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日本競馬の至宝である保田隆芳(やすだ・たかよし)氏が1日午後9時21分、病気のため亡くなった。89歳。騎手としては旧八大競走を初めて制覇し、日本人騎手として海外にも初挑戦。調教師に転じてからは“天馬”トウショウボーイを手掛けるなど近代競馬の基礎を築いた。95年には勲章を受章、04年には騎手として競馬の殿堂入りを果たした。長男でJRA調教師の一隆さんによると、安らかな最期だったという。
偉大なるホースマンが天国に旅立った。
保田隆芳氏は、騎手として36~70年に通算1295勝。年間最多勝を3回記録。旧八大競走(皐月賞、ダービー、菊花賞、桜花賞、オークス、天皇賞・春&秋、有馬記念)で22勝。ハクチカラとともに日本人騎手として初の海外遠征を成し遂げ、当時のアメリカで主流だったモンキースタイルの騎乗法を習得して、帰国後には、従来の天神乗りに代わる新たな騎乗法として日本の競馬界に定着させた。進取の気に富み、日本のジョッキー界の第一人者として野平祐二、蛯名武五郎とともに近代競馬の礎(いしずえ)を築いた。
騎手引退後は調教師に転身して70~97年に通算334勝。メジロアサマ(70年天皇賞・秋)やトウショウボーイ(76年皐月賞、有馬記念、77年宝塚記念)を手がけた。95年には「勲四等瑞宝章」を受章。04年に競馬の殿堂「騎手顕彰者」に選出された。
長男であり、厩舎を引き継いだJRAの保田一隆調教師は「父として、次元の違う功績を残したホースマンとして尊敬していました。無口でとっつきにくいところもあったけど、若手が尋ねればどんなアドバイスもしていました」と在りし日の人柄を語る。「最近まで府中や中山の競馬場に顔を出して、私の厩舎の馬を応援してくれていました。最期は安らかに眠るようでした」と静かに息を引き取った。
“元祖・天皇賞男”として天皇賞10勝。08年に11勝目を挙げた武豊騎手に破られたが、秋の天皇賞7勝は現在でも歴代トップ(2位は武豊の5勝)。18歳8カ月でのオークス制覇はクラシック史上最年少Vだ。これまで残した数多くの足跡の中でも一段と輝きを放っているのは、日本人騎手として初の海外遠征だろう。日本人騎手として初めて海外のGIに優勝したのは94年の仏GIムーラン・ド・ロンシャン賞でスキーパラダイスに騎乗した武豊。58年に保田氏が初めてアメリカで騎乗してから36年後のことだった。今や日本人騎手による海外GI優勝は珍しいことではなくなったが、戦後13年というあの時期のハクチカラによる海外遠征がすべての始まりだった。
その先鞭をつけた保田隆芳氏の功績は日本競馬の金字塔として永遠に輝き続けていく。