ムービースター(競走馬)

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写真一覧
抹消  栗毛 1986年4月9日生
調教師坪憲章(栗東)
馬主吉田 照哉
生産者社台フアーム
生産地白老町
戦績50戦[9-9-3-29]
総賞金41,742万円
収得賞金7,590万円
英字表記Movie Star
血統 デイクタス
血統 ][ 産駒 ]
Sanctus
Doronic
ダイナビーム
血統 ][ 産駒 ]
ノーザンテースト
ビーチマスト
兄弟 ヒロストラートオースミタイカン
市場価格
前走 1993/12/26 六甲ステークス
次走予定

ムービースターの競走成績

[ 競走データ ] [ 繁殖データ ]
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成績 条件別 競馬場別 距離別 重量別 騎手別 タイム別
開催日

R 競走名 コース









指数

負担
重量
(kg)
騎手調教師



馬体重
(kg)




(秒)

3F
通過順 1(2)着馬
93/12/26 阪神 11 六甲S OP 芝2000 1122--17** 牡7 61.0 岸滋彦坪憲章 438
(+14)
2.07.8 1.739.7⑤⑤⑤④インターマイウェイ
93/10/31 東京 10 天皇賞(秋) G1 芝2000 1724--137** 牡7 58.0 岸滋彦坪憲章 424
(+6)
1.59.7 0.836.5⑫⑨⑥ヤマニンゼファー
93/09/19 中山 11 オールカマー G3 芝2200 1345--59** 牡7 56.0 岸滋彦坪憲章 418
(-10)
2.14.6 2.035.2⑨⑨⑪⑪ツインターボ
93/07/18 小倉 11 小倉日経OP OP 芝1700 14814--11** 牡7 56.0 岸滋彦坪憲章 428
(-4)
1.41.4 -0.735.4⑧⑧⑥⑤メイショウマキーナ
93/05/16 東京 10 安田記念 G1 芝1600 16816--69** 牡7 57.0 岸滋彦坪憲章 432
(+2)
1.33.9 0.435.0⑭⑭ヤマニンゼファー
93/03/14 中山 11 中山記念 G2 芝1800 14814--51** 牡7 58.0 岸滋彦坪憲章 430
(-2)
1.47.0 -0.234.5⑪⑪⑩⑧シスタートウショウ
93/01/24 中山 11 AJCC G2 芝2200 966--74** 牡7 58.0 岸滋彦坪憲章 432
(0)
2.15.8 0.836.7⑧⑧⑧⑦ホワイトストーン
92/12/27 中山 9 有馬記念 G1 芝2500 16612--96** 牡6 56.0 南井克巳坪憲章 432
(-2)
2.33.8 0.334.7⑪⑩⑨⑨メジロパーマー
92/11/22 京都 10 マイルチャン G1 芝1600 1812--58** 牡6 57.0 武豊坪憲章 434
(+6)
1.34.2 0.9--⑯⑭ダイタクヘリオス
92/11/01 東京 10 天皇賞(秋) G1 芝2000 18612--52** 牡6 58.0 武豊坪憲章 428
(-2)
1.58.8 0.236.6⑮⑮⑮レッツゴーターキン
92/09/20 阪神 11 朝日チャレン G3 芝2000 1268--14** 牡6 57.0 武豊坪憲章 430
(+2)
2.04.5 0.8--⑨⑨⑦⑥レットイットビー
92/06/14 阪神 10 宝塚記念 G1 芝2200 1311--810** 牡6 56.0 藤田伸二坪憲章 428
(+2)
2.23.5 4.9--⑩⑩⑧⑩メジロパーマー
92/05/17 東京 10 安田記念 G1 芝1600 1812--103** 牡6 57.0 武豊坪憲章 426
(0)
1.34.0 0.235.8⑭⑬ヤマニンゼファー
92/03/22 中京 11 トヨタ賞中京 G3 芝2000 1356--21** 牡6 57.0 岸滋彦坪憲章 426
(-10)
2.00.6 -0.236.5⑨⑨④ブレスレット
92/02/23 小倉 11 小倉大賞典 G3 芝1800 1659--44** 牡6 57.0 岸滋彦坪憲章 436
(0)
1.49.8 0.136.4⑪⑪⑪⑦ワイドバトル
92/01/05 京都 11 スポニチ賞金 G3 芝2000 1623--29** 牡6 57.0 武豊坪憲章 436
(-2)
2.03.3 1.1--⑨⑦⑨⑬ホワイトアロー
91/12/22 阪神 11 六甲ステーク OP 芝2000 15712--12** 牡5 57.0 藤田伸二坪憲章 438
(-2)
2.05.3 0.3--⑭⑭⑬⑤シンホリスキー
91/11/17 京都 10 マイルチャン G1 芝1600 15815--89** 牡5 57.0 岡潤一郎坪憲章 440
(+4)
1.36.4 1.6--⑪⑬ダイタクヘリオス
91/10/27 東京 10 天皇賞(秋) G1 芝2000 1836--99** 牡5 58.0 柴田善臣坪憲章 436
(+4)
2.05.1 2.238.0⑮⑭⑬プレクラスニー
91/09/15 中京 11 朝日チャレン G3 芝2000 16612--26** 牡5 56.0 岡潤一郎坪憲章 432
(-2)
1.59.8 0.734.2⑭⑭⑮⑫ヌエボトウショウ

