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週末に行われる中央重賞の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、競馬の長い歴史の狭間できらめいた馬を紹介する「中央重賞懐古的回顧」。第30回は1998年のデイリー杯3歳S(旧馬齢表記・現在のデイリー杯2歳Sに当たる)優勝馬エイシンキャメロンを取り上げる。
(当記事における馬齢表記は旧馬齢表記に統一)
1990年代の日本競馬におけるエイシン軍団の外国産馬への信頼感が絶大であったことは、近年でもその名残が散見されるから年若いファンもご存知かも知れない。エイシンバーリンやエイシンワシントンに代表されるように、この時代のエイシンのマル外はとにかく「速い」。単に「早い」馬も中にはいたが、多くの活躍馬は長持ちした。
1996年に生まれた米国産馬エイシンキャメロンは、その例に漏れず機動力のある馬であった。速いエイシンのマル外に主戦が“ユタカ人気”が極まった頃の武豊騎手であったのだから、信頼感は倍になる。父が加三冠馬であるという血統面は日本のファンにとって馴染みが薄かったが、それがまたいかにもエイシンが海外で見つけてきた掘り出し物といった印象を与えたので、実力に対する信頼はさらに厚くなった。
先輩のエイシンバーリンと同じく坂口正則調教師が手掛け、1998年9月にデビュー。ダートの新馬戦を2着馬に1.5秒差つけてぶっちぎると、続く初芝の野路菊Sも気性の若さを見せながら難なく制した。3戦目はG2・デイリー杯3歳S。新潟王者のロサードという強敵もいたが、エイシンキャメロンに対する評価は同馬を上回り、堂々の単勝1番人気に支持された。レース内容はというと、スタート良くハナを切ったエイシンキャメロンが直線また伸びて後続を突き放し、2着のノボエイコーオーに3馬身差つけての完勝。一方ロサードは後方ままの11着。実績ある人気馬の明暗が分かれた。
当時のエイシンキャメロンは3歳牡馬のトップと目されており、その生涯の絶頂に身を置いていた。しかし、このような早咲きのスピード馬の天下が長く続かないのも競馬の理である。続く朝日杯3歳S(現在の朝日杯FS)では持込馬アドマイヤコジーンと人気を二分したが、叩き合いの末にクビ差2着に惜敗。悲観すべき負け方では決してなかったが、仮に勝っていれば斤量の問題から翌春関西の重賞路線を使っていなかったはずだし、逆算するとケチの付け始めはこの朝日杯だったのかも知れない。ちなみに当時は外国産馬にクラシックの出走権はなかった。
1999年、明けて4歳を迎えたエイシンキャメロンはきさらぎ賞2着から始動。次走アーリントンCでは先頭で入線したバイオマスターがエイシンキャメロンに対する進路妨害のため降着となり、繰り上がりながら重賞2勝目をマークした。ここまでの成績表は実に綺麗である。
だがその1戦で運が尽きたのか、それとも隣の馬に噛みつきに行くほどの闘志が裏目に出始めたのか、NZT&NHKマイルCと揃って1番人気で惨敗。同年春限りで武騎手が鞍上から離れると、以後は散発的に入着するに留まった。アーリントンC以降不振に陥った彼は「早い」馬であったのだろう。そして「エイシン軍団のマル外の大物」という栄えあるポジションも、1歳年下のエイシンプレストンに取って代わられることとなった。
エイシンキャメロン
牡 栗毛 1996年生
父With Approval 母Above the Salt 母父Master Derby
競走成績:中央21戦4勝
主な勝ち鞍:デイリー杯3歳S アーリントンC
(文・古橋うなぎ)