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古馬王道路線を歩んできた猛者と3歳の一流どころが一堂に会す、一年の総決算。テンポイントが宿敵・トウショウボーイとの死闘を制した第22回(1977年)、競走馬としての衰えを隠せず精彩を欠いていたオグリキャップが、最後の闘志を燃やして新興勢力をねじ伏せた第35回(1990年)、その絶対的な強さで人々に勇気を与え続けた英雄・ディープインパクトの完璧なラストラン(第51回・2006年)など、競馬史に残る名場面は数えきれない。第58回(2013年)は、引退レースとして臨んだ三冠馬オルフェーヴルが4コーナーで他馬をひとまくりすると、最後は2着馬に8馬身の差をつけてゴール。鞍上・池添謙一騎手による思いのこもった勝利騎手インタビューとともに、オルフェーヴルの雄姿は熱い記憶として競馬ファンの心に刻み込まれた。
▼2013年は三冠馬オルフェーヴルが2着馬に8馬身差をつけて圧勝、引退レースに花を添えた。
中央競馬八大競走のひとつ。1956年、当時の日本中央競馬会理事長だった有馬頼寧が、中山競馬場に新スタンドが完成したのを機に「暮れの中山競馬場にも東京競馬場の東京優駿に匹敵する大レースを」と提案し、「中山グランプリ」を創設した。出走馬はファン投票による10頭ならびにそれら以外の推薦委員会が推薦した馬に限られた(1996年以降は推薦馬を廃止し、競走成績による選定馬となる)。当時としては画期的なレースで、第1回はおおいに盛り上がった。しかし、翌1957年に有馬頼寧が急逝。同氏の功績をたたえ、第2回(1957年)からは「有馬記念」と名称を改め、現在に至る。施行距離は第1~4回(1956~1959年)が芝2600m・内回り、第5~10回(1960~1965年)が芝2600m・外回り、第11回(1966年)以降が芝2500mとなっている。
1986年以降の優勝馬を掲載しています。
優勝馬の馬齢は、2000年以前も現行表記と統一しています。
回数 | 開催日 | 優勝馬 |
---|---|---|
第68回 |
2023年12月24日
中山
芝2500m
|
ドウデュース
栗
牡4 武豊
友道康夫
|
第67回 |
2022年12月25日
中山
芝2500m
|
イクイノックス
美
牡3 C.ルメール
木村哲也
|
第66回 |
2021年12月26日
中山
芝2500m
|
エフフォーリア
美
牡3 横山武史
鹿戸雄一
|
第65回 |
2020年12月27日
中山
芝2500m
|
クロノジェネシス
栗
牝4 北村友一
斉藤崇史
|
第64回 |
2019年12月22日
中山
芝2500m
|
リスグラシュー
栗
牝5 D.レーン
矢作芳人
|
第63回 |
2018年12月23日
中山
芝2500m
|
ブラストワンピース
美
牡3 池添謙一
大竹正博
|
第62回 |
2017年12月24日
中山
芝2500m
|
キタサンブラック
栗
牡5 武豊
清水久詞
|
第61回 |
2016年12月25日
中山
芝2500m
|
サトノダイヤモンド
栗
牡3 C.ルメール
池江泰寿
|
第60回 |
2015年12月27日
中山
芝2500m
|
ゴールドアクター
美
牡4 吉田隼人
中川公成
|
第59回 |
2014年12月28日
中山
芝2500m
|
ジェンティルドンナ
栗
牝5 戸崎圭太
石坂正
|
第58回 |
2013年12月22日
中山
芝2500m
|
オルフェーヴル
栗
牡5 池添謙一
池江泰寿
|
第57回 |
2012年12月23日
中山
芝2500m
|
ゴールドシップ
栗
牡3 内田博幸
須貝尚介
|
第56回 |
2011年12月25日
中山
芝2500m
|
オルフェーヴル
栗
牡3 池添謙一
池江泰寿
|
第55回 |
2010年12月26日
中山
芝2500m
|
ヴィクトワールピサ
栗
牡3 M.デムーロ
角居勝彦
|
第54回 |
2009年12月27日
中山
芝2500m
|
ドリームジャーニー
栗
牡5 池添謙一
池江泰寿
|
第53回 |
2008年12月28日
中山
芝2500m
|
ダイワスカーレット
栗
牝4 安藤勝己
松田国英
|
第52回 |
2007年12月23日
中山
芝2500m
