年がら年中四六時中、競馬にお休みは基本的にありません。当欄では、2月6日~12日に競馬界で過去にあった様々な出来事を簡潔に紹介していきます。
2月7日
【2016年】東京新聞杯で1番人気ダッシングブレイズが落馬
条件戦から前走リゲルSまで3連勝を飾り、単勝1番人気の支持を受けた
ダッシングブレイズが直線インを追い上げた際に内ラチに接触して落馬。その際騎乗した
浜中俊騎手がコースの内側に投げ出されて、左トウ骨遠位端など4カ所を骨折する重傷を負った。浜中騎手は過怠金5万円と泣き面に蜂。一方
ダッシングブレイズに異常はなかった。「イエスタカス」騒動といい、何かと因果な出来事に見舞われたいわく付きの馬だったが、その後重賞(2017年の
エプソムC)を制して2019年に無事引退。現在は阪神競馬場にて誘導馬を務めている。
2月9日
【1975年】東京4歳Sにてカブラヤオーとテスコガビーの対決が実現
東京4歳S(旧馬齢表記・現在の
共同通信杯に当たる)に前走を10馬身ぶっちぎったカブラヤオーと4戦無敗のテスコガビーが揃って出走。特筆すべきは両方とも菅原泰夫騎手を主戦とする逃げ馬だったということである。菅原騎手は関係性による判断でテスコガビーに騎乗し、カブラヤオーには弟弟子の菅野澄男騎手が跨った。結果はカブラヤオーがクビ差勝利。2頭が牡牝の春二冠を制したことで後に「伝説の名勝負」と称された。ちなみに、2頭と僅差の3着に肉薄したテキサスシチーはその後零落し、岩手で奮闘する様を寺山修司の作品の題材とされた。
2月10日
【1996年】「いったいどこを走っているのか」吹雪の中バイオレットSが行われる
後のオープン大将
ナムラホームズが制したバイオレットS。しかしこのレースで特筆すべきは結果よりもその絵面だろう。折からの猛吹雪により実況中継のテレビ画面もターフビジョンもおしなべて真っ白。アナウンサーも困惑しながら半ば手探りで実況を行った。ワンターンのダートコースをグルッと回り、直線残り300mほどでようやく見えてきた先頭を行くトキオクラフティーと
ナムラホームズの姿。騎乗する方も大変なレースだったはずだ。そう言えば早い時期の関西圏のダートのオープン特別も今は昔となった。
2月11日
【2000年】山元トレーニングセンター火災事故
この日の未明に宮城県亘理郡山元町にある山元トレーニングセンターで火災が発生。厩舎にいた30頭のうち22頭が焼死した。この22頭の中には
マイラーズCなど重賞2勝の人気者
エガオヲミセテが含まれていた。
エガオヲミセテは
音無秀孝厩舎初期の看板ホースだったが、2日後の
ダイヤモンドSを同厩の
ユーセイトップランが大マクリで制したことが「
エガオヲミセテへの手向け」として感動を呼んだ。なお、同日の
きさらぎ賞を勝った
シルヴァコクピットは、火事の犠牲者の一頭であるスターシャンデリアの半弟でもあった。
【2006年】牧原由貴子騎手が結婚発表
“花の12期生”の一人であり、JRA初の女性騎手3名のうちのエース格として1996年にデビューした牧原由貴子騎手(当時28歳)が結婚を発表。お相手は師匠である増沢末夫調教師の長男・増沢真樹調教助手。アイドル的人気を博した「マッキー」も、この結婚を機に翌3月より増沢姓を名乗って騎乗した。しかしその後は中央では勝ち星を挙げられず、新たに「マッスー」とか「マッサン」と呼ばれることもほぼなく2013年に引退。2009年の神無月Sにて当時売り出し中の
レッドシューターに乗った際はちょっと話題になった(結果は5着)。
(文:古橋うなぎ)
