カネツフルーヴ(競走馬)

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写真一覧
抹消  黒鹿毛 1997年4月26日生
調教師山本正司(栗東)
馬主株式会社 ローレルレーシング
生産者高瀬牧場
生産地新冠町
戦績37戦[10-7-5-15]
総賞金16,532万円
収得賞金8,025万円
英字表記Kanetsu Fleuve
血統 パラダイスクリーク
血統 ][ 産駒 ]
Irish River
North Of Eden
ロジータ
血統 ][ 産駒 ]
ミルジヨージ
メロウマダング
兄弟 イブキガバメントオースミイレブン
市場価格
前走 2004/05/23 東海ステークス G2
次走予定

カネツフルーヴの競走成績

[ 競走データ ] [ 繁殖データ ]
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成績 条件別 競馬場別 距離別 重量別 騎手別 タイム別
開催日

R 競走名 コース









指数

負担
重量
(kg)
騎手調教師



馬体重
(kg)




(秒)

3F
通過順 1(2)着馬
04/05/23 中京 11 東海S G2 ダ2300 162412.0616** 牡7 59.0 幸英明山本正司 556
(+2)
2.38.7 15.049.0⑯⑯アンドゥオール
04/04/29 笠松 10 オグリ記念 G2 ダ2500 9--------2** 牡7 58.0 松永幹夫山本正司 554
(--)
2.41.2 0.0----ミツアキタービン
04/03/24 船橋 11 ダイオライト G2 ダ2400 14--------4** 牡7 56.0 松永幹夫山本正司 559
(--)
2.31.9 0.0----ミツアキタービン
04/02/04 川崎 10 川崎記念 G1 ダ2100 11--------4** 牡7 56.0 松永幹夫山本正司 550
(--)
2.14.7 0.0----エスプリシーズ
03/12/29 大井 9 東京大賞典 G1 ダ2000 16--------16** 牡6 57.0 松永幹夫山本正司 543
(--)
2.12.8 0.0----スターキングマン
03/11/29 東京 11 JCダート G1 ダ2100 161138.7911** 牡6 57.0 松永幹夫山本正司 542
(-5)
2.11.9 2.741.3フリートストリート
03/11/03 大井 9 JBCクラシ G1 ダ2000 15--------7** 牡6 57.0 松永幹夫山本正司 547
(--)
2.06.8 0.0----アドマイヤドン
03/04/29 笠松 10 オグリ記念 G2 ダ2500 10--------1** 牡6 58.0 松永幹夫山本正司 549
(--)
2.39.5 -0.0----リージェントブラフ
03/03/26 船橋 11 ダイオライト G2 ダ2400 8--------1** 牡6 55.0 松永幹夫山本正司 544
(--)
2.29.6 -0.0----リージェントブラフ
03/02/23 中山 11 フェブラリー G1 ダ1800 161245.8144** 牡6 57.0 中舘英二山本正司 550
(+5)
1.51.8 0.939.3ゴールドアリュール
03/01/29 川崎 10 川崎記念 G1 ダ2100 9--------1** 牡6 56.0 松永幹夫山本正司 545
(--)
2.14.8 -0.0----リージェントブラフ
02/12/29 大井 9 東京大賞典 G1 ダ2000 16--------9** 牡5 57.0 松永幹夫山本正司 546
(--)
2.07.3 0.0----ゴールドアリュール
02/11/23 中山 11 JCダート G1 ダ1800 163538.5811** 牡5 57.0 松永幹夫山本正司 548
(+6)
1.54.0 1.839.9⑧⑦イーグルカフェ
02/11/04 盛岡 9 JBCクラシ G1 ダ2000 14--------3** 牡5 57.0 松永幹夫山本正司 542
(--)
2.06.8 0.0----アドマイヤドン
02/06/19 大井 9 帝王賞 G1 ダ2000 15--------1** 牡5 57.0 松永幹夫山本正司 546
(--)
2.03.7 -0.0----ミラクルオペラ
02/05/19 中京 11 東海S G2 ダ2300 14347.245** 牡5 57.0 山田泰誠山本正司 550
(+6)
2.23.2 0.938.3ハギノハイグレイド
02/04/20 東京 11 丹沢S 1600万下 ダ2100 158143.521** 牡5 57.0 吉田豊山本正司 544
(-4)
2.11.4 -0.338.0コスモリバーサル
02/04/07 阪神 10 梅田S 1600万下 ダ1800 127101.412** 牡5 57.0 松永幹夫山本正司 548
(-6)
1.50.4 0.037.5ホーマンベルウィン
02/03/16 阪神 10 甲南S 1600万下 ダ1800 14462.913** 牡5 58.0 松永幹夫山本正司 554
(+6)
1.51.8 0.238.4ワンモアマイライン
02/02/16 京都 10 北山S 1600万下 ダ1800 12222.421** 牡5 57.0 松永幹夫山本正司 548
(0)
1.51.4 -0.138.8バクシンヒーロー