|
マツリダゴッホ
美
牡4 蛯名正義
国枝栄
|
第51回 |
2006年12月24日
中山
芝2500m
|
ディープインパクト
栗
牡4 武豊
池江泰郎
|
第50回 |
2005年12月25日
中山
芝2500m
|
ハーツクライ
栗
牡4 C.ルメール
橋口弘次
|
第49回 |
2004年12月26日
中山
芝2500m
|
ゼンノロブロイ
美
牡4 O.ペリエ
藤沢和雄
|
第48回 |
2003年12月28日
中山
芝2500m
|
シンボリクリスエス
美
牡4 O.ペリエ
藤沢和雄
|
第47回 |
2002年12月22日
中山
芝2500m
|
シンボリクリスエス
美
牡3 O.ペリエ
藤沢和雄
|
第46回 |
2001年12月23日
中山
芝2500m
|
マンハッタンカフェ
美
牡3 蛯名正義
小島太
|
第45回 |
2000年12月24日
中山
芝2500m
|
テイエムオペラオー
栗
牡4 和田竜二
岩元市三
|
第44回 |
1999年12月26日
中山
芝2500m
|
グラスワンダー
美
牡4 的場均
尾形充弘
|
第43回 |
1998年12月27日
中山
芝2500m
|
グラスワンダー
美
牡3 的場均
尾形充弘
|
第42回 |
1997年12月21日
中山
芝2500m
|
シルクジャスティス
栗
牡3 藤田伸二
大久保正
|
第41回 |
1996年12月22日
中山
芝2500m
|
サクラローレル
美
牡5 横山典弘
境勝太郎
|
第40回 |
1995年12月24日
中山
芝2500m
|
マヤノトップガン
栗
牡3 田原成貴
坂口正大
|
第39回 |
1994年12月25日
中山
芝2500m
|
ナリタブライアン
栗
牡3 南井克巳
大久保正
|
第38回 |
1993年12月26日
中山
芝2500m
|
トウカイテイオー
栗
牡5 田原成貴
松元省一
|
第37回 |
1992年12月27日
中山
芝2500m
|
メジロパーマー
栗
牡5 山田泰誠
大久保正
|
第36回 |
1991年12月22日
中山
芝2500m
|
ダイユウサク
栗
牡6 熊沢重文
内藤繁春
|
第35回 |
1990年12月23日
中山
芝2500m
|
オグリキャップ
栗
牡5 武豊
瀬戸口勉
|
第34回 |
1989年12月24日
中山
芝2500m
|
イナリワン
美
牡5 柴田政人
鈴木清
|
第33回 |
1988年12月25日
中山
芝2500m
|
オグリキャップ
栗
牡3 岡部幸雄
瀬戸口勉
|
第32回 |
1987年12月27日
中山
芝2500m
|
メジロデュレン
栗
牡4 村本善之
池江泰郎
|
第31回 |
1986年12月21日
中山
芝2500m
|
ダイナガリバー
美
牡3 増沢末夫
松山吉三
|
第1~26回(1956~1981年)は12月中旬~下旬。第27回(1982年)以降は12月下旬に開催されている。
施行場所:中山芝2500m(右回り) 出走資格:3歳以上 1着賞金:5億円 負担重量:定量
1956年 | 中山芝2600m(内)、4歳(現在の3歳)以上、定量戦として創設競走名は「中山グランプリ」 |
1957年 | 競走名を「有馬記念」に改称 |
1960年 | 施行距離を芝2600m(外)に変更 |
1966年 | 施行距離を芝2500mに変更 |
1970年 | スピードシンボリがレース史上初の2連覇を達成 |
1984年 | G1(国内独自)に格付け |
1985年 | シンボリルドルフがレース史上2頭目の2連覇を達成 |
1988年 | 3位入線のスーパークリークが失格 |
1989年 | イナリワンが中山芝2500mのコースレコードを更新 |
1991年 | ダイユウサクが芝2500mの日本レコードを更新 |
1995年 | 指定交流競走に指定 |
1999年 | グラスワンダーがレース史上3頭目の2連覇を達成 |
2001年 | 「敬宮愛子内親王殿下御誕生慶祝」の副題を付して実施 |
2003年 | シンボリクリスエスが中山芝2500mのコースレコードを更新レース史上4頭目の2連覇を達成 |
2004年 | ゼンノロブロイが芝2500mの日本レコードを更新 |
2007年 | 国際競走に指定、国際G1に格付け |