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週末に行われる中央重賞の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、競馬の長い歴史の狭間できらめいた馬を紹介する「中央重賞懐古的回顧」。第20回は1984年の毎日王冠優勝馬カツラギエースを取り上げる。
1984年は中央競馬にとって記念すべき年。言うまでもなく、重賞にグレード制が導入された年であり、秋の天皇賞の施行距離が3200mから2000mへと短縮された年である。そして「皇帝」シンボリルドルフがクラシック三冠を達成した年でもあって、ジャパンCをカツラギエースが日本馬として初めて制した年にもなる。競馬絡みの古書集めが趣味の筆者からしたら、「1984」という数字の並びを見ただけで競馬をイメージしてしまうほど。オーウェルとか村上春樹とかロス五輪よりも先に、だ。
さて、その1984年の毎日王冠である。後世に残ったのは「カツラギエースがミスターシービーの上がり33秒7の脚を封じて大物食いを果たしたレース」という風評だが、そもそも単勝1番人気は南関東四冠馬サンオーイであった。まともなデキと報道されれば当然ミスターシービーが本命に推されたのだろうが、併走馬ミサキネバアーに5馬身遅れた最終追いの内容が不安視されたわけだ。そして結果として、宝塚記念優勝馬カツラギエースに同い年の三冠馬は敗れてしまった。
しかし、だ。スローの単騎逃げを打った上で、開幕週の青々とした芝の内目を通って余力十分に追い比べに挑んだカツラギエースに対し、道中ドンジリから大外をぶん回して進出したミスターシービー。双方休み明けだったのは相殺するとしても、その結果アタマ差の勝負となったことから導き出される結論は、「ミスターシービーは強い」以外あり得ないのではないだろうか。
この毎日王冠は東京競馬場にターフビジョンが設置されて最初の重賞であり、最後方追走から3角で徐々に上昇していくミスターシービーが映った際には地鳴りの如くどよめきが起こったという逸話がある。結局のところ勝っても負けてもこの日の主役は三冠馬で、即日の主役交代はまず無かった。続く天皇賞では、同じくドンジリから上昇したミスターシービーの豪脚に、道中スムーズに競馬できなかったカツラギエースは軽々一蹴されてしまった。この時点で日本競馬の主役は、まだまだミスターシービーだったのだ。
ところが。こと日本競馬の歴史において、この毎日王冠は「ジャパンCにおける大金星」の伏線として、および「先輩三冠馬の凋落」のプロローグとして位置づけられている。カツラギエースにしてみれば、秋天の敗戦によりマークが緩くなったことがジャパンCの最大の勝因だったのだろうが、1歳下の三冠馬シンボリルドルフという新たな要素が絡んだとは言えど、ミスターシービーが一種の悲劇の主役として後世語られるようになるとは、毎日王冠の時点で誰一人思いもしなかったはず。競馬という勝負の世界において、甘い期待と予想と幻想はいつも裏切られるのだ。
「西の強豪」カツラギエースが史上に残る大金星を挙げて、真の意味で一流馬に脱皮するジャパンCまで、あと2戦。そして、「驚異の三冠馬」ミスターシービーが「皇帝」との邂逅により、本当の意味での敗北を味わう有馬記念まで、あと3戦。
カツラギエース
牡 黒鹿毛 1980年生
父ボイズィーボーイ 母タニノベンチャ 母父ヴェンチア
競走成績:中央22戦10勝
主な勝ち鞍:ジャパンC 宝塚記念 サンケイ大阪杯 毎日王冠 NHK杯 京都新聞杯 京阪杯
(文・古橋うなぎ)
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