週末に行われる中央重賞の過去の優勝馬をピックアップして回顧し、競馬の長い歴史の狭間できらめいた馬を紹介する「中央重賞懐古的回顧」。第41回は2004年の中山大障害(本来は2003年12月に施行されるはずだった競走)優勝馬ブランディスを取り上げる。
今週土曜日の中山大障害をもってオジュウチョウサンがとうとう引退する。平成末期に現れた同馬の存在が偉大過ぎて、日本の障害界は「オジュウチョウサン以前」と「オジュウチョウサン以後」に分けられるというほどの、それこそお笑い界で言ったらダウンタウンのような存在である。私はこの歴史的名馬が無事に引退できれば良いと思っているし、競馬ファンの多くが同じことを願っているはずだ。
その「オジュウチョウサン以前」のゼロ年代。浜口義曠JRA理事長がぶち上げた障害改革により、まず1999年にジャンプグレード制が導入され、その翌春より中山グランドジャンプが国際招待競走に指定された。ゴーカイ、カラジ、メルシー軍団、パンツメンコ、出津孝一…この時代を象徴するキーワードは様々あるが、1997年生まれのブランディスは「オジュウチョウサン以前」の最強障害馬候補に挙げられる馬である。
ブランディスは今をときめくイクイノックスの大伯父に当たる。父はサクラバクシンオーであったが母の父アレッジドなどの影響かスタミナ豊富であり、ダート2400mの条件戦を5馬身ぶっちぎったこともある。若い頃には重賞出走歴もあるが、平地では1000万下条件(現在の2勝クラス)で頭打ちとなり、2002年12月に障害入り。その際去勢された。
障害入り後大江原隆騎手を鞍上に迎えたブランディスは1年ほどで7戦4勝をマークし、やがて天才ジャンパーの呼び名に相応しい存在となった。この「天才ジャンパー」というフレーズはいかにも紋切り型であるが、ブランディスは450キロに満たない小さな身体ながら飛越力が卓越しており、道中先行できるだけの平地力も備えていた。
私が思う彼のベストバウトは2004年4月の中山グランドジャンプではなく、ビッグテーストやウインマーベラスと対峙した同年1月の中山大障害だ。この競走は2003年12月に施行されるはずだったものが積雪で順延となり越年して行われたものであるが、ビッグテーストはJ・G1春秋制覇が、片やウインマーベラスは4場目の障害重賞勝利、あるいはSS産駒初のJ・G1制覇が懸かっていた。しかし中山障害でのブランディスの強さは盤石であった。前半折り合いを欠いたビッグテーストを尻目に主導権を握り、最終障害を前にして早めにスパート。そしてウインマーベラスの追撃を退けて先頭で4100mを駆け抜けた。
伝統的な格言である「障害は短距離血統」の裏付けとしてブランディスの馬名は今でもよく例示されるが、巧みな飛越と豊富な持久力にものを言わせて押し切るレースぶりは他の短距離血統の障害馬とは一線を画した。障害コースは競馬場によって特色がある。もし中山と東京の両方で重賞を制すことが超一流障害馬の条件だとしたら、中山8戦6勝に対して東京では1戦0勝のブランディスは超一流ではなかったのかも知れない。だが中山競馬場の大障害コースで見せた強さは、まさしく「オジュウチョウサン以前」の最強障害馬に相応しいだろう。
ブランディス
牡→セン 鹿毛 1997年生
父サクラバクシンオー 母メゾンブランシュ 母父Alleged
競走成績:中央平地27戦3勝 障害9戦6勝
主な勝ち鞍:中山グランドジャンプ 中山大障害
(文・古橋うなぎ)