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週末に行われる中央重賞の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、競馬の長い歴史の狭間できらめいた馬を紹介する「中央重賞懐古的回顧」。第53回は1998年のシルクロードS優勝馬シーキングザパールを取り上げる。
ルッキズムに対して冷ややかなご時世に恐縮だが、シーキングザパールは可愛い牝馬であったとよく言われる。1990年代に競馬エッセイストとして活躍した高橋直子(現在の谷川直子)氏は彼女を『澪つくし』の沢口靖子とか『ガラスの仮面』の松本恵に例えている。要するに大きな目で顔が小さい美人ですね。ちなみに後者は『モテキ』などに出演した松本莉緒のことである。
“美人馬主”植中昌子氏の存在も現役中有名であった。このオーナーサイドの選択により、持ち馬であるシーキングザパールは様々な転機を突如として迎えることになるのだが、1998年夏のモーリスドゲスト賞(当時はもっぱら「モーリスドギース賞」と表記された)制覇も日本の競馬ファンには驚きをもって迎えられた。翌週のタイキシャトルのジャックルマロワ賞出走こそが“真打”であって、シーキングザパールはその前座と目されていたためだ。
藤沢和雄と森秀行、そして岡部幸雄と武豊。東西の若手トレーナーの代表格と、東西のジョッキーの両横綱が揃って快挙を達成した1998年。だがこの年シーキングザパールが辿った道程は決して順調ではなかった。前年秋に判明した喉頭蓋エントラップメントの切開手術からの復帰戦となった4月のシルクロードS。だが中間の調教で時計を出した本数が少なかったことから仕上がり途上との印象は否めず、単勝1番人気のキョウエイマーチに対して4番人気。1200mの距離も2歳夏以来で不安が残る。
まず飛び出したのは人気のキョウエイマーチだったが、外からシンコウフォレストやエイシンバーリンが競り掛けて息が入らない。これは千二に不慣れなキョウエイマーチにとって堪えたし、手術後気性がカリカリし始めたシーキングザパールにとっては僥倖であった。道中は無理せず後方で脚を溜めた武豊騎手とシーキングザパールは、残り200mほどでバテたキョウエイマーチを交わし、ゴール前最内からにゅっと顔を出してマサラッキ以下を抑えて優勝を果たした。
金曜の雨が若干残っていたこともあり、前年の1分6秒9の大レコードと比べて1分8秒6と勝ち時計は遅かったが、千二のスピード競馬に対応したのはシーキングザパールにとって大きかった。続く高松宮記念と安田記念では荒天に祟られて凡走してしまうのだが、このシルクロードSの勝利こそが夏の歴史的大勝利に繋がったと考えるのは自然なことだろう。
日本調教馬による海外G1初制覇(フジヤマケンザンの香港国際Cの扱いにもよるのだが)という快挙を成し遂げたシーキングザパールだが、現役中の2000年に大々的に行われた「20世紀の名馬大投票」では94位のマサラッキよりも下の107位に甘んじた。国内外でG1を制し、沢口靖子級の美人さんだったシーキングザパールが107位とは…やはり競走馬とはその実像云々よりもあくまで宣伝上のイメージによって形作られたスターという面が色濃いのだろう。でもマサラッキの94位は未だに解せないなあ。
シーキングザパール
牝 鹿毛 1994年生
父Seeking the Gold 母ページプルーフ 母父Seattle Slew
競走成績:中央16戦7勝 海外5戦1勝
主な勝ち鞍:モーリスドゲスト賞 NHKマイルC NZT4歳S デイリー杯3歳S シルクロードS シンザン記念 フラワーC
(文:古橋うなぎ)