グリーンセンスセラさんの競馬日記

武幸四郎の引退迫る

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武豊の弟、武幸四郎の引退迫る。騎手人生21年の記憶━ Gambling Journal ギャンブルジャーナル/2017年01月19日 08時00分00秒 http://biz-journal.jp/gj/2017/01/post_2333.html

 皆様もご存じの通り武豊騎手の実弟である武幸四郎騎手が昨年調教師免許に合格、今年2月末を持って騎手を引退し、厩舎の開業に向けて準備を始めることになる。まだ38歳でありながら騎手を引退したのは様々な事情があると思われるが、かつて多くのG1レースを勝利し競馬界を盛り上げた功労者、第二の競馬人生も心から応援したい。

 今年はこの武幸四郎の他にも武英智、田中博康と若き現役騎手が調教師免許に合格したため引退するが、やはり実績もここまで築いた伝説も武幸四郎は別格。今回から武幸四郎が引退するまでの間、彼がどんな競馬人生を歩みどんな伝説を残してきたのか振り返ってみたい。


武幸四郎伝説その壱~衝撃のデビュー週に重賞勝ち

 1978年11月3日に武家の四男として誕生した武幸四郎は、父が調教師の武邦彦、兄が騎手の武豊、従兄弟に騎手の武英智、さらに親戚に牧場関係者がいるなど競馬一族の中で育ってきた。4人の兄弟で長男伸、次男克己は競馬界から離れており、騎手となったのは豊と幸四郎の二人。幸四郎は9歳上の兄豊への憧れが強く、兄を追いかけて騎手になったという。武豊もそうだがこの兄弟は騎手としては身長が高く、武豊170cm、武幸四郎177cmと現役騎手の中でトップクラスの長身である。競馬では2歳戦やハンデ戦などで軽い斤量の馬に乗る機会があり、体重の少ない騎手の方が騎乗機会に恵まれる。体重52kgの武幸四郎はその点で乗れるレースが限定されてしまい、長身なのは騎手としてマイナス。その不利を承知で騎手という職業を選んだ幸四郎は、競馬学校を卒業後1997年にデビュー。同期は勝浦正樹、村田一誠、板倉真由子、秋山真一郎、松田大作で、女性騎手や父が騎手だった秋山などがいたが、やはり注目度は断然幸四郎が高かった。

 デビュー当日はさすがに多くのマスコミも競馬ファンも注目、初戦は3番人気メイショウユリヒメに騎乗し6着に敗退、初日は8鞍に騎乗するも3着が最高という成績だった。翌日は父武邦彦厩舎のポットヌベールで2番人気と評価を集めるも7着、そして勝利がないまま最後のレース、重賞のマイラーズカップ(G2)で武邦彦厩舎の11番人気オースミタイクーンに騎乗する。しかし幸四郎はここでアッと驚く大仕事をやってのける。なんとデビュー週に重賞初騎乗で初勝利を成し遂げたのだ。8ヶ月振りの休み明けで14頭立て11番人気という低評価を覆す見事な勝利に、競馬場は大きくざわめいた。兄武豊もできなかったデビュー週での重賞勝利は何かを持っていると感じさせるに十分なインパクトだったのである。


 デビュー1年目はJRAで493戦37勝、勝率7.5%・連対率15.4%という成績。これは兄武豊のデビューしたときの559戦69勝、勝率12.3%・連対率23.6%と比較すると物足りないが、見事JRA賞で最多勝利新人騎手を獲得した。これは兄豊に続くもので、史上初の兄弟での達成となった。またマイラーズカップ以外にもセントウルステークス(G2)を8番人気オースミタイクーンで勝ち、阪神牝馬特別(G2)を10番人気エアウイングスで勝利するなど、デビュー1年目で重賞3勝という実績も残した。

 その後2000年の第5回秋華賞(G1)を10番人気ティコティコタックで勝利してG1レース初優勝を達成。騎手としてバラ色の人生が待ち構えているはずだったが、その後まさかの落とし穴が待っているとは、当時は思いもしなかっただろう。そして騎手としての岐路に立たされるアナウンサーとの熱愛、暴行事件...。武幸四郎波乱の人生はまだ始まったばかりであった。

この日記へのコメント

グリーンセンスセラ グリーンセンスセラ|2017年1月20日 11:37 ナイス! (0)

火曜日、京都9レースでもブチコハプニングで2番人気武幸四郎が勝ち星でしたよね。単勝で買っておけばよかった。残念。

チビちゃん チビちゃん|2017年1月20日 5:40 ナイス! (1)

おはようございます。

調教師としても、頑張ってほしいものです。


あの身長では辛かったと思います。

私は、ウインクリューガーで儲けさせてもらいました。

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