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【藤代三郎・馬券の休息(63)】日本の在来馬について・その3~根岸ふたたび

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【藤代三郎・馬券の休息(63)】日本の在来馬について・その3~根岸ふたたび

 根岸の競馬についてもう少し書いておく。というのは、『根岸の森の物語』(馬の博物館編95年)に、「昭和10年代の根岸競馬場」というコース全図が載っていたのだ。それによるとたすきがけのコースはなかった。それでも起伏に富んだコースであったことは間違いなく、巻末の座談会で「ほかの競馬場にくらべて、ここは坂が急できついコースだった。幅員が二十メートルと狭く、一マイル馬場ともいって、スタートしてすぐ下がっていって向こう正面でまた上がる。スタンドから見ると、向こう正面のかなたに海が広がり、横須賀まで一望できる見晴らしのよさだった」と、出席者が語っているように、きついコースであったことは間違いない。これでは落馬する者が続出してもおかしくはない。稲葉幸夫も「坂とカーブで大変なコースだった」と証言している。

 どうしてそんな「コースが急でレースに向いていない」競馬場が作られたかということについては、幕府が大急ぎで造成したからで、競馬の知らないお役人が指示して作ったからだろうと言うのだが(根岸村の村民が駆り出されたという古文書が残っているという)、これは本当かどうか。

 そしてなんと、ここでは繋駕速歩競走も行われたというのだが、この繋駕速歩競走については余談がある。稲葉幸夫が「同じ日に障害とダク馬(前記の繋駕速歩競走のこと)と平場と三鞍勝ったことがある」と言いだすのだ。それが昭和9年秋季中山競馬2日目(12月1日)のことで、中山で繋駕速歩競走があったなんて知らなかった。

「この記録は絶対に破られない。今はそんなレースないからね」

 と言っているのが興味深い。たしかに自慢したくなる記録である。

 

 根岸競馬場の内馬場がゴルフ場であったという話は何かの本で読んだことがあるが、その写真がこの『根岸の森の物語』に載っている。昭和36年ごろという写真説明がついているが、その背景に根岸競馬場のスタンドが映っているので驚いた。しかも一等馬見所だけでなく、二等馬見所まで映っている。昭和36年の段階ではまだ二等馬見所は解体されていなかったのだ。

 しかしその段階では、内馬場のゴルフ場は米軍接収後の話だとばかり考えていた。接収したあとで、ここはゴルフ場としてつかえると考えた米軍関係者が使用を開始したものと考えていた。ところが、馬の博物館の春季特別展「根岸競馬場開設150周年記念 ハイカラケイバを初めて候」の図録(2016年刊)を後日入手したら、その内馬場のゴルフ場が出来たのは1906(明治39)年だったようだ。なんとなんと、日本初の芝グリーンゴルフ場であったという。

 『根岸の森の物語』には、「幻の横浜競馬場移転計画図」が載っているのも興味深い。根岸競馬場が海軍に譲渡せざるを得なかったのは、横須賀軍港が一望できるので防諜上好ましくないとの理由だったが、その代わり海軍が代替え地を買収して補填するとの約束だったようだ。

 その候補地が、小田急線の相模大野駅の東側、江ノ島線の東林間駅前に至るまでの約百五十四万平方メートルで、ここに1周2400メートルの本馬場、70棟の厩舎を作るという計画だったらしい。私の現在の住まいから近いので、ここに競馬場が出来ていたら、と胸躍るものがあるが、戦局が徐々に厳しくなり、そんなことも言っていられなくなっていつの間にか「幻の計画」で終わったようである。

 もう一つ根岸競馬について書いておくと、田村洋一「日本の近代競馬は居留地から」(神戸外国人居留地研究会編『開港と近代化する神戸』神戸新聞総合出版センター)によると、根岸競馬を運営する横浜レースクラブに対抗して、横浜レース・アソシエーションが明治9年に結成されたという。その背景には、英国主導になりがちの居留地運営に対する不満が他の国にあり、その対立感情がこうしたことを生んだようだ。なるほど、イギリス人ばかりが大きな顔をしていたのでは面白くなかろう。競馬はいつも時代を映す子なのである。

 もっとも対立は数年で解消され、両方のクラブともに解散し、明治11年に新たに横浜ジョッキークラブが誕生、この年の5月には初めて日本の皇族が観戦に訪れた。ちなみに明治天皇が初めて根岸競馬を観戦したのは明治14年で、これが根岸競馬場初行幸である。そのときのダイヤについては、すでに紹介ずみの矢野吉彦『競馬と鉄道』(交通新聞社新書)が詳しい。

 明治天皇の根岸行幸は毎年のように続き、13回を数えたというが、興味深いのは『根岸の森の物語』の次の記述である。

 「明治天皇の度々の御観覧については、単なるご自身の競馬好きといったことだけでなく、そこに大きな政治的な意味が隠されていたとの見方もある。というのは、幕末から明治初年にかけて欧米の強国と結んだ条約の不平等な内容を、対等なものに改正するため、明治新政府は、井上外務卿の努力にも見られるように、長い間苦闘を続けていた。そうした外交交渉を好転させるため、天皇も居留外国人らに対するムードづくりに努められたというのだ」

 同じように開港した神戸の競馬場が続かなかった(生田の馬場で競馬が行われたのは、明治2年から7年までにすぎない)のに比べ、根岸競馬が続いたことにはそういう政治的な意図があったというのだが、なるほどなあと納得するのである。



藤代三郎(ふじしろ・さぶろう) 1946年生まれ。本名・目黒考二(めぐろ・こうじ)。明治大学文学部卒業後、76年に作家・椎名誠氏と書評誌「本の雑誌」創刊。ミステリーと野球とギャンブルをこよなく愛す。藤代三郎のほかにも群一郎、北上次郎など複数のペンネームを持ち、評論、執筆活動を幅広く展開。著書に「本の雑誌風雲録」「活字三昧」(いずれも目黒考二)や「冒険小説論」(北上次郎)。「戒厳令下のチンチロリン」や週刊ギャロップに創刊より連載している「馬券の真実」をまとめた「外れ馬券は人生である」などの“外れ馬券シリーズ”は藤代三郎として発行している。

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