週末に行われる中央重賞の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、競馬の長い歴史の狭間できらめいた馬を紹介する「中央重賞懐古的回顧」。第6回は1999年の関屋記念優勝馬リワードニンファを取り上げる。
かつて競馬初心者だった頃に脳裏に焼きついた強烈な記憶…“競馬ファンとしての原体験”は各々の競馬観に少なからず影響を及ぼすし、そう簡単には色あせない。 そして私にとって、日本で初めて1マイル1分32秒の壁を破ったリワードニンファの存在は、心の記念碑のようなものである。
1マイルの距離条件で1分33秒の壁を破ったヨシノエデンや1分31秒を初めて切ったレオアクティブ、あるいはリワードニンファの日本レコードを2001年にコンマ1秒更新したゼンノエルシドといった面々は、いずれも中山の京成杯オータムハンデ(1997年以前の競走名は京王杯オータムハンデ)にてタイムをマークしているが、改修前の右回りの新潟コースで施行されていた頃の関屋記念も負けず劣らず高速決着が名物であった。真夏のローカル重賞だけに超一流馬の参戦は少なかったが、特色あるG3。それが当時の関屋記念のポジションと言えた。
1999年の関屋記念は内から主張した7歳馬コクトジュリアンの逃げにより幕を開けた。前半5ハロンが56秒0で且つ2ハロン目が10秒0と、現在の競馬でもまず見かけないような高速ラップを刻んで往年のスプリンターがひた走る。短く刈り込まれた芝の上で展開された空前のハイペースに、これ幸いと直線で馬群から顔を出したのが当時25歳の後藤浩輝騎手と4歳牝馬リワードニンファ。このフレッシュなコンビは楽に抜け出すと、必死に追いすがるブラックホークを尻目に2馬身半差でゴール。歴戦の牡馬たちをあっさりと撫で斬りにするその姿に、私はまず度肝を抜かれた。
電光掲示板に点灯した「1分31秒6」の文字に新潟競馬場の観客はどよめいた。特異なレース展開の産物とは言えど、それまで重賞勝ちの無い4歳牝馬がまるで魔法を掛けられたかのような激走を見せて、1分32秒の壁をいとも簡単に破ってしまったという事実は、競馬を始めて間もない頃の筆者に大きな衝撃を与えた。このタイムは新潟競馬場の改修工事によりコースレコードとしてはほどなく姿を消したが、芝1600mの日本レコードや関屋記念レコードとして後世に受け継がれることとなった。
競馬初心者は飛び抜けて早い時計を記録した競走馬を信奉しがちだ。日本レコードの一発により種牡馬入りしたヨシノエデンの存在はグレード制導入直後の競馬ファンを震撼させたというし、2012年に更新したレオアクティブも年若いファンにとってはそうだったのかも知れない。そして私にとってあの夏のリワードニンファの姿は今も色あせることがない。
その後は翌2000年の福島で施行された関屋記念における2着があるぐらいで、リワードニンファが大きく飛躍することは残念ながら無かったが、不祥事により鞍上から離れた1999年秋の2戦を除き全レース後藤騎手が添い遂げた。繁殖入り後はこれといった産駒を出せず、現在では牝系は絶滅寸前。まさに一世一代の大仕事。言うなれば、彼女が制した1999年の関屋記念は「ひと夏のマジック」であった。
リワードニンファ
牝 鹿毛 1995年生
父ラシアンルーブル 母アップラウス 母父トウショウボーイ
競走成績:中央17戦5勝
主な勝ち鞍:関屋記念
(文・古橋うなぎ)