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「中央重賞懐古的回顧」の姉妹版。来たる地方交流G1の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、各地の競馬場の舞台で輝いた馬を紹介する「地方交流G1懐古的回顧」。第6回は2003年の川崎記念優勝馬カネツフルーヴを取り上げる。


南関東公営のオールタイム・ベストとも称される、1986年生まれの名牝ロジータ。第二次競馬ブームの真っ只中に南関東三冠と東京大賞典を制し、翌1990年に引退レースの川崎記念を単勝元返しの期待に応えて8馬身ぶっちぎったことで半ば生ける伝説となった。今も昔も川崎に「ロジータ」と冠されている物は多く、言うなれば当地の象徴と化している。

そして引退後の話。牝祖として血統表に入ったロジータの遺伝力は凄まじいものがあり、代を経ても種牡馬がタニノギムレットだろうがルーラーシップだろうがベーカバドだろうがダートでそこそこ走る馬にしてしまう辺りは歴史的名牝の成せる業といったところ。直仔のカネツフルーヴにせよ、父親のパラダイスクリーク自身は種牡馬成績はともかく現役時は芝馬だったのだから、息子がダート向きに出たのは母ロジータの影響が色濃いのだろう。まさに血は水より濃いのだ。

そのカネツフルーヴは現役時に交流G1を2つ、2002年の帝王賞と2003年の川崎記念を制している。中央代表として地方の大将格であるトーシンブリザードやトーホウエンペラーを蹴散らした帝王賞もまずまず評価できるだろうが、6歳時に制した川崎記念の内容がまあ凄いのである。メンツはともかく、そのレースぶりが素晴らしい。

まだ日の短い、1月の夕刻の川崎競馬場。松永幹夫騎手を背に545キロの巨体を震わせて、緩みないペースで馬群を先導するカネツフルーヴ。最初の1100mのラップは66秒1。これはそのままの字面だと分かりづらいだろうが、100m地点から1100m地点の間の1000mのラップは59秒2だ。この芝並みの破滅的ハイペースは自ら刻んだカネツフルーヴもそうだが、追いかけた方もしんどいはず。さすがに上がり3ハロンは42秒1と鈍ったが、川崎の急カーブをタイトに回して終いまで緩めなかったカネツフルーヴは、前年覇者リージェントブラフの強襲を1馬身差抑え込み、見事な形で母仔制覇を飾った。

2003年当時はダート界に逃げ馬の強豪が多かったが、2001年の川崎記念優勝馬で同厩にして同い年の甥であるレギュラーメンバーは休養中でほぼかち合わず、生粋の逃げ馬スマートボーイは地方交流重賞を苦手としており、キャラの被るアルアランが急激に衰えたのはカネツフルーヴにとって幸運だったと言える。その後、ダイオライト記念とオグリキャップ記念をレコードで連勝して路線の王者として君臨したが、そのオグリキャップ記念のゴール直後に転倒して外傷を負った後は不振に終わった。引退後は種牡馬入りするも、ダートの活躍馬が顧みられづらい時代だったこともあり、晩年は不遇であった。

このように、「ロジータの息子」という血統背景以上に一頭の馬として魅力的であったカネツフルーヴ。しかし血とは因果なもの。件の川崎記念の3着馬は張田京騎手鞍上のジーナフォンテン。そしてその18年後の2021年の川崎記念の勝ち馬は…勝利ジョッキーといい、競走馬とは血の呪縛から逃れられないようだ。

カネツフルーヴ
牡 黒鹿毛 1997年生
父パラダイスクリーク 母ロジータ 母父ミルジョージ
競走成績:中央26戦6勝 地方11戦4勝
主な勝ち鞍:帝王賞 川崎記念 ダイオライト記念 オグリキャップ記念

(文:古橋うなぎ)

