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【二十歳のころ 清水久詞(2)】武豊さんに追い切ってもらったら食べない馬も食べる
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騎手の夢はかなわなかったけれど、調教師になる。二十歳のころは新たな目標に向かって、焦らず牧場で調教騎乗などの訓練を積みました。
24歳となった1997年1月、中央競馬会(JRA)競馬学校の厩務員課程に入学し、卒業した7月、いよいよ調教師に向けての第一歩を踏み出しました。滋賀県・栗東トレーニングセンターの浜田光正厩舎に厩務員として配属されました。そこで、大きな出会いがいきなりあったのです。ファレノプシスという名の牝馬でした。
父のブライアンズタイムは当時、多くのGI優勝馬を出していた大種牡馬。近親には94年の三冠馬ナリタブライアンなどがいるすばらしい血統です。なぜ、この素質馬を新人の僕が担当するのだろう、と疑問には思いましたが、とにかく期待に応えようと必死でした。のちに伝え聞いたところでは、浜田先生は「真っ白で、俺の言うことを100%聞く人間にやらせたかった」という意図だったようです。でも浜田先生は細かく言うタイプではなく、いつもドンと構えていました。それが逆に怖かったですね。
初めて出会ったファレノプシスは馬体重が420キロ前後と小柄で、初日から筋肉痛などがあったほど。体質が強い馬ではなく、きつい調教を課すとカイバを食べなくなったり…。ニンジンは好きだったので、スライスして手のひらに乗せ、それを食べれば1合、10回で1升。少なくても2升は食べてほしいので、20回は繰り返す。日が暮れて他のスタッフが帰ったあとも「頼むから食べてくれ」と願いながら、ニンジンを切りましたね。
97年11月30日、阪神競馬場で新馬戦に出走し、ダート1200メートルで9馬身差の圧勝。それほどまでに強いとは、驚きました。25歳の僕にとっても初勝利です。それからGIを3勝。自分で言うのも何ですが、これだけの馬を担当させてもらいラッキーボーイでした。
98年の桜花賞、秋華賞を勝ったときは武豊騎手です。豊さんが追い切りに騎乗した日は、速い時計を出してもファレノプシスはカイバを食べてくれるんですよ。負担をかけないように乗ってくれているのか…。いろいろなことで“格が違うな”と感じました。今もキタサンブラックに騎乗してもらい、いい出会い、いいご縁がありました。
秋華賞から2年間、勝つことができませんでしたが、2000年のエリザベス女王杯は松永幹夫騎手(現調教師)の手綱で、引退レースを飾ることができました。感謝しかありません。現役の3年半は一度も放牧に出ずにつきっきり。プライベートでは何もできなかったけれど毎朝、起きるのが楽しかった。厩舎のドアを開けた瞬間、ファレノプシスが鳴くんです。分かっているんですよ。それが本当にうれしかったんです。 (あすに続く)
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