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週末に行われる中央重賞の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、競馬の長い歴史の狭間できらめいた馬を紹介する「中央重賞懐古的回顧」。第61回は1993年の中山記念優勝馬ムービースターを取り上げる。


現代に続く社台グループを大きくした存在と言っても過言ではないであろう名種牡馬ノーザンテースト。「ノーザンテースト産駒は3度変わる」と称され、子供たちが類まれなる成長力を誇ったことはよく知られている。

そのノーザンテーストを父に持つ繁殖牝馬と非常に相性が良かったのが、ディクタスである。ディクタス×ノーザンテースト牝馬という配合から「弾丸シュート」サッカーボーイや「鉄の女」イクノディクタスが出たことは有名だが、こと“ノーザンテーストらしさ”という点ではムービースターが最も“らしい”馬だったんじゃないかと個人的に思っている。

夏競馬に特に強く、弾けるような瞬発力に溢れ、且つ成長力に富む。これらの長所を兼ね揃えたのが1986年生まれのムービースターであった。早いうちに重賞で馬券に絡むも、古馬になって頭打ちとなり一時は障害入りを見据えたが、成長してキレ味を身に付けて5歳夏に重賞連勝。その後安田記念3着、秋の天皇賞2着と一流どころに交じって好勝負を演じ、やがて7歳にして中山記念を制し、苦手だった急坂をとうとう克服した。ノーザンテースト御大の直仔でもこれだけの成長力を示した馬は少ないだろう。そう言えば準優勝の秋天は母の父ノーザンテーストの馬同士で決まったレースだった。

1993年の中山記念安田記念勝ちのヤマニンゼファー。金杯・西、日経新春杯と重賞連勝中のエルカーサリバー。屈腱炎から再起を目指す桜の女王シスタートウショウ田中勝春騎手と二人三脚で頂を目指すセキテイリュウオー。そして同年夏から秋にかけて花を咲かせることになる、孤高の大逃げ野郎ツインターボ…いかにも1990年代前半然とした個性的なメンバーが轡を並べた中にムービースターはいた。G1戦線で善戦を続けた彼はすでに7歳。ツーワエースと並びメンバー中最高齢だ。

レースは大方の予想通りツインターボの逃げで幕を開けた。同馬は柴田善臣騎手を背に未完成な逃げを打つ。ヤマニンゼファーはそれを番手で追いかけて、シスタートウショウはその外。そして1番人気のエルカーサリバーや、前走から手が戻った岸滋彦騎手が駆る5番人気ムービースターは後方で構えた。ペースは弛まず、前半1000mが58秒7と展開は流れた。4角でもツインターボと馬群は大分差があり、あわや逃げ切りかと思われたが、直線外からシスタートウショウが捕まえに行って一旦先頭。「桜花賞馬復活」という文言が脳裏によぎった瞬間、大外からムービースターが豪快に差し切った。

勝ち時計は1分47秒0のコースレコード。確かに展開は向いたし、同年春の中山の芝はオーバーシード初年度で弥生賞(ウイニングチケットが2分0秒1のレースレコードをマーク)などで非常に速い時計が出ていたのだが、7歳の高齢馬がレコードを叩き出したのは当時としては衝撃的な出来事であった。極めて非凡な瞬発力と成長力。これらの“ディクタス×ノーザンテースト配合らしさ”を体現した馬こそが、このムービースターに他ならなかった。

ムービースター
牡 栗毛 1986年生
父ディクタス 母ダイナビーム 母父ノーザンテースト
競走成績:中央50戦9勝
主な勝ち鞍:中山記念 中京記念 金鯱賞 北九州記念


(文:古橋うなぎ)

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ムービースターの口コミ


口コミ一覧

♪MONEY~!

