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川崎競馬場が開場した翌1951年から施行されている伝統の古馬重賞で、創設当時は南関東地区の古馬最強馬決定戦として位置付けられていた。1952年には地方競馬出身で初めて中央競馬のクラシック競走(優駿牝馬)を制したキヨフジが勝利するほか、1957年スヰートハート、1974年ゴールデンスネップ、1990年ロジータ、1996~97年ホクトベガといった女傑が牡馬を相手に勝利をつかんでいる。また、ロジータは直系の2001年レギュラーメンバー(=孫)、2003年カネツフルーヴ(=子)の2頭が勝利したことで母子孫3代制覇の偉業を成し遂げた。3連覇の功績を残した1985~87年カウンテスアップ、2014~16年ホッコータルマエも川崎記念の代名詞といえる存在で、後者は2016年の勝利によって日本競馬史上初となるG1・Jpn1競走10勝の記録を打ち立てている。ほか、2012年にはスマートファルコンが従来のコースレコードを2秒0も更新する2分10秒7で勝利しており、この記録はいまだに破られていない。
1951年に「開設記念」の競走名で5歳(現在の4歳)以上かつ南関東所属馬限定戦としてレース創設。施行距離は幾度かの変遷を経て、1999年からダート2100mで定着している。1979年に現行の「川崎記念」へと改称され、1980年は川崎競馬場開場30周年を記念して「30周年川崎記念」の競走名で施行された。1990年に地方全国交流競走、1996年に指定交流競走へと昇華し、2023年まではフェブラリーステークスやドバイワールドカップのプレップレースとしての役割も果たしていた。2024年からは全日本的なダート競走の体系整備にともない施行時期を1月下旬から4月上旬へと変更。上半期の総決算である帝王賞を目指す中距離タイプが出走しやすいレースへと趣を変えている。
1998年以降の優勝馬を掲載しています。
優勝馬の馬齢は、2000年以前も現行表記と統一しています。
回数 | 開催日 | 優勝馬 |
---|---|---|
第73回 |
2024年4月3日
川崎
ダ2100m
|
ライトウォーリア
川崎
牡7 吉原寛人
内田勝義
|
第72回 |
2023年2月1日
川崎
ダ2100m
|
ウシュバテソーロ
JRA
牡6 横山和生
高木登
|
第71回 |
2022年2月2日
川崎
ダ2100m
|
チュウワウィザード
JRA
牡7 川田将雅
大久保龍
|
第70回 |
2021年1月27日
川崎
ダ2100m
|
カジノフォンテン
船橋
牡5 張田昂
山下貴之
|
第69回 |
2020年1月29日
川崎
ダ2100m
|
チュウワウィザード
JRA
牡5 川田将雅
大久保龍
|
第68回 |
2019年1月30日
川崎
ダ2100m
|
ミツバ
JRA
牡7 和田竜二
加用正
|
第67回 |
2018年1月31日
川崎
ダ2100m
|
ケイティブレイブ
JRA
牡5 福永祐一
目野哲也
|
第66回 |
2017年2月1日
川崎
ダ2100m
|
オールブラッシュ
JRA
牡5 C.ルメ
村山明
|
第65回 |
2016年1月27日
川崎
ダ2100m
|
ホッコータルマエ
JRA
牡7 幸英明
西浦勝一
|
第64回 |
2015年1月28日
川崎
ダ2100m
|
ホッコータルマエ
JRA
牡6 幸英明
西浦勝一
|
第63回 |
2014年1月29日
川崎
ダ2100m
|
ホッコータルマエ
JRA
牡5 幸英明
西浦勝一
|
第62回 |
2013年1月30日
川崎
ダ2100m
|
ハタノヴァンクール
JRA
牡4 四位洋文
昆貢
|
第61回 |
2012年1月25日
川崎
ダ2100m
|
スマートファルコン
JRA
牡7 武豊
小崎憲
|
第60回 |
2011年1月26日
川崎
ダ2100m
|
フリオーソ
船橋
牡7 戸崎圭太
川島正行
|
第59回 |
2010年1月27日
川崎
ダ2100m
|
ヴァーミリアン
JRA
牡8 武豊
石坂正
|
第58回 |
2009年1月28日
川崎
ダ2100m
|
カネヒキリ
JRA
牡7 C.ルメ
角居勝彦
|
第57回 |
2008年1月30日
川崎
ダ2100m
|
