●アドマイヤマックス◎の大正解と2着キーンランドスワン無印の大ポカ
高松宮記念が2000メートルから1200メートルに、GⅡからGⅠに昇格したのは平成8年のこと(9年までは高松宮杯)、そして、5月の開催からいまのように3月の最終週に移ったのは12年のことである。
関東エリアを中心に予想の仕事をしてきた自分にとっては、当初、この1200メートルへの距離変更に大きな戸惑いがあった。なぜって、平たん小回り中京の1200メートルなんて、ほとんど予想をつけたことがなかったから、さて、この特殊距離のレース、どこに重きを置いて検討したらいいのか、なかなかつかめなかったのである。
最初の年、平成8年に◎を打ったのは1200で5勝、前年のスプリンターズSの勝ち馬ヒシアケボノだった。しかし、これは1番人気で3着どまり。翌9年には、この距離5戦5勝の距離適性にしびれてシンコウフォレストに◎を打ったが、これまた3着。皮肉なことに翌10年にこの馬を△印に落としたら勝たれてしまった。ようやく私の◎が高松宮記念を勝ってくれたのは13年のトロットスターだが、その後も高松宮記念は苦戦の連続、あまりいい思い出はない。
快心の◎といえるのは17年のアドマイヤマックスだろうか。当時の私の記事のタイトルはこうである。
「人気の3頭に重大な死角、今年の高松宮記念は大荒れ大波乱の予感」
との小見出しがあって、恥ずかしいくらいの大見出しは、
“メンバー最速の上がり33秒8を使った阪急杯から太め絞れてガラリ一変、18番アドマイヤマックスだ!”
人気馬3頭の死角の記事にほぼ半分を費やして、残り半分でアドマイヤ◎の根拠を書いたのである。
結果は我が◎アドマイヤマックスのあざやかな直線一気、中山競馬場のテレビの前で、“ユタカ、ユタカ”と当時手綱をとった武豊に向かって絶叫したことをいまでも鮮明に憶えている。
もちろん、アドマイヤのVこそが絶叫、喜びのすべてだったとは思うが、その一方で、死角ありと指摘した人気馬3頭のいずれもが連対さえ果たせなかったことへの喜びも。ちなみに、このときの上位1~3人気馬の着順は3、16、4着だった。
アドマイヤマックスの単勝は1180円、単勝党の私にとっては望外の高配当だったわけだが、レースの予想をするにあたっての改めての教訓は、“どの馬が一番強いのか”の検討もさることながら、同時に“この人気馬は本当に信用できるのか”との、逆の検討もせよ、ということ。これが平成17年の高松宮記念の教えである。
でも、私はやっぱり高松宮記念の予想は苦手らしい。
この年、せっかくアドマイヤマックスに◎を打ったのに、2着に飛び込んできたキーンランドスワンを無印にしてしまったのだから。いや、キーンランドがとても印をつけられるような馬でなかったのなら仕方がない。しかし、何を隠そう、このキーンランドは前述の阪急杯を勝ち、アドマイヤに先着していた馬なのである。アドマイヤに◎を打つのなら、その1ヶ月前に後塵を拝したキーンランドに、なぜ、印のひとつもつけられなかったのか。なんでこんな大ポカをやらかしてしまったのか。△ひとつで馬単⑱→⑮1万4570円的中の大ヒットだったものを、、、。
登録済みの方はこちらからログイン