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皐月賞馬サクラスターオーが戦線離脱した1987年のダービーは、皐月賞3着のマティリアルが1番人気。朝日杯3歳S(現朝日杯FS)を勝っていた根本康広騎手のメリーナイスは4番人気ながら、蓋を開ければ6馬身差の大楽勝だった。
「あれだけの差をつけられたのはなぜかといわれれば、体形や血統的に2400メートルが合っていたからなのかもしれない」
第54代ダービージョッキーはそう分析する。勝つためのポイントは「1コーナー10番手以内がセオリー。ダービーは5回乗ったけど、全てその意識で挑んだ。後ろからでは20何頭をさばけない」。セオリー通り、5、6番手のインという絶好の位置から抜け出した。
ただ、本人はハシノエースで4着だった81年が強く印象に残っている。「NHKでダービー初騎乗のジョッキーとして取り上げられた。結果が伴わず周囲から『それ見たことか』といわれるのが嫌で、やってやろうという気持ちだった。4コーナーでは勝ったと思ったんだけどね」。巧みな位置取りと負けん気の強さが、大一番に強い男の評価を不動のものにした。
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(退会ユーザー)