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3日の放牧中に右後肢を骨折したため25歳で死亡したオグリキャップの「お別れ会」が19日夕、同馬がデビューした岐阜県の笠松競馬場で行われた。地方時代のオグリを振り返るイベントで、初代オーナーの小栗孝一氏やデビュー戦(2着)に騎乗した青木達彦現調教師らが、20年余り昔に"タイムスリップ"した。
思わず“昭和”の終わりに戻っていた。最終レース終了後の午後5時にスタートした「お別れ会」。この日の笠松競馬場は昨年の海の日より約600人多い3309人が入場し、レースが終わっても多くのファンがイベントを待ち望んでいた。
「デビュー前の4月頃から調教に乗っていましたが、普段は走る気を見せなかった。でも、速い時計を出す時だけは馬が変わり、沈み込むようなストライドになったんですね。このギャップで“ただもの”ではないことを感じました」
騎手だった青木達彦現調教師(46)が当時を振り返る。騎乗は新馬戦(2着)、3戦目(1着)の2回だけだったが、調教パートナーを務めており、記憶は鮮明。オグリキャップが笠松に在籍したのは87年の春から88年1月までの1年弱だったが、ここで後の伝説への下地を着実に築いていった。
笠松時代に管理していた鷲見昌勇(すみ・まさお)元調教師(73)も言葉がふるえがち。「連勝が続いている頃は夜も眠れなかった。あのまま地方にいたら、こんな活躍はできなかったでしょう」と語った。
会の終わりでは中央入りしてからのオグリキャップの映像が流されて、引退レースの有馬記念でフィナーレ。初代オーナーの小栗孝一氏(78)も「場内に(オグリ)像があるし、こんなに愛された馬は他にいない。どうか安らかに眠ってほしい」と涙交じり。北海道からは“たてがみ”も届けられており、笠松の地に飾られる。木曽川沿いで、のどかな田園風景の中にある小さな競馬場。今、英雄は故郷に帰ってきた。(佐藤将美)
司会を務めた元関西テレビアナウンサーの杉本清氏(73)
「中央初戦のペガサスSで実況をしましたが、正直言って、私自身は“クエスチョン”を持ってレースを見ていました。でも直線を向いた時は思わず“評判通りです”と叫んでいましたよ。場内には瀬戸口勉さん(中央で管理した元調教師)も来られていたし、いい会ができました」
オグリキャップ
85年3月27日、北海道・三石町(現・新ひだか町)の稲葉牧場で誕生。父ダンシングキャップ、母ホワイトナルビー、母の父シルバーシャークの芦毛の牡。32戦22勝、獲得賞金9億1251万2000円(ともに地方時代含む)。91年から優駿スタリオンステーションで種牡馬。主な産駒は95年皐月賞(16着)&ダービー(17着)に出走したオグリワンなど。07年に種牡馬を引退し、同スタリオンステーションで功労馬として余生を送っていた。JRA所属の現役産駒はミンナノアイドル(美・尾関、牝3)のみだったが、5月30日の東京競馬場でのデビュー戦14着後、脚部不安が発生して引退。
笠松競馬場
1934年に岐阜県羽島郡笠松町に開設。右回り1周1100メートルのダートコースで直線は201メートル。オグリキャップの他、その妹で94年の桜花賞馬オグリローマン、95年の桜花賞TRを制覇したライデンリーダーなどJRAで活躍した馬が多数出ている。現役では交流GI全日本2歳優駿などを勝って09年地方競馬年度代表馬に輝いたラブミーチャンが有名。また、笠松出身のジョッキーでは現在JRAで安藤勝己らが活躍中。
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