 藤沢雄二 2016年10月28日(金) 23:37

閲覧 193ビュー コメント 8 ナイス 32

いささか唐突ではあるが、自分にとって浜田省吾の曲といえば、色々と名曲はあれど何を差し置いても『MONEY』なのである。
この曲は大学の同期のIのカラオケの十八番で、サビの「いつか奴等の足元にBIG MONEY 叩きつけてやる」のところで、猛烈なシャウトと地面に札束を叩きつけるポーズのパフォーマンスで仲間内での鉄板ネタだからである。
それに加えて、2番の歌詞で
「彼女は夢見てる 華やかなムービースター」
というのがあって、(馬の)ムービースターが好きだった自分にも縁のある曲だという思いもあった。

で、先日にムービースターが亡くなったわけですが

http://umanity.jp/home/view_diary.php?id=61287f333e&owner_id=c218baf74d

それをきっかけに追悼の意味も込めて、YouTubeで『MONEY』の動画を探して、それで浜田省吾のオフィシャルチャンネルに行き着いてライヴの映像を繰り返し見ています。
うん、カッコいい♪

いやもう「あの時彼女はこう喘ぎ続ける」の後の歌詞を『Hey!!Garls!!』と会場の女性ファンに委ねる浜田省吾、スゲーな!と。
どこかのカラオケでそのパフォーマンス、1回やってみたい(殴

で、話は戻る。
大学の同期の仲間には、Iと同じく、いやそれ以上に浜田省吾のファンのHという男がいる。
彼は仲間内のリーダーで、後々、大学のサッカー部のキャプテンをやったくらいなのでそもそもキャプテンシーは備えていたのだけど、大学入学直後に仲良くなった連中の中でも“地元オブ地元”ってこともあって彼を中心にまとまっていったというのはある。
で、彼の車のBGMは常に浜田省吾で、そのファンぶりは筋金入りであった。

で、そのHの奥さんというのが小野伸二の大ファンだったこともあって、「サッカー見に行こうぜ」という話がしやすい環境にはあるw

それで去年の夏に、浦和レッズレディースの試合を見に行こうという話になって、当時小5の娘さんもサッカーをやっているという事で父兄会に交ぜてもらうような形で試合観戦をしてから食事に行こうという流れになった。
で、久しぶりにHの車に乗り込んだところで聞こえてくる浜田省吾。なんか学生時代にタイムスリップした感じで、思わず「懐かしい」と声に出したら、奥さんが「昔からそうなんですか?」と聞いてきた。それに続くように娘さんが「パパ、いつも浜田省吾しか聴かないんだよ」と言ってきた。全くもってブレがないw
ホント、違うのは車種だけ。学生時代の117クーペがワゴン車になっていて、それとHに家族がいることぐらいの差異しかなかった。
車が動き出すと、その時の曲名は忘れたけどバラードの曲を娘さんが一緒になって歌っていた。
「スゴいね~」と目を丸くしていると「もう覚えちゃった」と言うから、どんだけルーティンなんだよwとツッコんだものである。


先週の新潟遠征で東京駅から新幹線に乗って、埼京線と並行して走る区間でHの最寄り駅のところを通ったので
『これから新潟に行ってくる。あと最近、浜田省吾のライヴ映像をよく見てる』
とメールをしてみた。
ほどなく返信があって、見てみると
『来週のさいたまスーパーアリーナの浜田省吾のライヴに嫁と娘が行くよ♪』
と書いてあった。

浜田省吾がツアー中なのを全く知らなかったので、偶然のつながりにビックリしていたのだけど、ふと思った。そのライヴのセットリストに『MONEY』は入っているのだろうか?と。

要らぬ心配だとは思うが、他人事ながらちょっと心配ではある。

まあ当の本人たちは何も気にしていないことだろうw
そんな余計な心配をしていないで、自分は天皇賞で足元に叩きつけられるくらいのBIG MONEYを手にしたいものである。

 藤沢雄二 2016年10月13日(木) 08:12
ムービースター、死す…
閲覧 400ビュー コメント 5 ナイス 31

本来なら訃報の入った10日に書かなくてはいけなかったのですが、1993年の中山記念をレコード勝ちする等の活躍をしたムービースターが亡くなりました。

http://www.meiba.jp/news/view/2492

http://blog.goo.ne.jp/naritolo/e/a08289192207f865076905a371ba4497

自分にとってはムービースターは、大袈裟な言い方かもしれないけど人生を変えた馬。この馬がいなかったら、今も競馬を続けていたかわからない。
話は1992年の安田記念にさかのぼる。当時は5月の3週目、今で言えばヴィクトリアマイルの週に安田記念は行われていた。戦前から大混戦と言われていたこの年の安田記念はヤマニンゼファー重賞初制覇で幕を閉じたのだが、この時に見せ場十分の3着だったのがムービースターだった。
この日、大学の寮の先輩たちと東京競馬場に行っていたのだが、その帰りの武蔵野線の車内でレース回顧をしていた流れで「秋の天皇賞はムービースターから買う」と宣言したんです。

