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今週7月2日は福島でラジオNIKKEI賞、中京でCBC賞と2つの重賞が行われる。片や芝1800メートルで、片や芝1200メートル。そもそもカテゴリーが異なるうえに同日施行となった現在、同一年にこの2重賞に挑戦するのは不可能な話。しかし、CBC賞がまだ暮れの開催だった18年前、この離れ業をやってのけたのがシンボリグランだ。息長く活躍した芦毛の名馬の思い出を、管理していた畠山吉宏調教師(60)=美浦=に聞いた。
アイルランド生まれのグランドロッジ産駒は、2004年9月に札幌でデビュー。調教で見せていた豪快な動きから1番人気に推されたが、結果はまさかの最下位。翌年2月の初勝利まで8戦を要することになった。「攻め馬での乗り味が良かったし、まさか未勝利でもたつくような馬だとは思わなかったですよ。ただ、とにかく気性が荒くて、2戦目(14着)で騎乗した岡部(幸雄)さんも『難しい馬だな』とこぼしていました。500キロ以上ある大型馬だったので、厩務員も扱うのには苦労していましたね」と振り返る。
転機となったのは初めて芝1200メートルに出走した3歳4月の桜草特別。中団待機から鮮やかな末脚で差し切った。「集中力を欠くようなところがあったので、距離を思い切って詰めてブリンカーも着けました。それがうまくいきましたね」。続く葵Sを制し、ファルコンSでも3着に好走したところで、再び中距離にチャレンジしたのがラジオNIKKEI賞だった。「同世代相手なら1800メートルでも…と思ったのですが甘くなかったです」と苦笑したように結果は8着。しかし、逆にこれで短距離路線へと明確に舵を切ることになった。
秋は福島民友C2着、オーロC1着と順調にステップアップし、迎えたのが暮れのCBC賞。フランスのダヴィ・ボニヤ騎手を背に好位を追走し、ラストはカネツテンビー、シーイズトウショウとの追い比べからグイッと抜け出し、初の重賞タイトルを手にした。「あのときは雪で1週順延になったんですよ。中京への再輸送になったんですけど、へこたれずによく頑張ってくれました。『これで来年はGⅠに挑戦できる!』と思いましたね」と指揮官はさらなる飛躍を確信していた。
しかし、まさかこの勝利が最後の白星になるとは誰も想像できなかった。妨げとなったのは、克服したはずの気性難だった。4歳初戦の夕刊フジ賞オーシャンSは大出遅れから猛追して3着。その追い上げが評価されて本番の高松宮記念では1番人気に推されたが、またも大きく立ち遅れて6着に終わった。
「(2006年の)マイルCSでものすごいメンバーを相手に3着したように能力はあったんですけど、取りこぼしが多くて…。最後まで気性の難しさには悩まされましたね。戸崎君が乗ったとき(2010年オーシャンS3着)も勝てるかと思ったところでフワッとしてしまって。あれだけの名手が『馬に遊ばれてしまいました』と悔しそうだったのはよく覚えています」
その後は重賞で4度の2着と健闘したものの、1着はどうしても遠かった。それでも9歳11月のキャピタルS(15着)まで全61戦をタフに完走。長らく厩舎の看板を背負い続けた。「脚元に大きな弱点がなかったのは、厩舎としてもやりやすかったです。最初のころは黒っぽい芦毛だったんですけど、最後はだいぶ白くなってね…。長く頑張ってくれました。重賞は1つしか勝てなかったけど、走るたびに『今度こそ』、『次こそは』と思わせてくれるような馬で楽しかったです」とトレーナーは目を細めた。短距離戦線を沸かせた芦毛の名バイプレーヤーは、ファンの記憶に残り続けるだろう。
★現在は北海道標茶町に
引退後は乗馬となり、馬事公苑、早稲田大学、乗馬クラブを経て、19年5月からは釧路セントラル牧場(北海道標茶町)で繋養されている。「フレグモーネを治療しながらですが、馬は元気ですし、食欲もあります。元競走馬らしく、たまにやんちゃなところもみせますが、人懐こいタイプですね。9歳まで長く走った馬ですし、日高の馬の見学シーズンに合わせて来られるファンの方もいらっしゃいます。元気に長生きしてほしいですね」と担当の阿部翔太さんは話した。
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