1985年のダービー馬シリウスシンボリ(父モガミ、母スイートエプソム、母の父パーソロン)が8日午後10時、繋養先の北海道日高町・沖田牧場で老すいのため死亡した。30歳だった。
シリウスシンボリは82年3月26日、北海道門別のシンボリ牧場で誕生。大きな期待が寄せられ、美浦・二本柳俊夫厩舎所属で84年9月16日の中山の新馬戦を快勝したが、粗削りな面があり、続く芙蓉特別は1位入線から失格。その後は脚部不安も出て順調さを欠いたが、翌85年に3月30日の若葉賞1着以来、2カ月ぶりで挑んだダービー(加藤和宏現調教師騎乗)で3馬身差の圧勝。オーナーブリーダーのシンボリ牧場はシンボリルドルフに次ぎ、2年連続ダービー制覇の快挙を成し遂げた。
その後は当時としては画期的な海外長期間遠征を敢行。14戦して勝てないまでも85年の仏GIロワイヤルオーク賞3着、86年には仏GIIIフォワ賞で2着とこの時代の日本馬のレベルとしては大健闘し、ダンシングブレーヴが勝った凱旋門賞にも出走(14着)した。87年秋に日本で復帰し、88年10月の天皇賞・秋7着が最後のレースとなった。通算26戦4勝、重賞はダービーの1勝。種牡馬としてはオーシャンカレント(96年GIII京都4歳特別2着)などを出し、種牡馬引退後は沖田牧場で余生を送っていた。