フィールドルージュ
JRA
牡6 横山典弘
西園正都
|
第56回 |
2007年1月31日
川崎
ダ2100m
|
ヴァーミリアン
JRA
牡5 C.ルメ
石坂正
|
第55回 |
2006年1月25日
川崎
ダ2100m
|
アジュディミツオー
船橋
牡5 内田博幸
川島正行
|
第54回 |
2005年1月26日
川崎
ダ2100m
|
タイムパラドックス
JRA
牡7 武豊
松田博資
|
第53回 |
2004年2月4日
川崎
ダ2100m
|
エスプリシーズ
川崎
牡5 森下博
武井榮一
|
第52回 |
2003年1月29日
川崎
ダ2100m
|
カネツフルーヴ
JRA
牡6 松永幹夫
山本正司
|
第51回 |
2002年1月30日
川崎
ダ2100m
|
リージェントブラフ
JRA
牡6 吉田豊
大久保洋
|
第50回 |
2001年1月26日
川崎
ダ2100m
|
レギュラーメンバー
JRA
牡4 松永幹夫
山本正司
|
第49回 |
2000年2月9日
川崎
ダ2100m
|
インテリパワー
川崎
牡6 張田京
秋山重美
|
第48回 |
1999年2月3日
川崎
ダ2100m
|
アブクマポーロ
船橋
牡8 石崎隆之
出川克己
|
第47回 |
1998年1月28日
川崎
ダ2000m
|
アブクマポーロ
船橋
牡7 石崎隆之
出川克己
|
第1~72回(1951~2023年)は原則として1月下旬~2月上旬(1972年は馬インフルエンザの流行位にともない開催中止)。第73回(2024年)以降は4月上旬に開催されている。
施行場所:川崎ダート2100m(左回り) 出走資格:4歳以上 1着賞金:1億円 負担重量:定量
1951年 | 川崎ダート3000m、5歳(現在の4歳)以上、「開設記念」として創設 |
1952年 | 施行距離をダート2600mに変更 |
1954年 | 施行距離をダート2800mに変更 |
1955年 | 施行距離をダート2400mに変更 |
1956年 | 施行距離をダート2000mに変更 |
1957年 | 施行距離をダート2300mに変更 |
1959年 | 施行距離をダート2600mに変更 イチカントーがレース史上初の2連覇を達成 |
1962年 | 施行距離をダート2200mに変更 |
1964年 | 施行距離をダート2150mに変更 |
1972年 | 馬インフルエンザの流行にともない開催中止 |
1979年 | 競走名を「川崎記念」に改称 |
1980年 | 「30周年川崎記念」の競走名で実施 |
1981年 | ゴールドスペンサーがレース史上2頭目の2連覇を達成 |
1984年 | 施行距離をダート2100mに変更 |
1985年 | 施行距離をダート2000mに変更 |
1986年 | カウンテスアップがレース史上3頭目の2連覇を達成 |
1987年 | カウンテスアップがレース史上初の3連覇を達成 |
1990年 | 地方全国交流競走に指定 |
1994年 | 南関東所属馬限定戦として実施 |
1996年 | 指定交流競走に指定 |
1997年 | ホクトベガがレース史上4頭目の2連覇を達成 |
1998年 | G1(国内独自)に格付け |
1999年 | 施行距離をダート2100mに変更アブクマポーロがレース史上5頭目の2連覇を達成 |
2001年 | レギュラーメンバーが川崎ダート2100mのコースレコードを更新 |
2004年 | エスプリシーズが川崎ダート2100mのコースレコードを更新 |
2007年 | 格付け表記をJpn1に変更 |
2010年 | ヴァーミリアンが川崎ダート2100mのコースレコードを更新 |
2012年 | スマートファルコンが川崎ダート2100mのコースレコードを更新 |
2015年 | ホッコータルマエがレース史上6頭目の2連覇を達成 |
2016年 | JRA所属馬の出走枠が5頭から6頭に拡大ホッコータルマエがレース史上2頭目の3連覇を達成 |
2021年 | COVID-19の流行により無観客競馬として開催 |
2024年 | 全日本的なダート競走の体系整備にともない施行時期を4月上旬に変更 |
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