で、半年間それを言い続けて迎えた秋の天皇賞。◎ムービースターはともかく、○レッツゴーターキンで馬連17,220円をジャストミート!
“予告ホームラン”の一撃で、周囲の誰もが『藤沢といえば競馬』ということを認めてくれました。
まあ万馬券の手柄はレッツゴーターキンなんですけど(^^;)
◎ムービースターの過程のインパクトが強かったので先輩たちが自分の手柄のように「ウチの後輩があの天皇賞、獲ったんですよ」と言っていたのが嬉しかったですね。

ホント、ムービースターについては話せば長くなります。
ご飯三杯どころか三日三晩飲み明かせるぐらいw

まあ30歳だったということで、馬としては大往生だったのではないでしょうか。
自分もあの時の武勇伝の他に新たな勲章を手に入れられるように頑張らないと。

ありがとう、ムービースター。
合掌…。

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 藤沢雄二 2016年8月11日(木) 23:21
Before 24 years…
閲覧 358ビュー コメント 4 ナイス 24

1992年の夏。大学2年の時だった。

この時は『九州ワイド周遊券』という切符を使って実家の鹿児島に行っていました。
この切符、何が有能だったかというと九州内のJRの全路線とJRバスが14日間乗り放題で、在来線の特急は自由席ならフリーパスだった。
なので目的地が鹿児島だと、周遊券にくっついてくる東京⇔門司の乗車券と周遊券だけでほぼ元が取れていたんですよ。それでいて九州内フリーパスなのだからこんなに使い勝手のいい切符はなかった。

この夏、5月の安田記念の直後に
「秋の天皇賞はムービースターから買う!」
と宣言していたこともあって、大学の同期の連中と行く予定だったキャンプをキャンセルしてまで九州滞在を選択して、8月9日の北九州記念(当時は芝1800m)の小倉競馬場に参戦していたんです。ムービースターの相手になる馬を探すために。

前後の行程までは覚えていないのだけど、北九州記念参戦の数日間はだいぶ記憶が残っていて、8月7日に台風が接近しているなか熊本へ移動。中学の時の剣道部の仲間が熊本大学に通っていたので押し掛けて行って、台風をやり過ごしながら飲み明かしw
翌日は午前中に九州を台風が直撃していたので、小倉開催は順延。ホントは行ってみたかった中津競馬は中止。そもそも午前中は九州のJRが殆ど不通だったので行ける訳もなかったのだが、午後になって特急から動き出したので豊肥本線を一路、大分へ向かって一泊。

そして日曜日は大分から小倉入り。
この日の馬券で大負けはしていないのだが、かといって大勝したわけでもなく、一進一退だったかと。とりあえず北九州を外したことだけは覚えている。というのも2着のレッツゴーターキンが抜けたので。
この時、レッツゴーターキンを消したのは「カンカン泣きする」とコメントが出てたから58kgはシンドイと思っていた。実際、57kgまではなんとかなっていたけど、58kgのレースではドカ負けしていたから。
もっとも、ここでレッツゴーターキンが58kgを克服したのを見ていたから秋のジャストミートに繋がった。

小倉競馬場の後は長崎に向かった。8月9日の夜に長崎入りするなんて、今思えば無鉄砲もいいところだが、平和を祈るなんて崇高なことをしに行った訳ではない。
当時、大学の寮に住んでいたのだが、女子寮にいた同期のカワイイ子が実家の長崎に帰省していると聞いて追っかけて行っただけの話である。
今だったら用意周到に『サプライズ』をできていたのだろうけど、大体、まだ『サプライズ』なんて言葉が一般的じゃない時代である。
彼女の実家に電話をして、本人につながったのだがさすがに急すぎて長崎では会えなかった。
浦和に戻ってから「来る前に一声かけてくれたら…」って言われたけど、それにしても若い頃の方が何事もアグレッシブだったね。今じゃ馬券すら淡白だもの…(白目)

余談だが、その長崎が実家の女の子。卒業後に某地方局のアナウンサーになっていて、さらにその後、フリーになって東京で情報番組のリポーターとかやっていたのよね。ホント、今、何しているんだろう。

さて今週は、競馬場に行くわけではないけど名古屋→鹿児島と移動するので馬券的には“遠征競馬”。で、遠征競馬だとわりと調子がいいのよね。だから財布の中身を肥やして帰ってこれるといいな?。

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