28日に定年を迎える
池江泰郎調教師(69)=栗東=は、最後の競馬となった27日の
中山記念・
リルダヴァルは6着に終わったが、小倉11Rを
ヤマニンウイスカーでV。自らの引退に華を添えた。
ディープインパクトらを育てた名伯楽が長い競馬人生を振り返り、サンスポに独占手記を寄せた。
リルダヴァルで挑んだ調教師生活最後のレース、
中山記念は6着でしたが、その前に行われた小倉11R(虹の松原S)を
ヤマニンウイスカーで勝つことができました。そのとき私がいたのは、中山競馬場のパドック。慌てて控室に駆け込んで、何とか最後の勝利をテレビで見ることができました。私の故郷は宮崎なので、九州の競馬場でプレゼントを頂いた感じですね。引退の実感はわきませんが、2~3日したら寂しく思うかもしれません。
振り返ってみれば、馬とともに歩んだ55年でした。騎手としてはGIの勲章を手にできませんでしたが、ヤマピットで挑んだ
桜花賞(67年)は忘れません。圧倒的な1番人気で12着に惨敗。今でも苦い思い出です。
厩舎を開業したのは79年10月でした。スタッフには「最初の3年は苦労するけど辛抱してくれ」と伝えたものの、4~5年間はほとんど勝てず出走させるだけで精いっぱい。よくここまでやれたと思います。
調教師として、
メジロマックイーン、
ステイゴールドなど、数多くの名馬に巡り合いました。その中でも、
ディープインパクトは特別でした。長年の夢だったダービーを勝ったときは、自分の頬をつねって確かめたことを覚えています。
ただ、
凱旋門賞では失格という残念なことになり、しばらくは1日が1年に感じるような、長く苦しい時間を過ごしました。調教師を辞めようかと悩んだときもありましたが、ディープの元気な姿が、前へと進む勇気を与えてくれました。いつかディープの子どもが
凱旋門賞に挑むときには、私が応援団長を務めたいですね。
あしたからは、妻の敏子とゆっくりと過ごして、1歳になる孫の悠喜(ゆうき・
池江泰寿調教師の息子)の成長を見守っていきたいですね。私の赤ん坊の頃の写真と見比べてみると、目元が似ているとよく言われるんですよ。孫が大きくなって、ホースマンの道を歩むなら、応援してやりたいと思っています。
これまで私を支えてくださったオーナー、厩舎スタッフ、そしてファンの皆様には、感謝の言葉しかありません。長い間、本当にありがとうございました。(JRA調教師)
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