週末に行われる中央重賞の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、競馬の長い歴史の狭間できらめいた馬を紹介する「中央重賞懐古的回顧」。第9回は1996年の新潟3歳S(旧馬齢表記・2001年以降の新潟2歳Sに当たる)優勝馬パーソナリティワンを取り上げる。
才能に溢れた競走馬が1頭いたとして、その馬が得意分野における第一人者としてデビューから引退まで自身のスタイルを曲げずに貫き通すことは、言うまでもなく非常に困難である。
1994年生まれのパーソナリティワンの取り柄はまず先行力であった。父アスワンの産駒の傾向としては、ギガトンやロイヤルハーバーなどの中長距離の力馬やコスモラブシックやターフエリザベスのように短距離で馬力を活かして突っ走るタイプが大半であるが、それら以外のほんの一握りが切れ味を兼備して本格派に育った。メジロアルダンやツルマイアスワンがそれだが、若い頃のパーソナリティワンは2番目に挙げたタイプに当てはまり、デビュー以降しばらくはその取り柄を活かしてブイブイ言わせていた。
パーソナリティワンの名が世に出たのは1996年9月の新潟3歳S(この年は中山芝1200mで施行)での快走に因る。新馬勝ちからダリア賞3着を挟み挑んだ同重賞では単勝8番人気と注目度は低かったが、ハナを切った同厩のノーザンショールから3角を前にして先頭を奪うと、番手からねじ伏せんと追いかけてきた評判馬シンコウスプレンダを寄せつけずに押し切った。荒れた芝や2番人気の外国産馬シーキングザパールのスタート直後の逸走にも助けられた形になったが、初重賞勝利の鞍上徳吉孝士騎手とともに大番狂わせの主役として記録と記憶に名を刻んだのであった。
続く10月のアイビーSでは斤量面の不利がありながらも逃げ切って3勝目をマーク。しかし天才的にテンに速いわけではなく、走りの柔軟性にも乏しいパーソナリティワンは、これを最後に頭打ちとなってしまう。彼が苦戦している間に、新潟3歳Sで破った面々から3着のシーキングザパールと5着のメジロドーベルが揃ってG1ウイナーに上り詰めた。翌春のNZT4歳SとNHKマイルCではそのシーキングザパールの前に3着・6着と敗退。徳吉騎手から大西直宏騎手に手が替わり、新味を出そうと差す競馬を試みたが、善戦はすれども勝ち星を挙げるには至らなかった。
マル外の“天才”に遭遇して挫折した生粋のマル父馬パーソナリティワンは、生き残るためにモデルチェンジを迫られた。そして彼が生きる道として選んだのはダート路線であった。転向当初は結果が出なかったものの、鞍上に戻った徳吉騎手お得意の逃げ戦法に徹するようになると徐々に好転。1998年6月には東海S(現行のG2競走とは別物のオープン特別競走)を逃げ切り、ダートの逃げ馬として一応の完成をみた。
岩手転出後の2002年10月に競走馬登録を抹消されるまでに、パーソナリティワンは2億円余りの賞金を稼ぎあげた。これは一流馬に相応しい額とは言い難いが、新旧の新潟3歳S(新潟2歳S)の優勝馬のうちそれっきりで終わらずに1億稼ぐ馬が何頭いることか。競走馬の才能を開花させて各々に適した活躍の場を与えることは大切だし、全ての競馬関係者にはそう努めてもらいたいものである。
パーソナリティワン
牡 鹿毛 1994年生
父アスワン 母エイシンマミー 母父タイテエム
競走成績:中央39戦4勝 地方28戦1勝
主な勝ち鞍:新潟3歳S
(文・古橋うなぎ)