年がら年中四六時中、競馬にお休みは基本的にありません。当欄では、2月13日~19日に競馬界で過去にあった様々な出来事を簡潔に紹介していきます。
2月14日
【1999年】共同通信杯4歳Sで馬連11万馬券が飛び出す
同馬主の
グラスワンダーに続けとばかりに、マル外のグラスグラードが単勝オッズ1.5倍の圧倒的人気となったG3・
共同通信杯4歳S(旧馬齢表記)。しかしふたを開けてみれば10番人気でヤマニンスキー産駒のヤマニンアクロが逃げ切り勝ち。1馬身半差の2着には13番人気キンショーテガラ(父
ラグビーボール)が入り、大本命グラスグラードは出遅れが響いて7着敗退。副称「トキノミノル記念」はまさかのマル父決着で幕を閉じた。ヤマニンアクロの単勝は3300円。馬連114650円は中央重賞歴代3位(当時)の高配当であった。
【2010年】スプリングカエサルの白浜雄造騎手“天神乗り”で2着確保
京都4Rの障害未勝利戦での出来事。圧倒的1番人気のスプリングカエサルが2周目の生垣障害を飛越した際に着地に失敗。鞍上の
白浜雄造騎手が落馬寸前となり、すぐさま体勢を立て直したものの鞍がズレたことに気づいて、安全のため両足のあぶみを外して騎乗した。以後馬の背と垂直に跨った“天神乗り”のようなフォームで2930mの障害コースを無事完走し、なんとか2着を確保。ゴールした際にはスタンドから拍手が起こったという。白浜騎手の機転の良さと騎乗技術の高さを証明した一件であった。これは機会があれば是非映像で見ていただきたい。
2月15日
【1998年】エルコンドルパサーがダート変更の共同通信杯4歳Sを快勝
共同通信杯絡みのネタをもう一つ。この年は降雪によりダート1600mへ条件が変更されて、同時にG3の格付けも取り消された(1995年の
東京新聞杯に続き2例目)。勝ち馬
エルコンドルパサーはデビュー以来ダート2連勝でここに臨んだとあって、当時は「ダート変更の恩恵に与った勝利」との意地悪い見方も一部存在したが、芝を舞台とした後の大活躍は皆さんご存知の通り。2着
ハイパーナカヤマや4着インテリパワー辺りはまさしくダート変更の恩恵による好走だったのかもしれないが…。
2月16日
【1975年】野平祐二騎手が最終騎乗の目黒記念・春を勝利で飾る
この日「ミスター競馬」「祐ちゃん」こと野平祐二騎手がムチを置いた。1944年のデビュー以来挙げた勝ち星は当時の中央競馬最多となる1339。だが日本の競馬界に与えた影響は勝ち星の数を上回る多大なものであった。尾形藤吉門下の兄弟子で5年前に引退レース・京王杯スプリングHを制した保田隆芳騎手と同じように、
目黒記念・春にてカーネルシンボリを勝利に導き有終の美。後日中山競馬場で行われた引退式で野平騎手は「本来なら、今日はスピードシンボリも駆けつけてくれるはずだったが、彼も今は仕事が忙しいものですから…(原文ママ)」とユーモアたっぷりにスピーチしたとか。
【2014年】降雪の影響により4日連続で東京開催が中止に
冬の時期にはありがちな降雪による開催中止。この年の2月、日本列島は軒並み豪雪に見舞われた。その影響で16日の東京競馬が開催中止となり、24日に振り替えられた。東京開催は2月8日、9日、15日、そしてこの16日と4日連続で中止に。一連の開催中止により、重賞で言うと
東京新聞杯と
クイーンC、それに
共同通信杯が後日に順延された。天候を原因とした1開催4日間の中止はJRA史上初めての出来事であった。
(文:古橋うなぎ)