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カネツフルーヴの口コミ


口コミ一覧
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【馬ニアな話】黄金の魅力─競馬HEADLINE/ 2017年5月3日 18時30分
http://keiba-headline.com/gold-allure-13144/

日本競馬界を根底から変えた大種牡馬、サンデーサイレンス。一期生達からダービー馬を誕生させたそのDNAは、ホースマン、そして我々をファンも熱狂させた。

サンデーサイレンスの子ならダービーも!天皇賞も!有馬記念も!と夢を見た。馬主さんと言われる親分達は、それまで夢の世界でしか考えられなかった眩い名誉を現実にすべく、サンデーサイレンスの子を求めた。

しかし、サンデーの子とて負ける時はあっさり負ける。勝てなかった者、一度も競走馬として競馬場に足を踏み入れられなかった者も数多くいるのだ。あくまでも、夢が叶う可能性が高いというだけで、必ずダービーや有馬記念を勝てる保証はされていない。

サンデーサイレンスに世界の大種牡馬として名を馳せていたヌレイフの肌を掛け合わせて生まれた仔馬がいた。遮光率の高いサングラスをかけても、眩しさすら感じるような超良血馬だ。まだこのトネがニキーヤの99と呼ばれていた頃、取り巻く人々はおそらくダービーを強く意識していたと思う。

金色に輝く栗毛の馬体、その毛色と同じく眩い魅力を生まれながらに持っていたトネっ仔は黄金の魅力という意味を持つゴールドアリュールという名を与えられた。

立派な名前を貰い、栗東の池江泰郎厩舎に入厩したゴールドアリュールは2001年11月の京都でデビュー。初陣の舞台は芝の1800mだった。クラシックを意識された出陣だ。結果は2着に敗れたが、中2週の間隔で再び同じ舞台に挑み初勝利をあげる。ここから黄金の道を…と思われたが2勝目は年が変わった2002年4月だった。舞台は阪神の平場条件戦で、ダートの1800m。この時期といえばクラシック候補の馬達は皐月賞の舞台に立っていなくてはならない時期だが、やや後れをとったゴールドアリュールは京都で行われるダートのオープン競走、端午Sを勝利し3勝目を挙げ、何とかダービーへ間に合ったかたちとなった。

バリバリの良血馬がダートで勝ちを積み重ねクラシックへ。王道を行く馬達と比べれば少し格が落ちる道のりだが、このダート実績は後に彼を待ち構えている輝かしい未来への鍵だった。

夢に見たダービーは、2勝目と3勝目をもたらしてくれた上村洋行を背に挑んだ。直線ではそれが現実になると思わせる瞬間があったが、大外から戦車の如く逞しい脚で伸びてきたタニノギムレットに及ばず5着に敗れた。勝てはしなかったが、99年に生を受けた9679頭のサラブレッドの中で5番目に強いと考えれば、立派な成績だと思う。

一つの目標を終えたゴールドアリュールとホースマン達は、目先を芝からダートへ変えた。2002年7月4日、ゴールドアリュールの姿は公営大井競馬場にあった。ここで開催される3歳ダート決定戦、ジャパンダートダービーに挑むことになる。鞍上が上村から武豊へと替わったこの一戦で、栗色のサンデー産駒は驚くようなパフォーマンスを披露することになるのだった。

レースはやや押して主導権を取りに行く競馬で進められた。外からは的場文男が手綱を握るノムラリューオーが競る素振りをチラつかせたが、1角までに振り切りハナに立った。ここからは悠々独り旅。4角を迎えても競りかける、或いは並びかける馬はいなかった。余裕たっぷりで武が追い出すと、グングンとリードを広げていった。付いて行こうとした藤田のエイシンセダンは潰され、後方から飛んできた石崎隆之のプリンシパルリバー、秋山のインタータイヨウは影も踏めなかった。

逃げて10馬身のV。前年、志半ばで錨を下ろしたクロフネを彷彿とさせる圧巻の走りであった。道は開けた。ここからゴールドアリュールは自身に用意されていた輝かしい未来へと爆走して行く。

夏を越し秋。同期生達が菊花賞、或いは天皇賞秋へと進路を悩む中、彼は岩手の盛岡にいた。挑むレースは当時交流GIだったダービーグランプリ。ダービーは生涯一度しか走れない貴重なレースだが、ゴールドアリュールは、東京優駿、JDD、ダービーGPと3度ダービーの舞台に立った。全く幸せな馬である。

