのコースレコードを更新 |
2014年 | 「JRA60周年記念」の副題を付して実施 |
2020年 | COVID-19の流行により無観客競馬として開催 |
2024年 | 負担重量を馬齢重量に変更 |