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福島競馬4・7再開、木幡「復興アピールを」
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【復興の蹄音】昨年3月11日の東日本大震災から、あさってで1年がたつ。実家が被害に遭った福島県南相馬市出身の木幡初広騎手(46)=美・フリー=が、現在の心境を語った。「多くの方々の援助に感謝しています」と話す木幡騎手は、地元・福島競馬の再開が4月7日に迫り「自分は競馬を通して、少しでも(東北の)復興をアピールしていきたい」と、騎手としての全力投球を改めて誓った。
東日本大震災は、競馬サークルにも昨年の福島競馬中止という暗い影を落とした。だが、福島競馬は4月7日に再開する。多くの競馬ファンが心待ちにしていたように、福島県原町市(現南相馬市原町区)出身の木幡初広騎手も、再開を待ち望んでいた一人だ。自身も実家が地震と津波の被害を受けており、福島競馬の再開は、やはり大きな励みとなる。
「福島で競馬ができなかったことはとても残念だった。昔から熱心な競馬ファンが多いし、福島は僕の地元だから、再開はうれしい」。木幡騎手は時おり、目を伏せながら言葉を紡いでいく。
震災は金曜日。茨城の美浦トレセンから車で中山競馬場に移動する途中、高速道路の橋の上で巨大地震に遭遇した。「目の前の道路が波打って、橋が落下するんじゃないかと思うぐらい怖かった」と、当時を振り返る。
実家と連絡が取れたのは翌日。海から2~3キロの場所にあり、津波で家が倒壊することは免れたが、屋内に浸水するなどの被害を受けた。震災から5日後、木幡騎手は調教終了後にマイクロバスを手配。高速が使えない道路事情が悪いなか、十数時間かけて両親と姉夫婦を避難先まで迎えに行った。「両親、姉夫婦とも無事だったが、多くの人が地震や津波の被害で亡くなった。それを思うと…」と心を痛める。
だが、その後の福島第一原発の事故で、実家は20キロ圏内の警戒区域内となり、立ち入りは基本的に禁止された。「今の状態なら、この先が心配。(退去時期がきて)仮設住宅がなくなったりしたら、(被災者は)どうすればいいんだよ、って思う」。心配は尽きない。
父の初身さんは昨年、7月23日に病気のため70歳で死去。木幡騎手は新潟で騎乗しており、最後を看取ることはできなかったが「中学を出てから(競馬の世界に入って)ずっと別々に暮らしていて、約30年ぶりに短い時間でも、父親と一緒にいられたのは幸せだったと思う」と最後の思い出を振り返る。翌24日の新潟ではメーンの11R柳都Sを最低15番人気のメイショウエンジンで勝ち、亡き父に勝利を捧げた。
「(大震災発生から)多くの人たちに援助してもらったのはありがたいし、感謝しています。それと同時に騎手という立場で競馬を通して、福島をはじめ東北の被災者の方々に元気を受け取ってもらって、復興へのアピールをしていきたい」
4月7日から始まる福島競馬(29日までの土日開催8日間)に木幡騎手は可能な限り参戦する予定。“競馬から元気と勇気を”という心意気を胸に、南相馬市出身の46歳ベテランジョッキーが、巧みな手綱さばきで地元の福島を熱く盛り上げる。 (片岡良典)
木幡 初広(こわた・はつひろ)1965年6月14日生まれ、46歳。福島県原町市(現南相馬市)出身。81年に東京都世田谷区・JRA馬事公苑に入り、長期騎手課程を受ける。84年3月1日付で騎手免許を取得、美浦・稲葉隆一厩舎所属でデビュー。初騎乗は同年3月3日中山1Rエドワーズシチー2着、初勝利は同年5月13日新潟1Rエドワーズシチーで27戦目。90年代に入ってからは毎年、30勝前後とコンスタントに活躍。96年3月1日付で美浦・フリーに所属変更。97年のGIII新潟記念をパルブライトで勝ち、JRA重賞初勝利。2006年にはマンオブパーサーで交流GIダービーグランプリ(盛岡)を制した。JRA通算1万992戦719勝、重賞8勝(8日現在)。長男の初也君は昨年4月、JRA競馬学校に入学。騎手課程30期生として騎手デビューを目指している。1メートル60、51キロ。血液型O。
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