馬体重は大井のレースから12kg減ったが、そんなものは関係なかった。ここでもスタートからハナに立ち、後に東京大賞典を制するスターキングマンをいとも容易く10馬身突き放して快勝。2つ目のダービータイトルを手に入れたのだ。私はこの時、勝手にドバイやアメリカで大差勝ちをするゴールドアリュールを想像した。

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その後はダート界に現れた新星はまだ出来たてホヤホヤの世界戦、ジャパンカップダートに挑んだ。人気はアドマイヤドンに続く2番人気。自身と同じく良血馬の期待を背負わされ、ダートに矛先を変えて光を掴んだ先輩との対決だったが、奴が乗れば馬が変わると世界中の競馬界から神のように崇められているフランキー・デットーリ騎乗のイーグルカフェに2頭ともやられてしまった。アリュールは5着、ドンは3着だった。

この時のフランキーの騎乗は確かに神であった。こう言ってはイーグルカフェファンにシバかれるかも知れないが、まさかこの馬がここで勝つとは、夢にも思わなかった。

人間の世界も馬の世界もなかなか理想通り行かないということだ。ダートで初めての敗戦を喫したゴールドアリュールだったが、休むことなく再び大井に向かった。12月29日、東京大賞典だ。中央で散財した競馬ファン達が最後の望みをかけるこのレースは、ともすると有馬記念より熱いのではなかろうか?

寝ても覚めても、馬の尻を追いかけるしがないファン達は、ゴールドアリュールを1.5倍の単勝支持率で迎えた。暮れも押し迫る大井の馬場を逃走し、3つ目のダートG1タイトルを獲得し、ファンに餅代を渡し、2002年を締めくくったのだった。

明けて2003年。JRA最優秀ダート馬、NARグランプリ特別表彰馬という勲章を携え古馬になったゴールドアリュールは、ステップレースを使わずいきなり大一番のフェブラリーSへ挑んだ。まだ、府中が改装工事中だったので、前年のJCDと同じく、中山での開催だった。

ぶっつけ本番で、唯一敗れた中山のダート。この不安要素が買われ、3.1倍というオッズを作り上げたのだと思う。まぁ馬は我々のようにオッズ板を見てアレやこれやと騒がないし、自分が本命馬か穴馬かなんて、そんなものは知ったこっちゃない(笑)数字がコンマ1上下するだけで、騒つく我々を、馬達は嘲笑いの気持ちで見ているのかもしれない。

そんなわけで始まったフェブラリーS。ハナを叩いたのは、アリュールではなくカネツフルーヴと中舘。川崎競馬が生んだ怪物、ロジータの息子は逃げの名手に導かれアリュールの出鼻を挫いた。いつものポジションを取れなかったゴールドアリュールだったが、鞍上の武豊は騒がず冷静にイン3番手位に付けさせた。それをピタリとマークしたのはビワシンセイキと横山典弘。昨年の夏に急成長を遂げると、一気の5連勝で東京大賞典まで登り詰め2着。敗れはしたが、逃げを打てば必ず大差勝ちだったゴールドアリュールに1馬身半まで詰め寄った。 動画 Yotube https://www.youtube.com/watch?v=MyC095c9COg

淡々と流れる真冬のダート王決戦in下総。レースが動いたのは3〜4角。内から栗毛の馬体が音もなくスルスルと浮上を開始。ついに来たかと鞍下の相棒にサインを送る中舘。マークしていたビワは少し押し気味。後ろから北村のマイネルブライアン、更にはJCDで自身を負かしたイーグルカフェが、イタリアの名手ミルコ・デムーロと共に追い上げてきた。

ゴールまで残り308m。気分良く逃げていたカネツフルーヴをあっという間に捕らえて、ゴールドアリュールは先頭に立った。1馬身、2馬身と抜け出しを図ろうとした時、ノリがステッキを抜いた。手応えが悪そうに見えたビワシンセイキが鞍上のアクションに応え力強く伸びる。差が開かずジワリジワリと詰め寄るビワとノリ。懸命の粘り込みを図るアリュールと武。身も凍るような真冬の競馬場が、熱く燃え上がっていた。

坂を上る。勢いは完全にビワシンセイキが優勢だった。1馬身、半馬身。さあ!あと一歩!というところがウイニングポストだった。着差はクビ。軍配はダート王、ゴールドアリュールに上がった。G1を勝ってもクールな武豊が、いつぞやの菊花賞と同じくらいのガッツポーズをして喜びを爆発させた。

