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唯一、九州の地方競馬場で現存する佐賀競馬場で施行されるダート中距離戦。佐賀競馬場が佐賀市から現在の鳥栖市へと移転した翌1973年から施行されており、長らく九州地区所属馬限定戦の「開設記念」として親しまれてきた。1995年から指定交流競走となり、1997年には現行の「佐賀記念」へと改称されている。JRA所属馬に門戸が開かれてからも地方所属馬の活躍は続き、1996年には地元佐賀のリンデンニシキが優勝。ただし、2008年チャンストウライ(兵庫)の勝利を最後に地方所属馬の好走は見られず、後塵を拝し続けている現状を打破する馬の登場が嘱望される。一方で、JRA所属馬はスマートファルコンやホッコータルマエといった一時代を築く名馬が4歳時に勝利しており、将来を担いそうな若駒が登場した際には、その後におおいに注目しておきたい。
1973年に「開設記念」の競走名で4歳(現在の3歳)限定かつ北九州地区所属馬限定戦としてレース創設。その後、出走資格は1975年に4・5歳(現在の3・4歳)限定、1978年に5歳(現在の4歳)以上へと変更されてきた。1992年は西日本地区交流競走として施行され、1995年からJRAおよび他地区所属馬が出走可能となる指定交流競走へと昇華している。1997年に「佐賀記念」へと改称され、2001年に現行の2月上旬~中旬開催へと移設された。現在はフェブラリーステークスと同時期に施行されることから一線級が集うことは少なく、これからのダート界を担う若い世代が賞金加算を目的として参戦するケースが多い。
1998年以降の優勝馬を掲載しています。
優勝馬の馬齢は、2000年以前も現行表記と統一しています。
回数 | 開催日 | 優勝馬 |
---|---|---|
第51回 |
2024年2月12日
佐賀
ダ2000m
|
ノットゥルノ
JRA
牡5 武豊
音無秀孝
|
第50回 |
2023年2月9日
佐賀
ダ2000m
|
バーデンヴァイラー
JRA
牡5 福永祐一
齋藤崇史
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第49回 |
2022年2月8日
佐賀
ダ2000m
|
ケイアイパープル
JRA
牡6 藤岡康太
村山明
|
第48回 |
2021年2月11日
佐賀
ダ2000m
|
クリンチャー
JRA
牡7 川田将雅
宮本博
|
第47回 |
2020年2月11日
佐賀
ダ2000m
|
ナムラカメタロー
JRA
牡4 石川裕紀
稲垣幸雄
|
第46回 |
2019年2月11日
佐賀
ダ2000m
|
ヒラボクラターシュ
JRA
牡4 山本聡哉
大久保龍
|
第45回 |
2018年2月6日
佐賀
ダ2000m
|
ルールソヴァール
JRA
セ6 幸英明
高木登
|
第44回 |
2017年2月7日
佐賀
ダ2000m
|
ロンドンタウン
JRA
牡4 川田将雅
牧田和弥
|
第43回 |
2016年2月11日
佐賀
ダ2000m
|
ストロングサウザー
JRA
牡5 田邊裕信
久保田貴
|
第42回 |
2015年2月10日
佐賀
ダ2000m
|
マイネルクロップ
JRA
牡5 丹内祐次
飯田雄三
|
第41回 |
2014年2月13日
佐賀
ダ2000m
|
ランフォルセ
JRA
牡8 戸崎圭太
萩原清
|
第40回 |
2013年2月11日
佐賀
ダ2000m
|
ホッコータルマエ
JRA
牡4 幸英明
西浦勝一
|
第39回 |
2012年2月8日
佐賀
ダ2000m
|
ピイラニハイウェイ
JRA
牡7 川田将雅
吉田直弘
|
第38回 |
2011年2月11日
佐賀
ダ2000m
|
メテオロロジスト
JRA
牡4 武豊
池江泰寿
|
第37回 |
2010年2月11日
佐賀
ダ2000m
|
ラッシュストリート
JRA
セ5 武豊
岡田稲男
|
第36回 |
2009年2月11日
佐賀
ダ2000m
|
スマートファルコン
JRA
牡4 岩田康誠
小崎憲
|
第35回 |
2008年2月11日
佐賀
ダ2000m
|
チャンストウライ
兵庫
牡5 下原理
寺嶋正勝
|
第34回 |
2007年2月12日
佐賀
ダ2000m
|
サイレントディール
JRA
牡7 武豊
池江泰郎
|
第33回 |
2006年2月13日
佐賀
ダ2000m
|
マイネルボウノット
JRA
牡5 後藤浩輝
萩原清
|
第32回 |
2005年2月11日
佐賀
ダ2000m
|
マルブツトップ
JRA
牡5 安藤勝己
加用正
|
第31回 |
2004年2月11日
佐賀
ダ2000m
|
クーリンガー
JRA
牡5 和田竜二
岩元市三
|
第30回 |
2003年2月11日
佐賀
ダ2000m
|
エアピエール
JRA
牡7 武豊
田村康仁
|
第29回 |
2002年2月11日
佐賀
ダ2000m
|
ミツアキサイレンス
笠松
牡5 川原正一
粟津豊彦
|
第28回 |
2001年2月12日
佐賀
ダ2000m
|
ミツアキサイレンス
笠松
牡4 川原正一
粟津豊彦
|
第27回 |
1999年7月20日
佐賀
ダ2000m
|
スノーエンデバー
JRA
牡6 武豊
森秀行
|
第26回 |
1998年7月5日
佐賀
ダ2000m
|
コンメンダトーレ
JRA
牡5 田島信行
梅田康雄
|
第1回(1973年)は7月22日。第3回(1975年)は6月15日。第5~27回(1977~1999年)は6月下旬~7月中旬。第28回(2001年)以降は2月上旬~中旬に開催されている。なお、第2回(1974年)と第4回(1976年)は開催中止、2000年は施行時期の変更にともない開催されていない。
施行場所:佐賀ダート2000m(右回り) 出走資格:4歳以上 1着賞金:3000万円 負担重量:グレード別定
1973年 | 佐賀ダート1800m、九州地区所属の4歳(現在の3歳)、別定戦として創設競走名は「開設記念」 |
1974年 | 開催中止 |
1975年 | 施行距離をダート2000m、出走資格を4・5歳(現在の3・4歳)に変更 |
1976年 | 開催中止 |
1978年 | 出走資格を5歳(現在の4歳)以上に変更 |
1979年 | 施行距離をダート2500mに変更 |
1980年 | 1位入線のミスボレロは進路妨害で失格 |
1992年 | 施行距離をダート2000mに変更西日本地区交流競走として施行 |
1993年 | 施行距離をダート2500mに変更 |
1995年 | 施行距離をダート2000mに変更指定交流競走に指定 |
1997年 | 負担重量をグレード別定に変更競走名を「佐賀記念」に改称G3(国内独自)に格付け |
1999年 | スノーエンデバーが佐賀ダート2000mのコースレコードを更新 |
2000年 | 開催なし |
2002年 | ミツアキサイレンスがレース史上初の2連覇を達成 |
2007年 | 格付け表記をJpn3に変更サイレントディールが佐賀ダート2000mのコースレコードを更新 |
2008年 | チャンストウライが佐賀ダート2000mのコースレコードを更新 |
2009年 | JRA所属馬の出走枠が4頭から5頭に拡大 |
2011年 | メテオロロジストが佐賀ダート2000mのコースレコードを更新 |
2012年 | ピイラニハイウェイが佐賀ダート2000mのコースレコードを更新 |
2021年 | クリンチャーが佐賀ダート2000mのコースレコードを更新 |