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鎮静剤 マリー・ローランサン(堀口大学訳)
退屈な女よりもっと哀れなのは 悲しい女です。
悲しい女よりもっと哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女よりもっと哀れなのは 病気の女です。
病気の女よりもっと哀れなのは 捨てられた女です。
捨てられた女よりもっと哀れなのは よるべない女です。
よるべない女よりもっと哀れなのは 追われた女です。
追われた女よりもっと哀れなのは 死んだ女です。
死んだ女よりもっと哀れなのは 忘れらた女です。
病気で出られなかったウォッカより、もっと哀れなのはブエナビスタでした。
楽に勝てた有馬記念で、負ける競馬をさせられてしまったからです。
不運としかいいようのなかったエリザベス女王杯を、騎手の責任にしてしまった人たちの驕りとエゴと無知が、すばらしい景色を蝕んでしまったのです。
エリザベス女王杯を負けたのは、騎手のせいではありません。騎手はビスタの才能を信じ、愛し、彼女がもっとも好む走り方を選んだのです。
有馬記念で負けたのも騎手のせいではありません。騎手はブエナを深く知らない、あまり愛していない、何でもできる女と過信してしまった人たちから与えられた仕事を、注文通りに完璧に遂行したまでなのです。
もしが許されるなら、もしヨコテンがアンカツだったなら、ブエナビスタはドリームジャーニーを1馬身半くらいは突き放していたでしょう。
ミシターシービーと吉永正人という不即不離の関係を思い出します。誰が何と言おうと、誰に
何と言われようとマサトはシービーをどん尻から追い込ませました。より多くを望むあまり、途中で手替わりさせられていたなら、ミスターの三冠はありえませんでした。調教師、馬主といった人たちの馬と騎手への許容と信頼と夢が運良く結実しました。
運の悪かった女には きっと幸運も訪れます。
死んだ女より哀しい 忘れらた女にならずに。
ウオッカよ、 ブエナビスタよ、無情の有馬記念よ。
◇後記。こういう感じの観戦記を【重賞年鑑】に書きたかったが、誤解(騎手の乗り替わり)を招かずに書き切る自身がなくなり、中途で断念した。その結果レースについてはまったく触れることのない観戦記?となってしまったが、レース取材直後の90分で5枚2000字をやっつけるのは至難の業。騎手同様、記者にも乗り違い、読み違い、策戦ミスもあるのだと自らを慰めつつ…帯封ザクザクの初夢(ホンマでっせ)明けの2日、J・Dロックをちびちびやりつつ。
謹賀新年、億券到来!!