次ページへ

もう不安は何もない。自信と希望を持って世界へ飛び出す時がやってきた。向かう場所はUAEだ。世界最高額の賞金を誇るドバイワールドカップへの参戦が決まった。ところがその道は人々の争いによって閉ざされた。イラク戦争の余波を受け、ドバイ遠征は白紙となったのだ。海の向こうに広がる新しい景色を眺めることはこの後も叶うことはなかった。

春。不本意な形で国内に留まったゴールドアリュールは京都のアンタレスSに出走する。距離はダートの1800m。ダービーへのチケットを獲った思い出のコースで、彼は逞しく成長した姿を池に浮かぶ白鳥たちに見せ付けた。

ここも無理にハナへ拘らなかった。知る人ぞ知る渋い名コンビだった人馬、スマートボーイと伊藤直人に主導権を譲り、番手から進んだ。京都のダート9Fの逃げ切り方を熟知しているコンビも、アリュールの目には映らなかった。3角過ぎからジワジワと差を詰め、4角出口で並びかける。ここからが圧巻だ。コーナーを回った瞬間に、ポンと2馬身突き離すと、例の大差ブッチギリ態勢に入る。後方からイーグルカフェ、ディーエスサンダー、若かりし頃のタイムパラドックスが脚を伸ばして来たが、グングン飛ばす黄金のダート王の影は踏めなかった。

8馬身差の圧勝劇。久しぶりにらしさを見せ、萎んだ夢に再び活力が戻った。ダートの競馬はドバイだけではない。アメリカもある。新たな目標へ向かうため、彼は大井の帝王賞へ進んだのであった・・・。

この場所も彼にとってはもう庭のようなものだ。普通に走れば結果はついてくる。しかし、ゴールドアリュールの体は異変を来し始めていた。この時調教に騎乗した武は、いつものゴールドアリュールではないという違和感を感じていたという。

そんな名手の予感は最悪の形で的中する。番手を進み、3角過ぎで前を捕らえる。道中はいつも通りのゴールドアリュールだった。しかし、4角。武が懸命に押しても、全く進まない。逃げたネームヴァリューは、その間にリードを広げた。追いつけない悔しさ。屈辱を味わったゴールドアリュールは、11着に敗戦したのだ。生涯を通じて最低の着順だった。

一体何がゴールドアリュールの身に起こったのか?彼を襲った病、それは喉鳴りだった。咽頭の軟骨が十分に開かず呼吸運動に異常をもたらすこの病は、安静にしていれば症状は治まる。しかし、激しい運動を行うと呼吸困難に陥る病気だ。競走馬にとって屈腱炎と並び致命的な病である。

ゴールドアリュールの症状はかなり重い部類だった。完治させるには手術と長期休養を要する。この診断を下されたホースマン達は、アリュールの引退を決めた。通算16戦8勝。もし、あのフェブラリーSの後、ドバイへ行けていたなら。空想でしかそれを描けないのが、本当に残念である。

サンデーサイレンス王国にダートのカテゴリーを創設したゴールドアリュールは、父としてもダートの活躍馬たちを競馬場へ送り込んだ。JCD、フェブラリーSを制したエスポワールシチー、自信を彷彿とさせる圧勝劇を繰り広げたスマートファルコン。追込み馬フリークの私としては、シルクフォーチュンの存在も忘れられない。

次はどんな砂王を?と期待していた、2017年2月18日。ゴールドアリュール急逝の一報が届いた。

翌日、行われたフェブラリーS。恐らく、天国へ昇る途中で、アリュールも見ていたであろうこの一戦を制したのは、息子のゴールドドリームだった。フェブラリーを制した息子は、父が直前で断念させられたドバイへ挑戦した。世界最強の評価を受けるアメリカのアロゲートに人気が集まっていたが、私は迷うことなくゴールドドリームの単勝を購入。結果は、アロゲートが圧倒的な走りを見せV。ゴールドドリームは14着に敗れた。父が果たせなかったドバイでは勝利をあげることはできなかったが、黄金の魅力溢れる夢をまだ見られると思えば、馬券が外れたことは取るに足らないことだ。

ドバイがダメでもアメリカがある。あの日、アリュールに見た夢は、息子に託された。

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