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競馬界のスター・武豊騎手が「唯一無二」であり続けられる理由 1頭の種牡馬と時代が生み出した「寵児」の数奇な運命

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競馬界のスター・武豊騎手が「唯一無二」であり続けられる理由 1頭の種牡馬と時代が生み出した「寵児」の数奇な運命――Gambling Business Journal / 2016年4月5日 6時0分

「競馬のことはよく知らなくとも、武豊は知っている」――
 競馬ファン意外の一般人で、このような認識を抱いている人は大多数いるだろう。デビュー以来数々の大記録を打ち立て、メディア出演にも積極的で華があり、トークもお上手となればお茶の間からの人気が出るのも当然か。
 武豊騎手がデビューしたのは1987年。バブル景気の真っ只中でのデビューとなった。競馬は間違いなく「娯楽」であり、好景気の中でエキサイティングな遊びとして浸透。オグリキャップを中心としたスターホースも、社会に呼応するように次々と出現した。
 武騎手は、 まさにそんな"熱い"時代の中で、まるで導かれるかのようにスターダムを駆け上がっていく。新人最多勝利に始まり、デビュー2年目での菊花賞制覇(スーパークリーク)、89年にはG1を4勝と、わずか3年の間にトップクラスの騎手と認識されるようになる。90年、稀代のアイドルホースであったオグリキャップのラストランで勝利を挙げ、武騎手は完全なる「競馬界の星」となったのだ。
 これだけでも十分「運命」「宿命」を感じることができるし、武騎手の抜群のレースセンスや正確な体内時計、スタートの上手さや折り合いで期待に応え続けた実力の賜物であることも間違いない。
 ただ、やはり「武豊」が現在まで3800勝もの勝ち星を重ね、今なお競馬界のスターであり続けるまでになった「最大の運命」は、やはり日本競馬に訪れた1頭の"種牡馬"の出現にあると筆者は感じずにはいられない。
 その種牡馬とはサンデーサイレンス。91年に種付けを開始した同馬は、翌年からジェニュイン、タヤスツヨシを筆頭に重賞馬・G1馬を排出。最終的に13年連続リーディングサイアーとなり、日本競馬の血統地図を「サンデー色」に染めてしまった。現在の競馬界の活躍馬で、サンデーサイレンスの血が入っていない馬を探すのは困難だ。
 サンデーサイレンスの産駒たちは、みな基本的に気性が荒く、そのエネルギーを闘争本能へと昇華させることを得意とした。脚質としては「キレ味」を身上とする馬が多く、当時「スピード重視」へと移行しつつあった日本競馬に見事にフィットしたというのも成功の要因ではあるだろう。
 そしてそんな日本競馬のレース編成、ならびにその申し子となったサンデーサイレンスの出現が、武騎手をさらなる高みへと押し上げた。
次のページ▶▶ 武豊とサンデーサイレンス産駒の親和性

 一時期より、それまで競馬の常識でもあった「好意抜け出し」から、武騎手は馬の瞬発力やスピードを最後の最後で発揮する控える騎乗スタイルを確立した。その騎乗がキレッキレの脚を持つサンデーサイレンス産駒に実にピタリとハマり、さらに勝利数が伸びる要因となったのはいうまでもない。アドマイヤベガやスペシャルウィークのダービーはまさにその手腕と「運命」を象徴するかのようなレースだった。
 武騎手の前人未踏の年間200勝超えや数々のG1制覇を「運」が味方したものと申し上げているのではない。武騎手の騎乗スタイルの幅の広さはもちろん、サンデーサイレンスの登場や日本競馬そのものの変化も含めて「運命」と呼ぶに相応しい出来事だったということだ。
さらに、そんな「武騎手×サンデーサイレンス」の大団円となったのが、史上2頭目無敗の3冠を達成したディープインパクトというのだから恐れ入る。武騎手はやはり、スターの星のもとに生まれてきたと考えざるを得ない。
 最近ではディープインパクトの産駒であるキズナで5度目のダービー制覇を成し遂げるなど、厳密にいえば武騎手とサンデーサイレンスの運命は終わってはいない。そして武騎手が引退するまでその物語は続く。だからこそ、武騎手は世界でも稀なスター騎手であり続けられるのだ。

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