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“皇帝”逝く-。1984(昭和59)年、8戦8勝で菊花賞を制し、中央競馬史上で初めて無敗の3冠馬に輝いたシンボリルドルフ(牡、父パーソロン)が4日午前3時、千葉県成田市のシンボリ牧場で老衰のため死亡した。30歳だった。3冠のほかにも有馬記念連覇、天皇賞・春、ジャパンCとGIを計7勝し、日本の競馬に多大な功績を残した名馬だった。
歴史的名馬が静かに永遠の眠りについた。千葉県成田市のシンボリ牧場で、暑い夏を乗り切ったシンボリルドルフだったが、10月に入ってから不調を訴え、4日午前3時、関係者が見守る中で死亡した。30歳で、人間に例えれば90歳あたりに相当する年齢だった。
「ここ2、3日体調を崩しており、昨夜(3日)午後8時頃、体に震えが走るような状態になったので、獣医師が栄養剤を投与するなどして様子を見守りましたが、残念ながら眠るようにこの世を去りました。大往生だったと思います」
和田孝弘シンボリ牧場代表(59)が、名馬の最後の瞬間を伝えた。
日本競馬が発展途上だった1980年代。シンボリルドルフは故・和田共弘オーナー、故・野平祐二調教師、岡部幸雄騎手(現JRAアドバイザー)の国際派トリオにより、早い時期から世界を目指した。13世紀の神聖ローマ帝国皇帝、ルドルフ1世から命名され、その強さと名前の由来から、後に“皇帝”の愛称でファンに親しまれた。
1983年7月にデビューし、翌84年、皐月賞、ダービー、菊花賞を制覇。史上4頭目、無敗(8戦)では初の3冠馬となった。ダービーでは3コーナー手前で手応えが悪くなったが、馬自身が動く場面を分かっていたのか、直線で力強く伸び、「馬に競馬を教えられた感じ」と岡部騎手はレース後に振り返った。
ルドルフは、菊花賞後にジャパンCに挑戦。カツラギエースの3着と初の敗戦を喫したが、続く有馬記念では同馬を2馬身退けた。05年、史上2頭目の無敗(7戦)3冠馬となったディープインパクトでさえ菊花賞後はJCに出走せず、有馬記念も2着。ルドルフのすごさが分かる3歳秋だ。
1世代上の3冠馬ミスターシービーとは3度対戦していずれも先着。通算GI7勝は、JRAのGIでは現在でも最多タイの記録だ。惜しかったのは4歳の天皇賞・秋。大外から伏兵ギャロップダイナの強襲にあい2着。敗れたルドルフは悔しさからか涙を流した、とも伝えられている。
86年の米国遠征初戦、サンルイレイSでレース中に左前脚を痛めて6着に敗れて引退。当時としては破格の10億円(2000万円×50株)でシンジケートが組まれ、87年から生まれ故郷の北海道門別町(現日高町)のシンボリ牧場で種牡馬生活に。初年度からGI4勝トウカイテイオーを出したことは評価される。
04年に種牡馬生活を引退し、昨年1月にシンボリ牧場に移動。昨年のジャパンC当日は東京競馬場でファンにお披露目された。「強かったルドルフの姿は私だけでなく、ファンの皆様の心の中に生き続けてくれると思います。今はありがとうの気持ちでいっぱい」と和田代表。その栄光は今後も語り継がれていく。
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